休みのようなもの

第532話 昼食

 画面の中で明華が十分にかなめの折檻を楽しみ終えたというところで画像が消えた。


「あっちもお休みみたいですね」 


 そう言って誠は伸びをする。画面が消えたのを合図にしてかえでと渡辺はそれぞれの席に戻る。


「まあ……なんて言うか……」 


 頭を掻きながら嵯峨はそのまま立ち上がった。その隣には真っ暗の画面を凝視して余韻に浸る彼の娘と愛人と呼ばれている士官の姿がある。ただ嵯峨は苦笑いを浮かべていた。


「隊長……大丈夫ですか?」 


 いつの間にか自分のデスクに戻って仕事を続けていたアンが青い顔の嵯峨を見上げた。


「大丈夫だろ?数なら神前の方が食べてるんだ。あーあ、胃がもたれる」 


 嵯峨はそう言い残して部屋を出て行った。三段目の半分以上を食べつくされた重箱とポットと急須が残されている。


「アン軍曹。悪いが急須の中を代えてくれないか?」 


「了解です!」 


 カウラの言葉に椅子から跳ね上がったアンは、そのまま誠に笑顔を浮かべて急須を持って部屋を出て行く。


「ふう、さすがに腹が膨れますね」 


 これで最後にしようと誠はおはぎを口に運ぶ。さすがに口の中も甘ったるくなって嵯峨の気持ちも理解できるような気分だった。


「今、女将さんはあっちの部屋に居るんだろ?」 


 カウラもさすがに甘さにやられたようで、明らかにペースを落として一個のおはぎをゆっくりと食べ続けている。


「まあアイシャさんは甘いものには目が無いですからね。それとなんといってもナンバルゲニア中尉がいますから」 


 その名前を聞くとカウラもかえでも渡辺も納得したようにうなづく。シャムの大食漢ぶりは誰もが知るところだった。


「おう、元気しとったか?」 


 そう言いながら急須の茶葉を取り替えてきたアンに続いて明石清海中佐が部屋に入ってくる。ランの先任の副長だったという割にまるで借りてきた猫のようにおとなしく開いていた丸椅子に腰掛けた。


「どうじゃ、クバルカ中佐は」 


 アンが気を利かせて明石がここに残していった大きな湯飲みに茶を注いでいる。


「厳しいですけど頼りがいがありますよ。さすが教導部隊の隊長をしていただけに指導は的確ですし……」 

 そう言う誠の言葉には嘘は無かった。柄の悪い小学生にしか見えないランだが、言うことはすべて理にかなっていて新米の自覚のある誠にはその全てがためになるように感じていた。


「まあワシはそう言うことは苦手じゃったからのう」 


 明石は大きな湯飲みを開いているロナルドの机に置く。


「それよりも明石中佐の方が大変ではないんですか?調整担当って同盟軍とか政治部局とかに顔を出さなければいけないわけですから」 


 久しぶりの上官の姿に笑顔を浮かべながらカウラがたずねる。


「まあな、居づらいちゅうかー……何をしたらええかわからんちゅうか……まあ今はとりあえず頭を下げるのが仕事みたいなもんやからな」 


 そう言って剃りあげた頭を叩きながら明石はいつもの豪快な笑い声を上げた。


「いつも思うんですが……私達、こんなことしていて良いんですか?」 


 その質問は誠の口ではなくカウラから発せられた。トレードマークのサングラスを直す明石はそのまま視線をカウラに向けた。


「なんでやねん?」 


 不思議そうにサングラスの中の目はカウラを見つめる。その切り替わりに戸惑ったカウラは誠の目を見た。


「日常的に任務と直接関係ない仕事ばかりやってて……東和軍や警察からいろいろ言われてるんじゃないかって思うんですけど」 


 誠がそう言うと明石は快活な笑い声を上げた。


「ああ、言うとるぞあのアホ共。田舎で農業や野球やって給料もろうとるとかな。まあそう言うとる奴のどたまぶち割るのがワシの仕事やからな。まあ本気では殴らんで。半分は事実なんや」 


「明石中佐。くれぐれも暴力沙汰は……」 


 奥の席から顔を出したかえでが声をかける。


「あ、姫様。心配及びませんわ。これはいわゆる言葉のあや言うやつですわ」 


 そう言い放って再び明石は笑い出す。だが手を出さなくても見たとおりの巨漢。そして勇猛で知られた胡州第三艦隊のエースの明石ににらまれて黙り込むしかない東和軍や同盟の偉い人達の顔を想像すると誠は申し訳ない気持ちになった。


「お、おはぎ残っとるやないか。ワレ等もはよ食わんと、硬とうなってまうど。さあ、神前」 


 そう言って明石は素早く自分の分のおはぎをくわえると次のおはぎを誠に差し出す。


「えーと……いただきます」 


 こわごわそう言うと誠はおはぎを受け取る。それを満足げに見ながら明石はすぐにもう一つをカウラに差し出した。


「ありがとう……ございます」 


 複雑な表情でカウラはおはぎを受け取る。それを見てそれまでおはぎに手を出さなかったアンが最後のおはぎを手に取った。


「やっぱり女将さんの料理はええのう。まあしばらくはこっちで年度末の査察に向けての段取り考えなあかんからちょくちょく邪魔させてもらうわ」 


 そう言って明石は口の周りのあんこをぬぐうと立ち上がった。


「じゃあ邪魔したな」 


 明石が部屋を出たところで何かを見つけたというように、一瞬、嫌な顔をした後出ていく。その入れ替わりで入ってきたのがアイシャだった。


 アイシャはそのままポットに手を伸ばして、手にしていた美少年キャラが裸で絡み合うと言う誤解を招きかねない絵の描かれた自分の湯飲みに白湯を注いでいる。


「甘い!甘いわよ!」 


 白湯を飲んですぐにそう言うとアイシャは先ほどまで明石が座っていた丸椅子に腰掛けた。


「どうしたんだ?お前は甘いものは好きだろ?」 


 カウラはそう言いながら急須にお湯を入れる。アイシャはそれを奪い取ると湯飲みに茶を注いだ。


「何でも限度ってものがあるわよ……ああ、こっちにも女将さんからのがあったのね。でもこのくらいなら楽勝でしょ」 


 そう言ってアイシャは空の重箱を見つめる。


「そうでもないぞ。隊長がへろへろになったからな」 


 カウラの言葉にかえでと渡辺がうなづく。


「ああ、あの人は問題外よ。でも……さすがにねえ私もこれだけあると私でもお手上げだわ」 


 そう言いながらアイシャは手にした湯飲みを啜った。


「技術部の連中にも分けてやれば良いのに」 


 モニター越しにかえでが顔を出す。そんな彼女にアイシャは首を振る。


「だめよ、明華のお姉さんが許すわけないじゃないの。ヨハン減量月間が発動してからは技術部とマリアの御姐おねえさんの警備部は勤務時間中の間食禁止令が出ているじゃない」 


 先日の健康診断で技術部一の巨漢のヨハン・シュペルター技術中尉以下三人の血糖値異常のの結果が届いた。それをを見た明華は警備部部長マリア・シュバーキナ少佐と組んで技術部と警備部の勤務中の間食の禁止を指示していた。彼らは実働部隊や管理部の面々がスナック菓子を頬張るのを指をくわえてみているだけだった。


 特に空気を読まないシャムはハンガーでアイスキャンディーを食べながら歩くなど無自覚な挑発行為をして技術部整備班長の島田が吉田にシャムの監視を強化するように申し入れをしていたのは先週の昼時のことだった。


「ああ、許大佐は……一度決めたら結構そう言うところは締めるからな」 


 そう言いながらカウラは明らかに無理そうな顔をしながらおはぎを飲み下す。


「それにしてもいつここまで仕上げたんですか、台本」 


 誠は渡されていた台本とかなり違う台詞や演技を思い出してアイシャを見つめた。


「ああ、昨日の晩に吉田さんと煮詰めたから。まあシャムちゃんは注文つけるだけつけたらとっとと寝ちゃったけどね」 


 そう言いながら笑っているアイシャに疲労の色は見えない。


 元々戦闘用に遺伝子を操作して作られたアイシャ達の体力は普通の人間のそれとは明らかに違った。事実スポーツ選手で活躍している彼女達の同胞は男女の区別のないカテゴリーのスポーツで記録を次々と書き換えていた。


「お待たせしました!」 


 再び入ってくる西とレベッカ。二人はそのままビニール袋をかえでと渡辺に差し出す。


「ご苦労さん」 


 そう言ってかえではすぐにぶっ掛けうどんに手を伸ばした。


「よく食べるわね。うちのところじゃシャムちゃんと小夏ちゃんだけよ、弁当頼んだの」 


 そう言いながらアイシャはうどんのふたを開けて中から汁を取り出しているかえでを驚いたように見つめている。


「午後のランニングがあるからな。クラウゼ少佐も参加するか?」 


 かえでは素早く割り箸を口でくわえて割り、そのまま汁と麺をなじませている。


「えーと、まあなんと言うか……遠慮しとくわ」 


 愛想笑いを浮かべながらアイシャは答えた。誠もカウラもそれに付き合うように湯飲みやカップに手を伸ばした。


「しかし、さっきはあのおはぎが全部なくなるとは思わなかったんですが……」 


 レベッカが感心したように三段の重箱のすべてに詰まっていたおはぎを食べつくした人々見つめている。


「シンプソン中尉、そこの弁当。ハンガーで待っている連中が居るんじゃないのか?」 


 そんなカウラの言葉にレベッカと西は気がついたというように詰め所の入口に向かう。


「それじゃあ……アイシャさん、用があったら呼んでくださいね」 


「ああ、そこらへんは吉田さんの裁量なんでー」 


 出て行く二人に一同はやる気のない手を振る。


「それじゃあ、私も戻ろうかな」 


 そう言ってアイシャは手に痛いカップを持って立ち上がる。


「まあ、なんだ。がんばってくれ」 


 カウラは複雑な表情を浮かべる。誠もまたさわやかに手を振るアイシャをぼんやりと眺めながらカップのそこに沈んだ茶葉の濃いお茶を飲みこんだ。

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