第792話 仲介者
一週間前の会合の直後、烏丸内閣は総辞職した。議会での勢力が足りない彼等に追い討ちをかけるようにして第一党の『共和制運動』党首波多野秀基は西園寺基義の支持を取り付けて内閣を組閣し、烏丸派は野党に落ちた。先の会談で何があったのか。別所なら知っているだろう。そう思いながらもこの切れ者がそう簡単に上司の赤松に口止めされているだろうその過程を話さないことは明石にもわかっていたが、明石は確認しなければならない衝動に駆られていた。
「でもあれだな。憲兵隊や公安の連中も大変だろうな。いつ烏丸恩顧の天誅組が波多野さんの首を取りにいくかわからないんだから」
そう言って魚住が笑う。海軍のもっとも西園寺大公に近い立場とされている第三艦隊所属の中堅将校である彼等にとって魚住の言葉はあまりに不遜に聞こえて明石は魚住をにらみつける。
「だってそうだろ?領邦放棄なんて胡州の屋台骨をぐらつかせかねない主張をしている学者さんを首相に据えたんだぜ?俺は領邦返上には大賛成だが利害が絡む中堅貴族の周りの連中もかなり揺れてるぞ。第三艦隊でこの有様なら他の将校や官僚達がどう考えているかなんて推して知るべしだぜ」
魚住の言葉は当然だと明石も思った。部屋住みの明石は貴族年金の対象になるだけの話だが、別所や魚住は領邦を持つ中堅貴族である。黒田も年金の中には赤松家の徴税管理を代行することによる禄があることも明石は知っていた。
「でも首相就任後はその手の発言は控えてもらっているからな。それに内閣には烏丸家の被官の面々も顔を出している」
「ああ、どうせ大臣の椅子を餌に一本釣りをしたんだろうな。まったくえげつない人だ」
別所の言葉を聞いてさらに皮肉を飛ばす魚住。明石もさすがにこの話題では魚住に同意しなければならなかった。
「そんな状況だから明石に会っとく必要があるんだ」
別所の言葉に明石はすぐにその意味を理解した。
「教導部隊はどの派閥も関係なく順番が回ってくれば仮想敵を演じて見せるのが仕事や。派閥や陸海の区別無く部隊長と顔を合わせとるのがワシってことか?」
そんな明石の言葉に満足げに頷く別所に明石は少しばかり違和感を感じた。
「職業上知りうる情報を他に漏らす言うんはでけへんことちゃうのんか?」
「そんな詳しい話を知りたいわけじゃない。雰囲気、所感。そんなもので良いんだ。他の部隊の連中がこの状況をどう捉えているかそれを知りたいんだ」
そう言って別所は立ち上がるとドアへと向かう。少し開いていた扉に顔をつけていた若い従卒を捕まえると明石を向き直る。
「ああ、小松。茶を入れてくれんかのう」
明石の言葉で別所から解放された従卒はそのまま外へと飛び出していった。
「アイツの気持ちも分かるよな。俺達は西園寺の旦那の尖兵扱いだ。どこに行ってもいつ動くとかどこが叛乱を起こすとか物騒な話題を振られて苦笑いの毎日だからな。ここの連中も神経質になってるんだろうな」
そんな魚住の指摘は正しいことを明石は一番良く知っていた。時には部下を率いて陸軍基地や演習宙域での模擬戦の時には露骨に明石への敵意をむき出しにする指揮官も珍しいことでは無かった。
「それはそうなんやけど……別所。ワレの方がよう知っとるような気がするんやけど」
明石の言葉が途切れたときに従卒がドアをノックする。
「おう、入れ」
上官の言葉を聞いてポットを抱えた小松と言う新兵が遠慮がちにそれをテーブルに置く。そしてそのまま入り口の隣の棚から茶と急須、そして湯飲みを取り出してテーブルに並べる。
「軍だけじゃなく会議と言う会議は迷走三昧だな。もう作戦や方針の優劣よりも西園寺派が白と言えば烏丸派は黒。それに誰が乗っかるかと言うような話題ばかりでめちゃくちゃだ。議会が機能しているから法令はちゃんと下りてくるし、予算も見通しが立てやすいはずなんだが、それをひっくり返そうと清原将軍なんかの息のかかった連中が怒鳴り始めて手がつけられない状況になるのがいつものことだ」
そう言うと別所は従卒の手から湯飲みを受け取り一口茶を口に含んだ。
「確かにな。俺もたまに会議で海軍省に出向くがほとんど意見がまとまったことなんてないぞ。散々怒鳴りあった末、その会議の議長が西園寺派なら内閣の指示に賛成。烏丸派なら意見書をつけて上に送り返す。まるで会議なんて意味が無い状況だよ」
魚住も茶に口をつけながらそう言った。
「やはり、大河内元帥が出てこないことには話が進まない状況ですよ」
手に湯飲みを握ったまま黒田がそう言って明石を見つめてくる。
「大河内さんか嵯峨さんあたりが仲裁に入らないとまずいのは分かるんだがねえ」
別所はそう言いながら湯飲みをテーブルにおいて頭を掻いた。だが、四人ともそれが難しいことは知っていた。海軍元帥大河内吉元は病床にあった。脳血管のバイパス手術でようやく集中治療室を出たばかりの老提督にこのめまぐるしく変わる政局や軍内部の調整を依頼するのは酷だった。また四大公第三位である嵯峨家当主の嵯峨惟基大佐は軍籍を抜けて現在は遼南皇帝の地位にあり、もし動いたとしても彼の発言で不利益を得る派閥が内政干渉と騒ぎ立てるのは目に見えていた。
「ちょっと待て、連絡が入った」
そう言って別所が携帯端末をポケットから取り出す。そのまま画面を見た彼は突然にんまりと笑って明石達の顔を見回した。
「その御仁の到着だそうだ。秘密裏に嵯峨さんが帝都に入ったそうだ」
別所の言葉に明石達は安堵の表情を浮かべて従卒を一瞥した後ゆっくりと茶を啜った。だが別所は不機嫌に黙り込んでいた。
「うまく行けば良いがな」
その言葉に明石は不安を隠すことが出来なかった。
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