第659話 危険物

「ナンバルゲニア中尉……」 


 最初にシャムに気がついたのはその機械に取り付けられた端末に何かを入力していた西だった。


「これって何の機械なの?」 


「知らないで乗っかったんですか?」 


 シャムのあまりに素直な質問振りに呆れながら西は周りを見渡して口元に手を当ててシャムに静かにするように合図した。


 周りを見渡す。気の利きそうな古参兵の姿は無い。新入隊員達は自分の仕事で汲々としているようで誰もシャムとアンの姿には目も向けていなかった。


「そのまま静かに降りてください」 


 西の言葉にシャムはどうやら自分が降り立った機械が相当やばいものだと察してアンを連れて静かに地面に降り立った。


「あのさあ、西君。これ……何の機械?」 


「本当に……知らないで乗ったんですか?」 


 西があきれ果てたというように天井を仰ぐ。そして静かに西がつぶやき始める。


「アサルト・モジュールの主力エンジンの燃料は知っていますよね?」 


「反物質……主にヘリウムから合成した……」 


「そこまで分かっていればいいですよ。反物質が一旦こう言う外界に出て大気中の物質に触れたらどうなります?」 


 うつむき加減でいかにも怖がらせようと言う意図が見え見えの西の言葉に苦笑いを浮かべながらシャムは頭を掻いた。


「わかんない」 


「中尉!大爆発です!対消滅爆発!」 


 つい飛び出したアンの激しい言葉。シャムはとりあえず対消滅爆発が相当なすごいことだと言うことだけは理解して暗い表情の西を見つめた。


「で?」 


「で?じゃないでしょ!そう言う物質をエンジンから各動力部に分配しているわけですがその残留物質を安定化させて保存するのがこの機械です!」 


「そう、安定化は大事だからな」 


 突然の声に西が振り向く。そこには満面の笑みの島田が立っていた。


「西、貴様はナンバルゲニア中尉達があのパイプを降りてくるのを黙って見ていたわけだな?」 


「班長!自分は……気づかなくて……」 


 西の顔が次第に青ざめる。島田の笑みがどちらかと言えば怒りから発した笑みだと分かってシャムは逃げ出したいと言うように周りを見渡した。


 遠くで吉田が様子を伺っている。西は助けを求めるべく視線を投げるが吉田はぷいっと背を向けてそのまま詰め所に上がるハンガーへと歩き始めてしまっていた。


「ナンバルゲニア中尉……中尉も中尉ですよ。俺はちゃんと通路を通るように言いましたよね?」 


「言ったっけ?」 


 とぼけるシャムだがじっとりと脂汗が額を流れる。そして自分の言葉が明らかに島田の怒りに火をつけたのが分かって後悔の念にさいなまれた。


「西!テメエ何年ここにいる!」 


 怒鳴りつける島田、両手を握り締め、いつでも西の胸倉を掴みかかれるような体勢で三人をにらみつけている。


「もうすぐ……二年に……」 


「だったらテメエが何を扱ってるかくらいわからねえのか!事故じゃ済まないんだよ!こいつが吹っ飛べばもう災害なんだよ!もう町一つ消し飛ぶんだよ!それを……見てませんでした?ふざけるな!自分の目が届かないなら監視に新兵捕まえとくとか方法があるだろ!ちっとは頭を使え!」 


 西を怒鳴りつけた後同じく殺気を込めた表情でシャムを見つめる島田。シャムとアンはただその迫力に押されてじりじりと引き下がった。


「中尉……別にここは俺達技術屋の神聖な場所だから土足で入るなとは言いませんよ……でもねえ」 


 一応はシャムの階級は中尉。ましてや遼南では『白銀の騎士』と呼ばれた伝説になるべきエースである。頭から怒鳴りつける勇気は島田には無かった。


「俺達も必死で仕事をしてるんですよ。仕事ってのは中尉達の機体が安全に運行できるようにすべての機材のチェックを行うことなんです。ですからあんまり勝手なことされると……俺だって西を怒りたくて怒っているわけじゃないんですから……その辺分かってくれます?」 


 しゃべりながら半歩ずつじりじり迫ってくる島田の迫力にシャムは思わずのけぞった。


「う……うん分かった」 


「そうですか……わかってくれましたか……」 


 そう言うと島田は身を引いて大きく深呼吸をした。シャムはようやく嵐が過ぎたと言うようにため息をついた。


「一応、このことはクバルカ中佐に報告しますんで」 


「え!」 


 冷静に放たれた島田の言葉に飛び跳ねるようにシャムは驚いた。島田はあまりシャム達のミスを上に報告したりはしない。逆にそのことで自分の直属の上官である技術部長の許明華大佐に怒鳴りつけられている姿もシャムは何度か見ていた。その島田がシャム達の行動をランに報告する。シャムは自分のしたことを悔いながらうなだれたまま島田に敬礼した。


「ハンガーにはそれだけ危険なものがあるんですよ」 


 去っていくシャムとアンの背中に慰めるような島田の言葉がむなしく響いた。


「すみません……僕が注意していれば」 


「アン君は悪くないよ。私のせい」 


 申し訳なさそうなアンにそう言うとシャムはとぼとぼとハンガーを歩いた。整備班員も先ほどの島田の雷を見ているだけに落ち込んだ二人に声をかけることも出来ずに知らぬ顔で通り過ぎていく。


 そのまま階段を上り、管理部の透明のガラスの向こうで作業を続ける事務員を眺める。月末も近い。当然のことながら管理部の忙しさは半端ではなかった。


「はあ……」 


「落ち込まないでくださいよ……」 


 シャムのため息に悲しそうにアンが答える。そのままシャムは廊下を進み実働部隊の詰め所の扉を開いた。


「おう!シャム。反省文。四枚な」 


 小さなランがシャムの机にある紙を叩くとそのまま自分の席へと戻っていった。奥でニヤニヤしているのは吉田。


「俊平……ちくったな!」 


「人聞きが悪いことは言うなよ。あれの中身はお前も何度か聞かされてたはずだぞ?……ははーん。忘れてたな?」 


「俊平!」 


 シャムが叫んだ途端、ランが自分の机を思い切り叩いた。かなめは首をすくめてこの部屋の主を見た後ニヤニヤ笑いながらシャムを見つめてくる。


「くだらねー争いは止めろ。それと付け加えると反省文はボールペンで手書き。誤字脱字があったら即再提出だからな」 


「はーい」 


 シャムはそう言うと自分の机に向かった。


「あのう……中佐。自分は?」 


「アン。テメーはあれだろ?シャムのあとについて降りたそうじゃないか。それにこいつは士官。テメーは下士官だ。士官は部下の見本とならなきゃなんねーよな。と言うわけでテメーは自分で心の中で反省しろ。反省の形は先輩で上官のシャムが残す」 


 そう言うとランが一息ついたというように目の前の端末を終了させた。


「シャム!反省文は今週中でいいぞ。どうせオメーのことだから明日までとか言うと誤字脱字ばかりでオヤジさんに出せるようなもんはできねーだろうからな。それより8キロ走!」


「はいはーい」 


 いかにも面倒ですと言うように立ち上がるのはフェデロ。正面の岡部はやる気があるようで即座に立ち上がると足首を回して準備を始める。

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