第70話

 


「ブギェェェッッ⁉」


 またがっていた葵獅は、目を焼かれ滅茶苦茶に暴れる黄オークに振り落とされる。

 そのまま飛び跳ね、佐藤の隣へと戻ってきた。


「……上手くいったな」


「ふぅ、やっぱり疲れますこれ」


 どんな生物も、目が見えなくなってしまえば大体は詰む。

 黄オークとてそれは例外ではない。

 幾ら高い魔力を持っていても、天変地異でも起こせない限りこの現状をひっくり返すのは無理である。


 辺りに撒き散らされる風塊が、四方八方に瓦礫を巻き上げる。


「どうする?近づけんぞ」


「魔力切れを待つのがベストかと」


 このまま暴れさせておけば、いずれ動けなくなるのは明白。

 佐藤が風魔法で相殺していると、



 ピクリ、



 オーク達の鼻が何かを感じ取った。


 しかし、人間達の中にその微かな反応に気付く者はいない。


 代わりに、異常なほどの豪風が室内に吹き荒れた。


「――っなんだ⁉」


「――ッ」


 その全てが、両手で掲げられた棍棒に収束していく。


 はち切れんばかりのそれは、明らかに自分でも制御しきれていないのが見て分かる。

 あんなものを放てば使用者も無事では済まないだろう。


「お二人共ッ‼逃げろ‼それはマズいッ‼」


 既に外の戦いを終え、中を見ていた若葉が叫ぶ。


「「――ッ」」


「ブㇽォオッッ‼」


 二人が若葉の声に反応するのと同時に、棍棒が地面に衝突。


 無理矢理一点に集められた風が拡散し、脆くなっていた床を爆砕した。


 オーク三体、人間人、成す術無く下階へ落ちていく。


 途中、


「――っぬぁ⁉」「――ッ東条さん⁉」


 空中で二人を捕まえた東条が、全力で彼等を穴までぶん投げた。




 ――落下後、東条は漆黒の球体の中から、何事もなかったかのように顔を出す。


(この程度の高さなら、わざわざ助けなくても大丈夫だったか……)


 瓦礫を退かし上を見上げると、次々と沢山の顔が現れる。


「――っ桐将⁉桐将っ‼」


「無事か東条っ⁉」


「あぁっ、無事だ!」


 手を振るその姿に、紗命は安堵の溜息を吐く。


 彼の能力を知っていても、心配せずにはいられなかった。



 辺りを見回し、奴等を探す東条。


 今の衝撃で死ぬほど軟ではないはずだ。


「……あ」


 十m程先を疾走する黄オークと、遅れて走る二体のオークを見つけた。


「トドメ刺してくるッ――」


「あっ、ちょい!」


 すかさず弾丸の様に飛び出す彼を呼ぶも、間に合わず。


「もぅ……待ってるからね」


 伸ばした手を胸に抱き、愛しい彼の無事を願った。




 ――「止―まーれーやァッ‼」


「ブっぼぼぼぼぼ、っ――」


 一体の後頭部に飛び蹴りし、顔面スケートボードをかます。


 流れる様に牛刀を脳天に突き刺し、次の一体に飛び掛かった。


「ラァッ‼」


「ブぎゅへっ」


 漆黒の腕で頭蓋を陥没させ、そのまま先を走る黄オークに弾き飛ばす。

 回転しながら飛んでいく巨体は、しかし急ブレーキをかけた背中に弾かれた。


 ……黄オークは牙を震わせ、見えない目で東条を睨む。


 その手に棍棒は無く、先の衝撃で右腕は壊れている。


「勝手に攻め込んどいて逃げてんじゃねぇよ」


「ブフゥ、ブフゥ、――ッ」


 瞬間、黄オークの左手に先程と同等以上の暴風が収束する。


「なっ、嘘だろっ⁉」


「グブァアッ‼」


 天高く掲げた両手を振り下ろし、黄オークは自らの足場を再び爆砕した。





 ――黄オークは只、逃げたかったのだ。


 自分を脅かす存在から、只々逃げたかっただけだった。


 それは葵獅や佐藤でもなく、ましてや東条でもない。


 他のゴブリンの群れを乗っ取り、自分達と一緒にこの建物へ追いやった存在。


 そう、彼はこのデパートまで逃げてきたのだ。


 そこでやむを得ず戦闘になり深手を負ったが、ずっと向けられていた殺気が、一瞬自分達から外れたのを感じた。


 だから一か八か地面を砕き、逃走を図った。





 あと少しなのだ、あと少しで奴から逃げられる。


 こんなところで、止まっている場合では無い。





 腕を叩き下ろす黄オークの表情は、耐え切れない恐怖に歪んでいた。




 ――「……何がしてぇんだよ」


 反動で上半身がひしゃげ、瓦礫に埋もれた黄オークを見下ろす。


 荒い呼吸を繰り返す音も、次第に弱くなり、やがて消えた。


「……」


 煮え切らない感情のまま、静かに眠る遺体に背を向け、彼は帰路についた。

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