第641話 高貴な趣味
シャムはそのままスキップするようにして階段を駆け上がった。扉の開いた医務室では先ほどはシャムにびくびくしていたはずのドムがすでにお決まりの白衣を着て伸びをしながらシャムを見つめていた。
「早くしろよ!」
顔を真っ赤にしたドムの声に手を振るとそのまま廊下をスキップして進む。男子更衣室からは次々とつなぎを着た整備班員が吐き出される。
「みんなおはよう!」
元気なシャムの声に苦笑いとともに手を振りながら隊員はそのままハンガーへ続く道を走る。
「今日は明華の姐御は待機だからな……アイツ等も少しは楽できるだろ」
コンピュータ室のドアに体を預けて立っていた吉田にうれしそうにシャムはうなづく。
「おい!シャム!吉田!早くしろよ!」
機動部隊の執務室から顔を出して叫ぶかなめ。シャムと吉田はその声にはじかれるようにして部屋に飛び込んだ。
「ぎりぎりセーフ! 」
「いやアウトだ」
シャムの言葉をランは一言で一刀両断する。彼女は先日の誠達が解決に道をつけた違法法術発動事件の報告書の浮かんでいるモニターから目を離そうとしない。
「それランちゃんの時計ででしょ?私の時計は……」
「秒単位での狂いなんてのは戦場じゃよくある話なのはテメーが一番よく知ってるだろ?アタシはここのトップだ。アタシの時計がうちの時計だ」
淡々とそう言うとシャムは明らかにその小さな体にしては大きすぎる椅子の高さを調節する。
「災難だな」
シャムが自分の席に着こうとすると後ろの席のかなめがニヤニヤ笑いながらシャムの猫耳をはじいた。
「それにしても……」
吉田がそう言ったのは明らかに場違いな格好をしている人物がいたからだった。彼女の姿は猫耳にどてらと言うシャムの姿の遥か上を行っていた。
赤い鳥打帽にチェックのベスト。本皮のパンツに黒い同じく皮のブーツを履いている。
「かえでちゃん……」
「何だね、ナンバルゲニア中尉」
「猟に行くの?アタシを置いて」
「先週話したはずですよ。忘れてたんですか?」
第三小隊小隊長嵯峨かえで少佐の身なりを見て呆然としていたシャムだが、そんなシャムの言葉で今度は驚いたのがかえでだった。
「今日は午後から猟友会の猪狩です」
「あれ?そうだったの?ランちゃん……」
シャムは助けを求めるようにランを見る。ランはため息をつくとそのまま吉田に目をやった。
「半日休暇届。出てましたね」
「でてたな。かえでのと渡辺のは」
「そうだったの?」
とぼけたシャムの言葉に改めてランが溜息をつく。
「いいねえ……午後から優雅に猪狩か……貴族の楽しみじゃねえか」
茶々を入れるかなめ。そんなかなめを見て急にかえでは目を輝かせた。
「お姉さまもいかがですか?」
かえでの『お姉さま』の一言は強烈だった。つややかな響きのその言葉にかなめが凍りつく。それまでは自分の事務仕事に集中していた第四小隊のロナルドが低い笑い声を立て始める。
「な、な、なんでアタシが猪追っかけて野山を駆け巡らなきゃならねえんだ?それに午後はうちの御大将と落ちこぼれ隊員一号が帰ってくるんだから無理だよ!」
押し切るようにそう言うとかなめはかえでの熱い視線を無視して目の前のモニターで書類の作成を開始する。
「それなら渡辺さんは……ってその格好は来るんでしょ?」
かえでの部下で付き合いの長い渡辺かなめ大尉は青いボブカットの上に青いベレーをかぶっている。
「ええ……かえで様と一緒なら私……」
「かわいいな、要……」
「かえで様……」
思わず手を握りあうかえでと渡辺。その姿に部屋の中の空気がよどんだものに変わった。
「かなめちゃんいる!」
全員が助けを求める中に救世主のように現れたのはいつもはくだらない馬鹿話をするだけに来るアイシャの姿だった。いつもなら怒鳴りつけて追い返すランですら感動のまなざしをアイシャに向けていた。
「ここにいますよー」
何とか一息ついたかなめが手を振る。アイシャは雰囲気をつぶされて不愉快そうに自分をにらみつけてくるかえでを見るとニヤニヤ笑いながらかなめの所まで来て大きなモーションで肩を叩いた。
「分かるわ……かなめちゃんの気持ち。本当によく分かる……恋ってつらいわよね」
「おい!何が言いたいんだ?」
アイシャの言葉にかなめの声が殺気を帯びた。
「誠ちゃんも気になる。でも自分を愛してくれるかえでちゃんも……」
「ふう……」
感情を抑えるべくかなめは大きくため息をついた。
「腐ってるな、テメエの脳は」
かなめはそれだけ言うと自分の端末に向き直って作業を再開した。
「それよりクラウゼ。良いのか仕事は?……ってよくねーみたいだな」
ランの声を聞きながらその視線をたどってみれば入り口で戻って来いと手招きをするサラとパーラの姿が見えた。
「申し訳ありません!それでは失礼します」
仰々しく敬礼をしたアイシャがサラ達に連れて行かれる姿を見て室内の隊員はどっと疲れが襲ってくるのを感じていた。
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