第709話 感傷
「つまらない話をしても仕方がない。それより……どこに行く?」
アイシャよりもさらに目立つエメラルドグリーンのポニーテールを揺らしながらカウラが呟いた。店からは会計を済ませた要が睨み付けながら出て来た。
「ごちそうさま」
「いつか倍返しだな」
「は?貴族はラーメンなんて下賤の食べるものは食さないんではなくて?」
「殺す……いつか殺す」
かなめが思わず殺気立つ。一方のアイシャは歌い出しそうな調子である。ただカウラは頭を抱えていた。
「そう言えば……今日辺り豊川市立植物園の梅祭りの最終日じゃ無かったですか?」
誠の何気ない提案にかなめの顔が曇る。アイシャはそれを見てうれしそうに懐から携帯端末を取り出した。
「ちょっと待ってね……あった。明日が日曜日で最終日よ。でも……まだ花はあるかしら」
「今年は梅は遅いと聞くぞ。大丈夫なんじゃないか?」
すでに行き先も無いだけに不満そうなかなめもついていくしかないと言う雰囲気を感じて、そのままカウラの赤いスポーツカーに足を向ける。アイシャが誠の提案が通ったこととそれにかなめが不満なのに満足したというように誠を振り返り満面の笑みを浮かべる。
「カウラ!早くドアを開けろ!」
かなめが叫ぶのを聞くとカウラはオートロックを解除する。明らかに投げやりにかなめは後部座席に這っていく。
「良い天気ね……梅見にはぴったり」
明らかに嫌みを込めたアイシャの言葉に後部座席に居を固めたかなめが恨みがましい視線をアイシャに向けていた。
「それじゃあ……」
誠は車内から睨み付けてくるかなめに恐れをなしてその隣に体を押し込んだ。
「狭いな……」
呼んでおいてこの扱い。いつものこととはいえただ苦笑いだけが浮かんでくる。
「なに……かなめちゃんはとなりが私の方が良かった?」
「テメエに触れるくらいなら死んだ方がいいや」
アイシャの皮肉に大げさな言葉で返すかなめ。その様子に苦笑いを浮かべながら運転席に体を沈めたカウラはエンジンをスタートさせた。
ガソリンエンジンの軽快な作動音。遼州系ならではの光景だが、この三ヶ月ばかり原油の値上がりは続いていた。
遼北は東和との原油のパイプラインに保安上の問題があると言うことで総点検を行っていた。それが西モスレムの挑発的行動により活動を活発化させていたイスラム過激派によるテロを警戒しての物だと言うことは誰の目にも明らかだった。
「誰か話せよ……」
ゆっくり車がラーメン屋の駐車場から出ようとする中、車内は沈黙に包まれていた。ガソリンエンジンの音を聞く度にこの数日は沈黙してしまうのが誠達の日常の一コマだった。誠が司法局実働部隊で過ごした9ヶ月ばかりの日々も彼等の意志とは無関係な国際的理屈の上で終わりを告げるかも知れない。そんなことを感じながら誠は黙って豊川の街を眺めていた。
「のんきなもんだな……次の瞬間には10億の人間がこの星の上から蒸発しているかも知れないって言うのにな……」
「人間なんてそんなものよ。先の大戦で外惑星や胡州軌道域で日に何億の人が死んでいるときにこの国の人達が何をしていたか……それを思い出せば人間の想像力の限界が見えてくるものよ」
いつにない悲観的なアイシャの言葉に彼女がその日に失われる何億の命の補給部品として作られた人造人間だという現実を誠は改めて理解した。
外周惑星諸国で4億、ゲルパルトで23億、胡州で12億。数を数えるのは簡単な話だが、先の大戦の死者はあまりに多かった。そしてその死と無関係どころかコロニーの破損で1千万人が窒息死した壁面の修復や核攻撃により3千万人の死者が出た衛星上都市の再建需要で急激な経済成長を遂げた東和の市民として自分が暮らしてきた事実は消すことが出来る話ではなかった。
「同情してくれれば生き返るのか?それこそ感情論で不毛だな。ここで議論をしたところで遼北と西モスレムの対立を止めることは出来ない。そして先の大戦の時も東和の市民がいくら地球と遼州の対立を止めようと叫ぼうともあの戦争は起きた……違うか?」
目の前で急停車した小型車を軽いハンドルさばきで避けながらカウラがつぶやく。そして誠は二人の人造人間の出自を思い出した。
ゲルパルトが劣っていた人口を補うために計画した人造人間製造プロジェクト『ラスト・バタリオン』。もしゲルパルトや胡州の枢軸陣営が優勢に戦争を進めてその必要がなくなっていたのならば、こうしてアイシャやカウラと誠が出会うこともなかった。たぶん二人はゲルパルト技術陣のゲノムサンプルとして冷凍庫の中で眠り続け、使用不能になった段階で破棄されていたことだろう。
「事実は変えられないんですね……」
「ケッ!今頃気づいたのか!」
かなめが馬鹿にするようにつぶやく。車はただいつも通りの大通りの昼下がりをいつも通りに走るだけだった。
「梅を見るのに……辛気くさい話はやめましょうよ」
アイシャの言葉で誠は我に返った。確かにいくら思いを巡らせてもどうにもならないことは世の中にはある。
「そう言うことだ……アタシ等は謹慎中の身だ。出来ることはしたんだからいいじゃねえか」
「なるほど、西園寺もたまには良いことを言う」
「たまには?聞き捨てならねえな」
そう言いながらもかなめの表情は笑っていた。確かにその笑いに力はない。諦めたような空気が漂う。ただそれ以上誠も思い悩むのは止めることにした。
早春の街はいつもと変わる様子は無い。去年までの山奥の訓練校からすればかなり活気のある街。大学時代まで下町の実家で過ごした誠には少し寂しげに感じる豊川の郊外の商店街の景色。
人はそれぞれにやや力を帯びてきた太陽を見上げて季節を堪能している。確かにそれが次に何が起こるか分からない国際情勢と無関係であったところで彼等を非難することは間違っているように誠には思えた。
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