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「新君!あやまッ――ッ⁉……え?」

「――ッ⁉」


 胡桃と馬場は、一瞬何が起きたのか分からなかった。無論、この場にいない新も同じであっただろう。


 何せ瞬きの間に、教室の壁が盛大に破壊され、そこからグラウンドがが丸見えになっていたのだから。


 先程まで新がいた位置に立つ、この惨状を起こした張本人。


「え?あ、あの、まささ――ヒッ⁉」


 その男の顔に張り付く闇は、漆黒すら呑み込まんと揺らめいていた。





「――ッ⁉グブッがッ⁉あがっ――」


 目の前にいた東条から途轍もない悪寒を感じ、咄嗟に身体強化を纏った新は、次の瞬間、左頬に首が引き千切れる程の衝撃を受け壁をぶち抜き吹き飛んでいた。


 直線上にある物を悉く破壊し、グラウンドを数十m跳ね転がり、ようやく止まる。


 嶺二を含めその場で鍛錬していた全員が、突然飛び込んで来た彼に目を丸くした。


 新はグワングワン鳴る頭を押さえ、鉄の味がする口内から異物を吐き出す。


 出てきたのは、六本の歯。左の奥歯が根こそぎ折れていた。


 彼は歯をポケットに仕舞い、首の激痛を圧して立ち上がる。


 未だ揺れる視界の先には、嘗てない程の闇を背負った化物がいた。





「チッ……」


 東条は立ち上がる新を見て、反射的に拳を緩めてしまった自分に舌打ちした。


 彼が放った拳には、当たる直前まで確実に殺す意志が込められていた。しかしインパクトの瞬間、人を殺す事への抵抗に無意識に魔力を抜いたのだ。


 東条は瓦礫を踏み越え、外に出る。


 次は本気で殴る。そう拳を固めて。





「おいっ、新、お前その傷、何があった⁉」


「光明院⁉」 「新先輩!」 「救急班呼べ!」


「……下がってろ。ぺっ」


 新はグラウンドに降り立つ東条から目を離さず、嶺二を押しやり血を吐き捨てた。


 同時に、東条が撒き散らした魔力に当てられ、騒がしかったグラウンドが静まり返る。

 誰もが身じろぎ一つせず硬直し、その本能的危険が自分に注目するのを避けた。


 一人を除いて。


「――ふぅぅぅ。……カオナシ、何があったかは、知らねぇが、引いてくれ。頼む」


 嶺二は歩いてくる東条の前に立ち、ボロボロの新を庇った。


「……あぁ嶺二、さっきは酷いこと言って悪かった」


「あ、ああ。もう気にしてねぇ。ありがとな」


「それだけだ。退け」


「――っ」


 再び歩き出す東条に彼の足が竦む。


「出来ねぇ!お前、何するつもりだよ⁉」


「……この気持ちが薄れない内に、……気のすむまで」


「――くっ」


 目の前で止まった東条に、嶺二はバットを振り上げる。


「許せ‼」


 風魔法を収束させ、渾身の力で殴りつけた。


 ギャリリリリ、という音を立て、衝突した先から東条の服が引き裂かれていく。


 ……しかし、それだけ。東条は直立しまま動かず、素肌には傷一つ付いていない。


「……ノエルに怒られるな(ボソ)」


「っあ?――なっ」


 ビリビリになったジャンパーの腕部分を見た東条は、そのままバットを魔法ごと握り潰し、嶺二から奪い取る。


「お前はどうでもいいんだ。ちゃんと守れよ」


「にを――ッ⁉」


 次の瞬間、ほぼ見えない速度でフルスイングされたバットが、嶺二を咄嗟に構えたガードごと吹き飛ばした。

 彼は戦闘員を数人巻き込み、戦線を離脱。


 新が目を見開き、次いでバットを捨てる東条に怒りの形相を向ける。


「――っ⁉れいっ、お前ッ‼」


 そう叫ぶ彼の周りに炎の渦が顕現する。

 そして新により圧縮されたそれは、東条に向かって躊躇いなく放出された。


 高熱の火炎の中、服を燃やされながら歩く東条。

 彼は自分に降りかかる火の粉など気にも留めず、過去に想いを馳せていた。


「……葵さんの炎は、もっと熱かった」


 殴り合い、高め合った嘗てのを思い出す。


 ――炎に塞がれた視界の奥から、超速で光弾が飛来。

 魔力で事前に感知していた東条は、一つを躱し、二つを叩き潰した。


「……恭祐の策の方が、よっぽど脅威だった」


 全力で女を取り合った、嘗てのを思い出す。


 ――自ら炎の中に飛び込んで来た新の渾身の大振りを、葵獅に教わった体捌きでひらりと躱す。


 そして、



「――――ッジィッ‼‼」

「ボォえッッ‼――」



 横から薙ぐ様に振るった右ストレートが、新の腹に深く突き刺さった。



 メキバキブチっ



という音と共に新がぶっ飛び、ゴムまりの様に地面をバウンドする。

 新は最早痛みすら感じない腹を差し置き、魔力を全て腕に移し顔面をガードした。瞬間、


「――ッ‼」

「――グゥッ――」


 吹っ飛ぶ新たに追いついた東条が、顔面に狙いを定め、あらん限りの力でシュートを放った。


 両腕がへし折れた痛みに呻く暇もなく弾丸の如くぶっ飛んだ新は、大学を囲む土壁をぶち抜き、樹形トレントを巻き込み外に消えて行く。


 東条もそれを追い、跳躍する。



 その一連の光景は、決して喧嘩などではなく、紛れもない蹂躙であった。



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