秘密

第728話 秘密

「駄目です!本当に困ります!」 


 女子職員のすがりつくのを無視して、同盟司法局公安機動隊長、安城秀美少佐はかつての職場である東和国防軍保安部の部室を横切るように歩き続けた。周りで呆然と見守るのはかつての彼女の部下達。安城の強情さを知っている屈強な戦闘用のサイボーグ達は安城が同盟司法局に出向してから後に総務担当として配属になったばかりの小柄な女子職員がいくら騒いだところで安城を止められないことは分かっていた。


「昔の部下に挨拶するのがそんなに困ることなのかしら?」 


 一枚の明らかに他の扉とは違う防弾措置の施された頑丈な扉の前までたどり着いた安城の一言にただ泣きそうな顔で女子職員は頭を下げる。


「だから部外者の方を許可なく入れるのは……」


 半べそで女子職員はつぶやく。


「大丈夫よ。私はこの部屋で捜査活動に従事中の岡田捜査官のお招きでここに居るんだから……嘘だと思うなら……ほら……」 


 安城の言葉と共に重そうな黒い扉が触れることもなく開いた。女子職員はただあっけにとられて中に入っていく安城を見送るばかりだった。


「来るとは思いましたが……新人の事務官を虐めて楽しいですか?」 


 薄暗い室内。十畳ほどの部屋にはモニターと計器を接続するジャック、そしてサイボーグが直接ネットに接続するための装置が並んでいる。その中央には中背の禿頭の中年男が笑いながら椅子に腰掛けて慣れた調子で歩いてくる安城を眺めていた。


「ちょっとした社会勉強になったんじゃないの?世の中いろんな人がいるんだから。それより……その様子だと何もつかめていないみたいね……上から言われてるんでしょ、吉田俊平に関するデータを揃えろって」 


 小憎たらしい笑み。かつて自分の上司として働いていたときはあまり見ることの無かった人間的な笑みに岡田は自然と苦笑いを浮かべて頭を掻いた。


「まあ、そうですね。今のところ分かったことと言えば……吉田って男が相当東和国防軍を嫌っているってことくらいですよ。公安警察には顔を出しましたか?」 


「いいえ……その様子だと公安は国防軍うちのサーバを使って吉田の身元を洗おうとしたわね……」 


 安城の表情が厳しくなるのを見ると岡田はそのまま彼女に背を向けて自分用の端末のキーボードに手を伸ばした。目の前の画面と安城の手元の小さなモニターに大手のネット検索会社のサイトが表示される。


「こうして世の堅気の人々のサイトで吉田俊平と検索をかけると……当然ながらまあ会社の社長やら大学教授やらの名前が表示されることになりますよねえ。当然、あの男も東和で住民登録をして仕事をしているわけですから、何件かあの男のデータも検索に引っかかる……中堅の音楽プロデューサーとしても活動しているあの御仁のことだ。プロデュースした楽曲の一覧が延々と表示させる。まあ音楽に詳しい人間なら、わざわざ調べるまでもない話かもしれませんが」 


 岡田がキーボードを操作するとファンシーな壁紙のホームページが表示され、安城も見慣れたナンバルゲニア・シャムラード中尉の間抜け面とその隣で渋い表情を浮かべる吉田の写真が映し出された。


「私的なホームページの表紙?どうせ誰が知っても問題にならない程度の最新の音楽活動の予定がのってるだけでしょ?」


 安城は投げやりにそう言った。そのやる気のない表情に岡田は付き合うような笑みを浮かべ宇。


「まあ、一見そうなんですがね……だが、ちょっと更新した際の吉田のいた位置情報なんかの深い情報を探ろうとすると……」 


 そう言いながら岡田がキーボードを数回叩いた瞬間だった。室内の電源が完全に落ちた。そして同時に安城の上半身が糸が切れたマリオネットのように床に転がった。


「隊長!」 


「……これは……効くわね」 


 倒れていたのは一瞬で、安城はゆっくりと頭を起こすと穏やかに笑いながら椅子に座り直した。


「驚かせないでくださいよ……実際これで公安のハッカーが四人廃人になったんですから」 


 膝を叩きながら苦笑いを浮かべながら安城は立ち上がる。


「それほどヤワじゃ無いわよ。一応、その流れから次の展開は予想して防壁を張っといたから……でも個人的なサイトにまで……この警備網。ほとんど狂気の沙汰じゃないの」 


「まあ俺も引っかかりかけましたから……油断も隙も無いとんでもない野郎ってことだけはこれで分かりましてね。元々傭兵なんて違法な職業に就いている奴だ。まともな神経じゃないのは予想してましたが」 


 静かに岡田がキーボードを軽く操作すると部屋中のシステムが回復する。そしてそのまままじめに座り直した岡田は慣れた手つきでキーボードを叩き続けた。


「でも傭兵と言えば腕を売る仕事でしょ?嵯峨さんが目を付けてからだって彼はいくつか仕事は請け負ってたはずよ」 


「そうなんですよ……日の当たる人間には見えなくても日陰の人間には見える独特の気配というか……空気というか……存在感。俺もこの仕事でそう言う危ない連中には出くわしてきたが大体がとんでもない自己顕示欲の塊で、その癖、妙に用心深いところがある。なら……」 


 今度は安城の隣には極彩色縁取りの画面が映し出された。映る画像は裸の女が男達に囲まれてもだえる姿、安城は表情を変えずに振り返った岡田に目を向ける。


「アングラサイト経由……でもそれこそ公安のお手の物じゃないの。こっちで調べが付くならあなたのところに話は来なかったんじゃないの?」 


「俺も最初はそう思ったんですが……念のためってところでね。怪しいハッカーがゴロゴロ出入りしているこの世界で吉田の痕跡をたぐったところで何もつかめないのは分かってはいたんですが……何事も試してみるもんですよ」 


 そう謎をかけると岡田は再びキーボードに向かい片隅の黒い四角をクリックした。安城が予想したとおりその筋の人間だけが入れるようなパスワードを要求する胸ばかりが強調された女のイメージが表示される。岡田は何も言わずにパスワードを入力し、画面を切り替える。


「ここから入ると……租界のシンジケートのシステムに侵入できるっていうメリットがありましてね」 


「租界のシンジケート?それは穏やかじゃないわね。でもそれこそ警察関係者なら誰でも見ているんじゃないの?」 


「そう、警察関係者は誰もが見ている。そして警察関係者を監視する租界の連中もよく出入りするシステムというわけですよ……」 


 岡田の言葉の意味が分からずに安城はただ切り替わっていく画面を眺めていた。そして12回目のセキュリティーを突破した辺りで岡田は画面を固定した。


 黒い背景にただ検索用の窓があるだけの質素な画面。


「ずいぶん変わったところに出たわね」 


 興味深そうに安城が身を乗り出すのを見ると岡田は静かに『吉田俊平』と入力してエンターキーを押した。


 今度は画面いっぱいに吉田俊平に関する記事が並ぶ。


「国防軍のサーバーから直接入れるデータはすべてトラップが仕掛けられているのに……このルートだけは仕掛けが無い」 


「まあ国防軍の仕事は受けたくないってことでしょ。嫌われてるのよ」 


 あっさりと言う安城に岡田は苦笑いを浮かべる。


「で、それを確認するためだけに……ってなに?その顔」 


「いやあ、変わらないところもあるものだなと……」 


「余計なお世話よ。続けてちょうだい」 


 すねたように呟く安城を薄ら笑いで眺めながら岡田はキーボードを操作し続ける。


「まあそれを確認してそれだけで終わるってのも癪だったんで、3日ぐらいこの画面とにらめっこをしていましてね……そしたらあることに気づいたんです」 


 画面が切り替わる。一番上の『バリスト内戦における吉田俊平麾下の部隊の無差別殺戮行為に関する調書』と言う文字が消え、『タイタン総督暗殺犯を予想する』と言う記事に切り替わる。


「ずいぶんと物騒な話が並ぶのね……伝説の傭兵らしいというかなんというか……。でも今は同盟司法局の仕事で相当拘束されている人物についてそんなに調べて回る顧客が租界にそんなにいるのかしら?」 


「そうなんですよ……アングラの検索サイト。元々アクセス数なんてたかが知れているはず。その順位が数日でころころと変わる……そこでアクセスしている物好きを捜したわけです」 


「全くご苦労なことね」 


 再び画面が切り替わり、文字列が並んだ。住所。しかもすべて同じ『東和共和国東都港南区港南2-12-6』と言う文字列に変わる。


「同一人物が……でもおかしくない?港南は現在は再開発ブロックのはずだから人なんて……ダミーね」 


 安城の笑みに岡田は満足そうに頷くとそのまま住所をクリックした。すぐに画面が切り替わり、エラーが表示される。


「そう、ダミー。まあ租界の中の連中が正直に自分の身元を明かすわけがない……でもまあそこは俺にも意地がありますから……この住所でいくつか知り合いに問い合わせをしたところ……出て来たのはこの女」 


 画面に映し出されるピンクのサングラスのにやけた女の顔。そしてその隣には銃を構えて走る長い髪の女の写真が映し出された。


「物騒な写真ね……」 


「6年前……港銀行西口支店襲撃事件の実行犯の写真ですよ……フィルターをかけましたが同じ人物と出ました」 


「6年前……東都戦争の激しかった頃ね……で、身元は割れたの?」 


 安城の言葉に岡田は力なく肩を落として上目遣いに安城を眺めた。


「相手は塀の向こう側の住人ですよ……書面の上での身元なんてわかったって意味が無いでしょ」 


 そうため息をついた後、岡田はキーボードを軽く叩く。画面の下に文章が表示される。


「周りじゃあ『オンドラ』と呼ばれているらしいですが……まあ偽名でしょ。南アフリカ製の特注義体を使用しているって触れ込みだが……」 


「南アフリカ?ギルバート・オーディナンス社は倒産したはずでしょ」 


「そう、どれも噂の範疇でしかない。まあデータ管理は完全に素人みたいで、まあすぐに身元は割れました。その経歴たるや租界のアウトローにはらしい経歴ですよ。主に銃器を使った荒事を得意とする奴で人柄に関するデータにはどれも『金にがめつい』とある。まあ金の使い道は心得ているみたいですねえ……逮捕歴が無いですから」 


「租界じゃ金こそが正義だもの」 


 苦笑いの安城を見てそのまま岡田は端末の画面に振り返る。そしてそのままキーボードを連打し始めた。


「ただ、気になったのは金に汚い女ガンマンがなぜ莫大な成功報酬を取る一流の傭兵に興味を持ったのか……情報収集を依頼する相手にしちゃあ俺が見たこいつの情報収集能力は中学生並みってところだ」 


「世間知らずの金持ち?そんな知り合いがいるような人物かしら?」 


 首をひねる安城を予想したように岡田がキーボードを叩く手を止めた。


「確か……司法局実働部隊に胡州西園寺家のご息女がいましたよね」 


「ああ、西園寺かなめ大尉ね。……!」 


 何気ない岡田の言葉に安城の表情が急変する。その様子を読んでいたかのように岡田が満面の笑みで振り返った。


「あのお嬢様は4年前まで胡州帝国陸軍諜報工作局勤務だったはず……胡州の非正規部隊の作戦行動のデータを引き出すのはかなりのリスクがありますが……」 


「あの娘……確か東都戦争に参加したって公言してたわよ」 


「これでつながった訳だ!」 


 安城の言葉を聞いて岡田は大きく伸びをすると最後の仕上げというようにキーボードに手を伸ばす。そこには再び一般向けの大手検索サイトが目に飛び込んできた。


「こういうところはさっきの物騒なサイトと違って危ない情報には検閲が入って載らないようになっているわけですが……」 


 岡田は素早く『吉田俊平』と打ちさらに除外条件を入力して選択する。数件の情報が画面に表示される。


「この選ばれたデータ。すべてがあのオンドラが覗いたサイトだって言うんだから……」 


「吉田俊平は自分の関係の情報がオンドラの手に渡るようにトラップを外して回っているの?」 


「おそらくは……良い仲間が自分を捜しているからそれに協力しているんでしょうね……奇特な奴だ」 


 岡田は弱々しい笑みを浮かべて再び端末の画面に目を向けた。


「それにちょっと検索傾向に面白い法則がありましてね」


 そのままキーボードを叩くと画面に死体と思しき写真が映される。


「狙いは絞れないんですが……オンドラの姉ちゃんは吉田の情報を手に入れるたびに、死体を、それもサイボーグ絡みの死体を捜しているような雰囲気はありますね……時期とタイミング、そして狙いがサイボーグ。無関係にしちゃあできすぎている」 


「そのオンドラと……西園寺の姫君……」 


 安城は岡田の言葉に考え事をまとめようというように親指の爪を噛む。


「東都の街中なら胡州四大公の筆頭の次期当主の看板は役に立つ……塀の向こう側ではその地位が生み出す経済的利益が注目を集める……実はあなた、最近の西園寺家の金の動きも掴んでるんじゃ無いの?」 


 鋭い目つきが岡田に向かう。岡田は苦笑いを浮かべながら再びキーボードを叩いた。天文学的な総資産額が並ぶ帳面、そこに一財産と呼べる金額が一日で引き出されている事実が表示されていた。


「まあ確かにたいした金額だ……それでも西園寺家にしたらはした金というところですか」 


「それでもお人好しのお嬢様が仲間を助けようと引き出す額にしちゃあ十分よ。つまりこのまま行けば西園寺のお嬢様はあなたより先に真実にたどり着くと言う訳ね」 


 安城の言葉に頭を掻きながら岡田はうなづいた。


「癪な話ですが現実はそうなりそうですね……オンドラは東都では手配中の身ですから、代理の人物が近々あのお嬢さん方と接触をするはずですよ。出来れば……その時までに吉田の身柄を抑えたいんですが……無理のようですね」 


 今にも揉み手をしそうなにやけた表情を浮かべた岡田に呆れたような笑みを浮かべて安城は立ち上がった。


「まあ報告書に必要な分だけの情報が入れば連絡するわ」 

 

 それだけ言い残すとそのまま安城は岡田に背を向けて部屋を出ようとした。


「助かります」 


 岡田はそれだけ言うと再びモニターに向き直った。入り口の大仰なドアが開こうとする瞬間、岡田は思い出したように首だけ入り口に向ける。


「ああ、それと……国防軍(うち)のシステムの攻性防壁の設計者の名前なんですが……偶然にも『吉田俊平』と言うそうですよ……まあ二百年以上も前の話ですが……」 


「いくら義体化していても脳幹の細胞が死滅するほど昔の話ね。まあ参考程度に聞いておくわ」 


 それだけ言い残すと安城は自動ドアの向こうへと消えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る