第697話 大人の事情

 出て行った誠達を見送ると嵯峨はタバコに火をつけた。


「隊長……」 


 半分呆れたような口調でランがため息をつく。嵯峨は気にする様子もなくそのまま拳銃のスライドを手に取るとやすりで削り始めた。


「アイツ等行くところまで行くかもしれませんよ」 


「まあそれもいいんじゃねえの?いざとなったら俺が辞表を書けば済むことだからね……」

 

 あっさりとそう言ったまま嵯峨はひたすら作業に没頭している。


「ならあんな突き放すような言い方は……」


「子供じゃないんだからさ。いざとなったら俺が助け船を出してやるなんて言ったら失礼じゃないの。それに俺は吉田の行方を知らないし、知りたいのは事実だから」 


 嵯峨の最後の言葉にランは意外そうに首をひねった。


「『草』や『外憲』も掴んでないんですか?」 


 『草』と『外憲』と言う言葉に嵯峨は眉を顰めながらランをにらみ付けた。ランはその殺気のこもった視線に珍しく口ごもって黙り込んだ。


 『草』とは遼南王家直属の諜報組織として嵯峨の祖母ムジャンタ・ラスバ女帝により組織された非公然組織であり、その行動目的は各地に身分を隠して潜伏し、遼南王家に情報をもたらすことと言うことは知られていたが、その実態はランもよくは知らなかった。現在は嵯峨のコントロールにあるとされるが実際どの程度の情報が嵯峨にもたらされているかはランも確認できていない。


 その点、『外憲は嵯峨が先の大戦で胡州帝国陸軍憲兵隊遼南方面外事憲兵隊として活動していた際の指揮していた部隊なのである程度の輪郭はランも承知していた。


 20年前。ゲルパルト帝国、胡州帝国、遼南帝国の遼州三枢軸国家は地球に対し宣戦を布告した。


 これによって発生した第二次遼州戦争だが、遼南帝国は暗君として知られたムジャンタ・カバラ帝は政治に飽きて酒色に溺れる有様で、王権打破を叫ぶ革命勢力が隣国の社会主義国である遼北人民共和国の支援で活動を活発化させていた。


 王権の命運はすでに朽ちようとしていた。胡州帝国はそれを立て直すべく治安維持部隊として外地派遣憲兵隊を組織して派遣し治安維持の補助活動に当たらせる部隊を編成した。その部隊こそ、『外憲』であり、その部隊長がムジャンタ・カバラ帝の嫡男であるムジャンタ・ラスコーこと嵯峨惟基少佐であったことは歴史の皮肉以外の何者でもなかった。


 『外憲』は遼北の赤化細胞活動に対する徹底的な武力制圧活動を行った。いくつもの村が一人のゲリラを出したという理由で女子供の例外なく処刑された。その処刑はすべて嵯峨の手で行われたと言われている。


 枢軸側の敗北を察知していた嵯峨は戦後、戦犯として極刑に処される為に米軍指揮下の反乱軍に投降した。それは嵯峨の部下達が地下に潜伏するための時間を稼ぐためだった。


 胡州の敗戦で表舞台から姿を消した嵯峨の部下達がその後の遼南共和国政府軍と人民軍との間に繰り広げられた遼南内戦時、人民軍兼州派の尖兵として活躍したことはよく知られていた。


 潜行、欺瞞工作、煽動、暗殺等の共和国政府軍の活動を鈍らせるあらゆる非正規部隊としての活動はランもよく知っていた。そしてそれでも彼等がカバラ帝時代のゲリラ狩りの際に敵対した赤軍首脳部との確執から日の当たる場所を歩けない身分であることも十分に予想が出来た。


 そして現在でも彼等は嵯峨の為に情報収集活動を行っていた。彼等は嵯峨の庇護無しでは永久に追われる日陰者にすぎない。だがその活動の成果は嵯峨の政治的発言力という形で世界を確実に変えつつある。勲章や名誉とは無縁の『外憲』の面々が嵯峨個人への恩の為に活動をしている気持ちは共和国政府軍と言う敗軍の将であるランを東和軍に推挙してくれた嵯峨の繊細な配慮を知っているだけに十分に理解できた。


 そんなランの視線を感じてか、銃の部品を机に置くと嵯峨は頭を掻きながら欄を見つめた。


「連中も……いつまでも俺に頼ってばかりじゃ困るだろ?まあ今回はさらに遠慮なく頼れる立場にいた吉田が行方不明って訳だから自分でなんとかしないといけないわな」 


 嵯峨がにやりと笑う。ランは呆れたようにため息をついた。


「そこまで分かってるとして……西園寺が暴走しますよ」 


 諦めかけたようなランの声に嵯峨はそのまま拳銃のスライドを静かに手にしてヤスリをかけ始める。


「まあいいんじゃねえの?俺も初めはそうだったしな。少ないとはいえ経験や人脈があれば使えるように訓練しておくことも重要なお仕事をこなすコツだよ。特に捜査関係、司法関係の仕事で情報収集をしようとすれば多少の無理が利く人脈を作っておくのも悪くはないだろ?まあそういうコネがあればの話だけど」 


 それだけ言うと嵯峨は丹念に拳銃のスライドの溝をヤスリでこする手に力を込める。


「そうなると西園寺は……『東都戦争』の時の人脈を使いますよ」 


 ランの表情が嵯峨とは逆に真剣なものへと変わる。


 東和の首都、この東都の沿岸部の『租界』と呼ばれる遼南共和国亡命者居住区。そのシンジケート同士の大規模抗争である『東都戦争』と呼ばれる一連の抗争事件があった。


 かなめはその背後で胡州陸軍の表沙汰にはされていない権益の確保のために非正規活動に従事していた過去を持つ。そのコネクションが真っ当な司法機関の情報収集活動の領域を超えることはランにも予想がついた。


「いいんじゃねえの?シンジケートの人間は軍人や警官よりも信用できるよ。アイツ等は利益で動くからな。金を握っている限り裏切ることはないから扱いやすい。それこそ初心者向けだよ」 


 平然と言い切る嵯峨。非正規活動の経験の無いランには目の前の元憲兵隊長が何を考えているのか分かりかねてただ黙り込むしかなかった。


「話は変わるけどさ……遼北と西モスレムの衝突。やっぱりかなりヤバイらしいな」 


 嵯峨は手に着いた油が後頭部にべったりと張り付いた事に気がついて顔を顰めながらランに目をやった。


「それは突然の話題転換ですね……まあ、ヤバイのは誰でも分かると思うんですが……」 


「いやあ、両軍の引き離しをやってるシンからの連絡でね。両軍の部隊長クラスは嫌がってるらしいが……前線の兵隊連中が挑発行為を勝手に初めているらしい。発表はされちゃいねえがすでに死者は二桁になったらしいぞ」 


 ランが正規の情報経路で得た限りでは死者が出たという報告は無かった。それを嵯峨が自分でそれを知った訳では無く生粋の軍人である同盟軍事機構の部隊長であるアブドゥール・シャー・シン少佐からの伝聞と表現したことにランは少し疑問を感じた。


「本当にシンからですか?」 


「そうシンから。うちのOBだからな、あいつも。仲間思いの情報通が教えてくれたんだろ?」 


 嵯峨の言葉でランはようやく答えにたどり着いた。


「仲間思いねえ……あの吉田がですか……」 


「仲間だよあいつは。吉田の野郎……何か掴んでいるはずなんだ。だから姿を消した。起きるぜ……きっとそう遠くないうちに予想もしていなかったようなことがね」 


 不謹慎な笑みを浮かべる嵯峨を呆れつつ、ランは大きくため息をつきながら頭を掻いた。

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