16


 

 東条は思う。こいつの正体は蛇ではなくハムスターだったか、と。


 意地汚さ極まる言語崩壊だが、この場所に彼女の言葉のニュアンスを聞き取れない者はいなかった。


 特に藜は濁った眼を見開き、再び活力を取り戻し急いでソファに座った。


「それは本当か?嬢ちゃん」


「んぐ。……嬢ちゃんじゃない。ノエル」


「これはすまない、ノエル。で、それは本当か?」


 詰め寄る藜を気にした風もなく、余裕綽々と茶を啜る彼女。


 自分だけが今最も必要とされている情報を持っていることに、優越感的何かを感じている。


 東条は思う。ガキかこいつは、と。いや、ガキだったか、と。


「本当」


 藜の口が嬉しさに歪む。喜んでいるのだろうが、傍から見ると正直怖い。


 それを横目に、東条は呆れたようにノエルを睨んだ。


「何でさっき言わなかったんだよ」


「お菓子おいしかった」


 藜に続き、今度は彼が頭を抱える番であった。

 その欲望に忠実すぎる理由に、三人の目が点になる。


「ハハハハハッ、おいっ、ノエル嬢にもっと菓子を運んでやれ!」


 爆笑する老爺が給仕を呼びつけ、茶菓子の追加を要求する。


「いいの?」


「あぁ遠慮するな。たんと食え」


 ノエルの目が輝く。


「おじいちゃん良いじいちゃん」


「……おぉ、何か今キュンときたぞ。これが孫というものなのか?のぅボス!」


「知らないよ」


 真のおじいちゃんに目覚めた老爺が、興奮にはしゃぎだす。


 一瞬で空気を弛緩させたノエルを、東条は素直に凄いと思った。……狙ってやったかは別として。



 新しく運ばれた菓子を前に、ようやく本格的な商談が始まる。


「じゃあ早速聞かせてくれ」


 どら焼きを両手に、ノエルが目を細めた。


「猿の前に金の話。ノエルの持つ情報がそっちの納得いくものじゃなくても、ノエルは知らない。後からぐちぐち言われるのは嫌い」


「ほぅ……」


 三人が少しだけ驚いた顔をする。

 目の前の少女が、只の食いしん坊ではない事を理解した。


「いいね。いくらがお望みだ?」


「一億」


 芋ようかんを立てて一を表す。


「いいだろう。交渉成立だ」


 どんな情報かも分からないのに、一億は多すぎだろう。

 そんな東条の懸念とは裏腹に、藜は二つ返事でその額に応じた。


「支払方法はどうすればいい?聞けば口座がないようだけど、こちらで作ろうか?」


 至れり尽くせりの内容に、東条は混乱する。

 それ程までに猿の情報は貴重なのか?

 実は自分達の知らない何かがあるのでは?

 口座を作るのを条件にして、別の何かを要求するとか?


「いらない。どうせグレーなルートで作る。ノエル達は国とも取引する。バレたらめんどくさい。


 口座も既に国に作らせてる。今は絶対に振り込むって約束してくれるだけでいい」


 頭を回転させる東条を他所に、ノエルは即答する。


(え、待って、口座作ってんの?俺それ知らない)


 彼を置いて話は進む。


「約束か、口約束でいいのかい?」


「別にいい。信用に足らないと判断した時点で、ノエルは嘘を吐く。

 もし金が振り込まれなくても、それに見合った制裁を加える。

 ノエルは一度会った生物の場所を把握できる。

 ノエルは人の感情を見れる。


 今言った事をよく考慮したうえで、勝手にして」


(え、何その能力、俺知らない)


 ヤクザの組長と幹部相手に、弁明不可能の脅しである。


 老爺はもうノエルの度胸と可愛さに当てられ、横に座り菓子を与えている。


 藜の目も既に子供を見る目ではない、一人の取引相手として彼女を見ている。


「いやぁ、いいね。とてもいい。……了解した。肝に銘じておくとしよう」


「ん。契約完了」


「よろしく頼むよ」


 彼女と藜は互いに握手を交わした。


(……なんかカッコいいなー)


 東条はそんな光景を、羨ましそうに眺めるだけであった。



「ノエルが猿を見たのはここら辺」


 彼女は目白駅近くの大学を指さした。

 給仕の横にいた書記らしき人も傍に寄り、カリカリとペンを走らせる。


「うじゃうじゃいた。三百匹くらい。

 一匹一匹はそんなに強くないけど、頭が良い。ボスを一番上に置いた命令系統が出来上がってる。


 それに、あのボス猿は普通じゃない。……似た匂いがした(ボソッ)」


「普通じゃないってのは?」


「多分、覚醒してる」


 東条がピクリと反応する。

 cellを持ったモンスター、予想はしていたが、やはりいるのか。


「覚醒?そりゃなんだ?」


「別料金」


「ははっ。いくらだ?」


「五百万」


「乗った」


 一言二言で大金が移動する。経験したことのない状況に、東条の金銭感覚が狂い始める。


「巷で魔法と呼ばれてるのとは別の力。

 ノエル達はcellって呼んでる。ごく希にその力に目覚める生物がいる。それが覚醒。

 ……ここにも数人いるはず」


「……ノーコメントで」


「ん」


 藜が微笑む。


「固有の特殊能力を持った個体か、厄介だね」


 紅が菓子を摘まみ、東条の横に座る。

 自分の陣営に誰もいなくなり、藜の笑みが引き攣った。


「覚醒条件は?」


「不明」


「ま、そりゃそうか」


「ノエルが分かる猿の情報はこれくらい」


 彼女は老爺の差し出した大福に齧りついた。


 藜はソファに凭れ、今までの情報を反芻する。


「……いやぁ、充分だ。最高に価値ある時間だった」


 満足気に笑い、天を仰ぎ獰猛な笑みを浮かべた。


「ん。良かった」


 ノエルとしても、満足してもらえたようで何よりだ。これからの商談も穏便に進められるはず。


 そう考えていると、藜が単純な疑問を口にした。


「……一つ良いかい?ノエル。正直俺もここまでの情報を貰えるとは思ってなかった。

 どうやって調べたんだ?企業秘密ならいいんだがよ」


「別に。ノエルの餌取ったから巣を半壊させてやっただけ」


 大したことではない、と言ってのける。


 しかし初耳の東条からすると、ノエルと互角に殺り合えるモンスターが近くにいたという事実に驚愕である。


 どうせ「まさとノエルなら余裕」とか言い出すのだろうが、そういうことは先に教えてほしい。


 そして驚愕していたのは、何も東条だけではなかった。


「……猿共の巣を、半壊?」


「康がビビるわけだよ」


「ほれ、栗饅頭だぞ。いるか?美味いぞ?」


「ん」


 口振りからして、彼等も猿の強さを知っているのだろう。

 それ故、彼女が成した事への驚きも大きい。


「分かってた事だけど、強いなー……」


 藜はどこか悲しそうな、羨ましそうな目でノエルを見た。


「その動画はないのか?」


「ない。まだまさと出会う前」


「ははは、味方無しでか。……俺もノエルを見習わないとね」


 呟かれた言葉には、どこか自戒の様なものが込められていて……。


「?」


「気にしないでくれ。こっちのことだ」


 元の濁った眼に戻った藜が、薄く微笑む。

 彼はテーブルの上の紙切れを再度拾い、ちらりと目を通した。


「君達面白いから、やっぱ俺も残るよ。他にも色々聞かせてくれ」


「ん」


 ――それから彼等は、たまに腹を探り合いながらも、動画を見たり菓子をつつきつつ、和気藹々と情報の売買を進めていった。

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