安息日

第600話 定時

「よー!仕事は順調か?」 


 定時丁度。どう見ても小学生のピンクのダウンジャケットを着た少女の声で誠は我に返った。


「姐御……隊は良いんですかね」 


 豊川警察署の古びた建物の奥の暗い部屋。そんな場所には似つかわしくない満面の笑みの上官クバルカ・ラン中佐にかなめが声をかける。


「おー。問題児がここに集まってくれたからな。静かなもんだよ……ラーナ。調子はどうだ」 


 昼過ぎに帰ってきてからラーナはほとんど画面から目を離さずにじっとしていた。何か本局で分かった事実があるのかどうか。誠達は気にはなったが声をかけられる雰囲気では無かった。無表情を顔に貼り付けたまま黙って各移動車両データを検索している。


 緊迫した表情のラーナを見つけたランも、ただ苦笑いを浮かべるばかり。手にしていた袋から缶ビールを取り出したあと、静かにプルタブを引いて口に運ぶ。そんな小さなランの視線の先では画面から目を離さない緊迫したラーナの姿があった。


「いいのかよ、餓鬼が部下の出向している警察署で飲酒してるぞ」 


「余計なお世話だ馬鹿野郎」 


 かなめにチャカされてもランは上機嫌にごくりごくりとビールを飲む。誠は彼女が戸籍上は39歳であることを以前書類で見せられたときの衝撃を思い出した。確かに物腰や貫禄はその年齢の方がふさわしいところがある。確かランの前の実働部隊長の明石清海中佐も39歳だったはずなので年功序列を重視する東和軍の影響力の強い司法局の人事としてはそれが的確に思える。


 そんな誠の考えとは別に相変わらずランはにやにや笑いながらラーナを眺めていた。


「何か良いことでもあったんですか?」 


 さすがにこういうことには厳しいカウラがさらにバッグから二本目の缶ビールを取り出すランを見て苦笑いを浮かべながら声をかける。


「まあー吉田の野郎との賭けに勝ったからな」 


「あの電卓と賭け?そちらはずいぶんと暇そうだねえ」


「そりゃあオメー等がいないのはでかいよ。アタシも自分の仕事がはかどって……毎日定時退勤だ」


「うらやましいねえ……」 


 かなめが思わず本音を口にしていた。戦闘用に調整された義体のサイボーグのかなめもその精神まで強化されているわけではない。戦闘用に遺伝子操作で生み出されたアイシャやカウラも、慣れない『待つ』と言う任務に疲れてすでに集中力の限界を迎えていた。誠が目を向けても三人とも憔悴しきっているのが分かる。それを見抜いたとでも言うような笑みを浮かべたランは二本目の缶ビールのプルタブを引いた。


「さっきの吉田との賭だが、今回の捜査でいつオメー等が正しい捜査手法にたどり着くかってのを賭けたんだ。アイツはラーナと西園寺がいつかは喧嘩すると読んでたが……茜の読みどおり西園寺は自分の専門じゃ無いことではおとなしいからな。おかげで今日は運転手付きで飲みにいける」


 あれだけ協力をしておきながらまるで信用がなかったことが分かって膨れるかなめ。そのタレ目がご機嫌なランを睨み付けた。 


「勝手に飲んでろ!餓鬼!」 


 そう叫ぶとかなめは自分の席の端末に首筋のジャックからコードをとしだして差し込もうとした。だがその手をランの小さな手が握り締める。


「おいおい、根詰めすぎだぜ。これから長いんだ。今日は終りにして飲みにでも行こうじゃねーか」 


「それランちゃんのおごり?」 


 アイシャが飛び上がるようにして立ち上がる。それを見たランは満足げにうなづいた。


「ならいいか!」 


 突然立ち上がるかなめの行動は誠達にすでに予想されていた。にんまりと笑いながら誠に絡みつくかなめ。さすがにカウラやアイシャの目があるのが気になるが暴力サイボーグに逆らう度胸は誠には無かった。


「いいわけ有るか!いつ犯人が特定されるか分からないんだぞ!」 


 カウラの言葉にアイシャも頷きそのままビールを飲んでいる少女のように見えるランを睨み付ける。


「オメー等……自分が立てたプランをちゃんと把握しておけよ。神前、犯人が特定できたとしてどうする?」 


 ランの鋭い視線に誠は驚いて口ごもった。ため息をつきながらランは言葉を続ける。


「オメー等の資料は法的には何の資料的価値も無い代物だ。司法局のデータバンクは本来門外不出で外部に出ることはあり得ないことになっている。各自治体の法術適正結果も同様だ。オメー等が十五人を絞り込んだのはこの二つの資料をつきあわせた結果だろ?任意で出頭を求めるにしても担当は豊川署の捜査課になる。オメー等の仕事にゃならねーよ」 


「クバルカ中佐のおっしゃるとおりっすね。もし容疑者が特定されても捜査権限は豊川駅前法術殺傷事件の捜査チームの仕事っすから」 


 ランの言葉に頷きながら端末を終了するラーナ。そして彼女が顔を上げたときに彼女の同盟司法局法術特捜での上司に当たる嵯峨茜警視正が狭苦しい部屋に入ってきた。


 いかにも珍しそうに古ぼけた机や痛んだ壁を眺める紫色の着物が似合いすぎる茜に誠達は見とれていた。


「皆さん……あまさき屋は抑えましたわよ。急ぎましょう」 


「けっ!」


 明らかに場違いな格好と上品な物腰は対極に立つかなめの声と同調して全員をアフターファイブモードへと切り替えていた。


「じゃあ……ラーナちゃん。先に着替えてるわよ」 


 アイシャはそう言うと恐る恐る端末を終了しているカウラを引っ張って廊下に向かう。かなめもニヤニヤ笑いながらその後に続いた。


「クバルカ中佐、神前曹長。ちょっとラーナと話がありますから」 


 遠慮がちにつぶやく茜の言葉に棒立ちの誠の腕を撮ってランが誠を廊下に連れ出した。


「あいつ等も色々あんだよ。とりあえず着替えて来いや」 


 そう言われた誠は不承不承定時ということで更衣室に向かう事務職員の流れに続いて建物の奥の男子更衣室に向かった。


 明らかに異物のように思われている誠。それぞれに楽しそうに雑談を続ける署員から離れて一人更衣室で着替えをしていれば、さすがにホームだった司法局実働部隊の隊舎が恋しくなってくる。


「それで……うちの家内がな……」 


 嘱託職員のような白髪の男性署員が年下の巡査部長に身の上話をしていた。最年長が46歳の嵯峨と言う司法局実働部隊では味わえない空気を感じながらジャケットを羽織る誠。そんな中で突然派手に扉を叩く音が誠の耳に飛び込んできた。


『出て来いよ!神前!』 


 あまりの激しいノックに署員達は驚く。そしてその視線は必然的に誠へと注がれた。驚いた誠は慌てて着替えを済ませると走り出す。


「すみませんお騒がせしました……西園寺さん!」 


「なんだよ遅いテメエが悪いんだろ?」 


 迫力のある面持ちでかなめは誠を見上げる。その隣には髪を結びなおす途中で出てきたと思われるカウラとコートの襟を整えているアイシャがいた。


「そんなに急いでどうするんですか!」 


「いいんだよ。ただで酒が飲めるんだから」 


「アタシはオメーのボトルまで頼まねーからな」 


 満面の笑みのかなめにランが突っ込みを入れる。周りの帰宅しようとしている女性署員の痛い視線が誠に向かってきていた。どれも殺気が感じられて誠はひたすら居づらい感覚に襲われた。

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