第637話 奇妙な散歩

「じゃあ行こうね、グレゴリウス」 


「わう」 


 シャムの言葉に返事をするとシャムを乗せたまま部隊のゲートに向かった。


「おはよう!」 


 そこには白いセダンでゲートをくぐろうとする運用艦『高雄』艦長の鈴木リアナ中佐の姿があった。


「お姉さん!おはよう!」 


「元気ね、シャムちゃんは……それとグレゴリウス君も」 


「わう!」 


 窓から顔を出してリアナは薄い桃色の髪をなびかせる。シャムは笑みを浮かべながら彼女の隣までグレゴリウス16世に乗って進んだ。


「それよりお姉さん。赤ちゃんは……」 


 シャムが言うようにリアナは出産後三ヶ月だった。現在は艦長の各種の指示権限を副長のアイシャ・クラウゼ少佐から出産休暇で留守の間の報告を受けているところだった。


「すごく元気よ。今は健一君が見ていてくれているわよ。それより寒いのによく平気ね」 


「うん!私の村はもっと寒かったから」 


 リアナの言葉にシャムは長く暮らしていた故郷を思い出した。森と雪と風。今の季節は木の幹に寄り添うようにして雪のせいで動きの鈍い鹿などを狙って狩をしていたことを思い出す。


「そう……じゃあまたね」 


 回想に浸っているシャムを笑顔で見つめながらリアナはそう言うとそのまま窓を閉めて車を駐車場へと進めた。


「それじゃあ行こう!」 


 そう言うとシャムは軽くグレゴリウス16世の首筋を叩いた。うれしそうに目を細めるとそのままグレゴリウス16世は歩き始める。


「中尉……」 


 警備部員が一人、申し訳ないという表情で声をかける。


「大丈夫だって!グレゴリウスは人気者だからね」 


「でも……そんなでかぶつ。上に乗られただけで怪我人が出ますよ」 


「だから早朝にやってるの!それに外には出ないから」 


 そう答えるシャム。だがスキンヘッドの警備部員はゲートの外から巨大なグレゴリウス16世を見て車のスピードを落とす菱川重工の職員の方に目をやった。


「本当に……もうそろそろ外出禁止をしますから……」 


「ごめんね」 


 謝るシャムだが心配そうな目でグレゴリウス16世に見つめられると少しばかり気が引けてそのままゲートをくぐった。



 部隊の外には広がるのは地球系以外では最大規模の機械工場。目の前の道には巨大なトレーラーが鉄の柱を満載して加速を始めている。


「これに比べたら……グレゴリウスなんてねえ」 


 シャムはトレーラーを一瞥した後、そのまま歩道を進むグレゴリウスの頭を撫でながら進んでいた。時々通る乗用車。何割かは司法局実働部隊隊員の車らしく運転しながら敬礼する姿がシャムの視線からも見えた。


「どこまで行こうか……」 


 軽く敬礼を返しながらグレゴリウス16世の耳元まで身を乗り出してたずねる。


「わう!」 


「わかったよ。おやつね」 


 そう言うとシャムはそのまま工場の構内の車道を横切る押しボタン式信号の前でグレゴリウス16世から降りるとそのままボタンを押した。


 信号が変わるとグレゴリウス16世はシャムを乗せて悠然と歩く。トレーラーの運転手は驚いた様子でその巨大な熊に少女が乗って移動しているさまを見守っている。


「ほら、人気者」 


「わう」 


 誇らしげにシャムとグレゴリウス16世の行進は続く。そしてそのまま飛行機の胴体部分を製造している建物の脇を抜け、まるでショッピングセンターのような看板を掲げた工場の生協の前に着いた。


「あ!熊さん!」 


 入り口で立ち話をしていた女性職員がシャム達を指差す。それを見て周りの女性事務員達もシャムに目を向けてきた。


「本当に……話に聞いたとおり女の子が飼っているのね……」 


「でも大丈夫なの?」 


 興味深げに見る者、いつでも逃げられるように引き下がる者。さまざまな視線にシャムは鼻高々でそのままグレゴリウス16世から飛び降りた。


「馬鹿!」 


 突然シャムの頭がはたかれる。そこには司法局実働部隊機動部隊第二小隊所属の西園寺かなめ大尉の姿があった。


「かなめちゃん……痛いじゃない」 


「当たり前だ。痛くしたんだから……うわ!」 


 かなめの言葉が終わる前にグレゴリウス16世は大好きなシャムを虐めたことに復讐するためにかなめにボディープレスを食らわした。


「くそ!どけ!馬鹿熊!」 


 もがくかなめ。それを見て満足げにうなづくシャムの隣に先ほど熊を見て黄色い声を上げていた女性事務員の一人が恐る恐る声をかける。


「大丈夫なんですか?」 


「平気平気!」 


「そう平気よねえ、かなめちゃん」 


 女性事務員の間を縫って長身の紺色の髪の女性がシャムに声をかけた。その整った肌と自然界ではありえないような鮮やかな紺色に女性事務員達は不思議そうにその人物、運用艦『高雄』副長、アイシャ・クラウゼ少佐の方に顔を向けた。


「アイシャ……テメエ……」 


 つぶされかけていたかなめだが軍用義体であるその体はのしかかる熊の圧力を押し戻そうとしていた。その姿に驚く菱川重工業の女子従業員達。


「ほら、平気じゃないの」 


「平気に見えるか?これが平気に見えるのか……テメエは」 


 ようやく冗談を済ませたグレゴリウス16世は飛び上がってシャムの後ろに隠れる。埃まみれのタイトスカートをはらいながらその目をにらみつけるかなめ。なんとも不思議な光景が展開していてただ呆然と見守るギャラリー達。


「それより……シャムちゃん。リアナお姉さんは?」 


「ああ、さっき来てたよ……そう言えばお姉さん復帰で楽になるんじゃないの、アイシャは」 


「まあね。お姉さんが次の産休に入るまではなんとかなるでしょ」 


「そうして余計なことに手を出してアタシ等が面倒をかけさせられる」 


「何か言った?」 


「別に」 


 三人の女性隊員のやり取りを見て工場の職員達は噴出すタイミングを図っていた。


「それじゃあアタシ先行ってるわ」 


 そう言うとかなめは近くに止めてあったバイクに足を向ける。


「あれ?今日はカウラは?」 


 シャムは思わずかなめの所属する第二小隊の小隊長、カウラ・ベルガー大尉の名前を挙げた。いつもはカウラのスポーツカーにアイシャとかなめ、そして第二小隊の新人神前誠曹長を乗せて通ってきているのでバイクで通勤するかなめ達を見るのは久しぶりだった。


「ああ、あいつは今日は有給。それと……」 


「誠ちゃんは今日は本局で検査だって。法術適正の再チェック」 


「んなことしなくても奴は結構いい活躍してるじゃないか……」 


 そうつぶやいたかなめをにんまりと笑っているアイシャが見つめていた。


「気になるんでしょ?」 


「何が?」 


 アイシャのにやけた顔にしばらく真顔だったかなめの顔が赤く染まる。


「あれ?かなめちゃんはどうしたの?」 


「うるせえ!アタシは先行ってるからな!」 


 そう言うとかなめはシャム達を置いて止めてあったバイクにまたがる。そして後部座席に置いてあったヘルメットをアイシャに投げつけた。


「何するのよ!」 


 アイシャの言葉はかなめには届かない。ガソリンエンジンの音を立てながらかなめのバイクはそのまま車道に出て視界から消えた。


「アイシャ……帰りは大丈夫?かなめちゃんはああなったら終業時間も一人で帰っちゃうよ」 


「ああ、大丈夫。カウラはどうせ乗馬クラブが終わったらこっちに来るだろうし……誠ちゃんも午後には検査が終わってこっちに来るらしいから」 


「ふーん」 


 シャムはそう言うと隣のグレゴリウス16世に目をやった。先ほどから事務員がシャムの隣でおとなしく座っているグレゴリウス16世の姿を携帯端末で写真にとっているのが見えた。


「人気ね、グリン君は」 


「グリンはあれは映画の名前でしょ?これはグレゴリウス」 


「めんどくさいじゃない。グリンでいいわよね!」 


「わう」 


 アイシャの言葉に返事をするグレゴリウス16世。その様子にギャラリーは感嘆の声を上げる。


「じゃあ……アイシャ、おやつを買ってくるからしばらくグレゴリウスを見ててね」 


「ええ……まあいいわよ」 


 簡単に五メートルはあろうかという巨大な熊を任されてアイシャはしばらく放心する。それを無視してシャムはそのまま生協の入り口に向かっていった。

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