砲台

第718話 砲台

 世間の喧噪とは無縁な場所、宇宙。遼北と西モスレムの対立が注目される中、ルドルフ・カーンはただ満面の笑みを浮かべながら同士達と薄暗い通路を歩いていた。彼がゲルパルトの意志を継ぐと称して同志を集め始めてすでに20年の時が流れている。彼としては現状は良い方向に進んでいるように感じられた。


「所詮……有色人種と異教徒のことだ……自滅するさ。しなければ裁きを下せばいい」 


 予想外の両国のネットワークダウンの情報を聞いたカーンは一瞬表情を曇らせた。通路を行き当たるととってつけられたような金属製の扉の前にたどり着いた。隣に立っていたかつての遼州星系最大の勢力を誇ったゲルパルト帝国、アーリア民主党武装親衛隊の制服を着た金髪の青年が正確な足取りでロックを解除し、不気味なうなりを上げながらドアが開く。


 薄暗く狭い部屋。中央には棺桶のようなものが横たわっていた。


『来ると思ったよ……』 


 棺桶の中から聞こえたのは人間の声ではなかった。


 合成音。人工的なその音に意味がこもっていることにカーンは内心苦々しく思いながらそのまま十畳ほどの部屋の中に三人の部下を連れて入った。


『銃を持った護衛か……あなたに協力を約束して以来、俺の体は固定されたままだというのに……用心深いものだな』 


 部屋の中央の棺桶。その上に墓標のようにあるのはモニターで、そこには発せられた言語のようなものと同じドイツ語の文面が表示されているのが見える。


「なあに。用心というものだよ。君は……本当に私の意志に沿って動いているのかどうか。いつもそれが不安でね」 


 カーンはそのままモニターを無視して透明な樹脂で出来た棺桶の中を覗き込む。満たされた冷却液の中で人間の白骨死体のようなものに多くのコードがつなげられている様が中にはあった。素人には死体にしか見えないものだが、知る人が見ればそれが軍用義体の慣れの果てであることは、所々に見えるむき出しの金属骨格の色合いで理解できただろう。


『確かに……あなたには敵が多い。それは本当に多すぎるくらいだ。尤も、半分以上はあなたの身から出た錆なんだけどね』 


「減らず口を……」


 思わずカーンはその骸骨に向けて笑いかけていた。もしその義体が笑うことが出来たらさぞ残忍な笑みを浮かべるだろう。


『こんなところに来た理由は遼北と西モスレムのネットワークのクラッキングの件だね。……予想された範囲の事態だよ。これまでがうまくいきすぎた。あなたの指示で両軍のサーバに領空を侵犯する相手国のアサルト・モジュールの疑似情報を流して2ヶ月。それから両国の不信と意思疎通の無さのおかげでこの状況を作り上げることが出来た……その時点で『管理者』はこちらの動きに気づいていたはずだ。反撃とすれば俺の予想より遅かったというのが今の俺の分析だけど』 


 モニターの中を流れるアルファベットの下に突然日本文で同じ意味の言葉が並ぶ。部下が思わずカーンに目を向けるが、カーンはまるで関心が無いというようにそのまま骸骨を眺めていた。


「君の『管理者』への恐怖はどうでもいいんだ。私が欲しているのはただ一つ」

 

『この砲台が動くかどうかだろ?でもいいのかい……せっかくの切り札だ。使うタイミングはまだこれからもあるかも知れないというのに』 


 骸骨の忠告。確かに目の前の物体の分析は正しいかも知れないとカーンは思うこともある。実際この東和宇宙軍のインパルス移動砲台の接収までにかけた費用は莫大なものだった。だが『管理者』……オリジナルの吉田俊平の消息がつかめない以上、この施設を使わずに捨てるほどカーンは寛大ではなかった。


『あなたの選択肢は確かに少ない……敵が多すぎるのは考え物だね。あのアドルフ・ヒトラーも敵を作りすぎて自滅した。確かに大衆を動かすには敵を作って彼等を攻撃する様を見せてやるのが一番手っ取り早い。強気な指導者はどんな世界でも人気者だ……』 


 皮肉のつもりだろうか。カーンの目は次第に殺気を帯びて目の前の骸骨を睨み付ける。


『怖い顔をしたところで状況は変わらないよ……要するに土壇場で菱川の総帥が日和見を決め込んでいることがあなたを焦らせているんだろ?』


 棺桶の中の義体の目が一瞬カーンを見つめたように見えたのはカーンの気のせいだった。ただその視線は天井に張り付いたまま動こうとしない。


『あなたの読み違いだね。菱川は最初からこんな状況になれば日和見を決め込む予定であなたに接触をしてきたんだ。遼州同盟は確かに東和には負担が大きい……だが地球との関係をつかず離れずに保てるという意味ではそれ以上の見返りがあると言っていい。彼は同盟の運命がどう転ぼうが勝者の側に立つつもりだ……実際すでにこの施設の存在にまつわる東和宇宙軍の情報はすべて抹消済みだ。この砲台がどんな災いを招こうがすべてはゲルパルトの過激派のテロ……東和は無関係で押し通せるように準備は済ませているようだ……はめられたんだよあんたは』 


 自分が想像していた最悪の状況を丁寧に説明してみせる機械人形。カーンの苛立ちは最高潮に達する。


「すると何か……貴様はその様子をそこで黙ってみていたのか?ずいぶんな出来の悪い参謀じゃないか」 


 思わず握りしめた拳。もしこの透明のケースに叩きつけたとしてもただ痛みを感じるのはカーンだけ。むなしい怒りにこの骸骨に表情があったらさぞ満足げな笑みを浮かべることだろうと想像している自分に腹が立ってくる。


『怒らなくてもいいじゃないか……高齢者の怒りは生産的とは言えないな。別に指を咥えてみていた訳じゃない。その抹消作業の状況はある菱川に遺恨を持つ人物のところに送付しておいた……その作業状況のファイルを最も効果的に使用してくれる才能を持つ人物のところだ……まああなたにとっては最悪の相手かも知れないが』 


「嵯峨か?」 


 確かにあの男なら菱川重四郎という狸を狩り出す腕はある。だが目の前の機械人形に指摘されるまでもなくカーンには悪意しか持たない男だった。


「確かに嵯峨が菱川をいたぶる様は見てみたいが……我々とのつながりが露見したらどうする?」 


『それが狙いだよ……あなたの組織は東和にも根を張っているという事実。それをあの男に見せるのは実に愉快じゃないか。自分の庭と思っていたものが実は地雷原だったというわけだ。このところあの男の動きが激しすぎたからな……多少動きづらくしてやるのもあなたの為と思ってね』 


「私のため?」 


 カーンは思わず自分の声がうわずっているのが分かった。機械を相手になんでこのように追い詰められた気持ちにならなければならないのか。自己嫌悪が背筋を走る。


『そうだよ。この砲台が衝突を躊躇(ためら)う二つの国家を遼州の地上から消し去ったとして……あなたは遼州で次の手がすぐ打てると思っているんですか?』 


「作戦は常に電撃的に行われなければならない!」 


『その考えがこんな状況にあなたを追い詰めたんですよ。今、砲台はあなたの手にある。それは迅速に使われなければならない。それは確かに事実だ。だがその後の混乱した遼州を予想してすでに手を回しているのは誰か?菱川だ。現に予定されていた約170時間後のこの宙域で司法局実働部隊の演習だが実施許可が下りたそうだ……』 


 最後の言葉はカーンも初めて聞く情報だった。


「そんな……奴等の行動は同志が把握しているはずだ!連中はそれほど情報管理に対して慎重じゃ無い!」 


『だとしたら『管理者』の意図が働いたようだね……司法局実働部隊の演習に関する情報を別の情報にすり替えてあなたの間抜けな同志達を欺く……『管理者』にとっては簡単な話だ。で、この砲台を司法局の馬鹿共に引き渡すかね?それとも……』 


 機械人形の指図を受けるまでも無かった。カーンの覚悟は決まっていた。


「結論は出ているよ」


 カーンは負け惜しみのようにつぶやいた。ただ沈黙だけが場を支配していた。

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