第396話 最後の容疑者
「そして最後が北和俊博士。一番の変り種と言えばこの人なんですがねえ」
そう言ったヨハンの口元に呆れたような笑いが漏れる。誠は画面に映る苦虫を噛み潰したような表情の眼鏡の男に目を移した。
「この顔は見たことあるぜ。テレビかなー……書店で見たのかねー」
ランは思い出そうと首をひねる。誠もそう言われると記憶の底にこの渋い表情があることに気づいた。
「一時期テレビに出てましたね。怪しげな都市伝説ばかり紹介するバラエティー番組で解説を担当していたのは俺も知ってますよ」
島田の言葉にヨハンがうなづく。
「覚えがいいな准尉。この人は東都大の大脳生理学研究室出身で博士号を取った後すぐにアメリカに留学。だがそこで何を吹き込まれたか知りませんが法術と神の奇跡の区別がつかなくなっちゃった人でしてね」
冷ややかな笑みが辺りを覆った。
「マッドサイエンティストってわけ?凄いわね。映画でもなんでもなく実物が見られるなんて!」
「引っ付くなよ!」
歓喜するアイシャにもたれかかられてランは迷惑そうに顔をしかめる。誠も少しばかり興味深く目つきの悪い北博士の写真を見つめていた。そしてそのあまりにマッドサイエンティストを絵に描いたような北博士の顔つきに苦笑いを浮かべてしまった。
「全人類は法術師、まあこのおっさんは『選ばれた力を持つ神の子』なんて呼んでますが、そいつに進化する過程にあるってことで本を出したり、怪しげな法力開発グッズを売り出したりして多額の借金を抱えていることで有名でしてね」
「なんだよ、それじゃあコイツに決まりとでも言うのか?」
かなめの問いにヨハンはあいまいな笑みを浮かべる。
「でも全員が臨床と言うより理論の専門家のように見えるんですけど。今回の法術師の研究は明らかに臨床レベルの経験や知識が必要なんではなくて?」
じっと自分の端末を覗きこんでいた茜の言葉。それにアイシャとランが大きくうなづく。
「それなんですが、なんでこの三人を関係者としてあげたのには理由がありましてね」
「軍や政府からの庇護が期待できないってことか?正式な辞令で動いている御用研究者には我々の捜査の手は伸びない……いや、正確に言えば御用研究者に手を出せば今回の捜査は上から潰される」
カウラの一言。隣でかなめが手を打ち、アイシャが納得したようにうなづく。
「つまりこの三人ならば捜査に法術特捜の捜査権限が生かせると言うことですわね。法術特捜は法術の悪意的使用に関する容疑を立件できることを同盟司法局が認めれば職権にて必要な措置を取ることができる……同盟厚生局に直接関係のある研究者はもうすでに遼南山岳レンジャーのライラさんが面会して回っているでしょうからね。まあ彼等が何か言うとは思えないですけど」
納得したように茜はうなづくとすぐさま端末からコードを伸ばして部屋に据え置きの機器に接続した。かなめもうなづき、カウラもヨハンの端末から茜の目の前の画面に視線を移す。
「どういうことなんですか?」
いま一つ状況を飲み込めないのは島田だった。それを見てヨハンが生暖かい視線を送る。にらみ合う二人を見てランが口を開いた。
「今回の事件には間違いなく同盟厚生局や東和政府、東和軍のかかわりがあるってことは感じてるだろ?当然、彼らも危ない橋を渡っているという自覚があるわけだ。さらに遼南レンジャーが捜査に参加したことであちらさんも相当警戒している。これから使えると言う臨床系の技術者を囲っておこうと彼らが思っても不思議はねーだろ?」
「じゃあ他の研究者は見逃せって言うんですか?何人が犠牲になったか分からないんですよ!それにこの技術が今後応用されたらどういうことになるか……」
「正人!」
ランに詰め寄ろうとする島田をサラが押さえようとする。しかし、子供にしか見えないランは動じることなく島田を睨み返していた。
「だからだよ。今回は何がしかの糸口を見つけて研究組織の解体に持っていかなきゃならねーわけだ。シュペルターも三人の名前を挙げたということはこいつ等のうち一人は基礎理論……あの化け物を作る必要があると言い出したってことなんだろ?」
ランの言葉に静かにヨハンがうなづく。
「この三人なら上の反対も無いだろうから容疑が固まれば身柄を確保できる。取調べが出来ればそこからこの事件の関係者の名前が分かってくる可能性がある」
落ち着いてつぶやくランを見て静かに島田は腰を下ろした。
「逆に言えばこの三人以外は違法研究の嫌疑で身柄を押さえても……」
「お偉いさんから横やりが入って……はい、それまでよ、だ」
誠の言葉にかなめがあきらめたように言い添えた。かなめの隣でエメラルドグリーンの髪を掻き揚げているカウラがいる。どこへ向けていいのか分からないような怒りがその整った顔に浮かんでいるのを誠は見逃さなかった。
「食らいつくところが決まったんだ。誰が担当する?……ってアイシャ、目が怖ええよ!」
かなめの視線の先にはらんらんと瞳を輝かせるアイシャの姿があった。
「それでは工藤博士はわたくしとラーナが担当しますわ。そして北博士は……」
全員の視線がアイシャに向く。頭を掻いた後、アイシャはその手をサラに伸ばし、サラは島田の腕を掴む。
「その組み合わせ、やばそうだな。仕方ねえやアタシも出る」
ランの言葉に茜が頷いた。
「じゃあ残りはアタシとカウラに神前か」
「誠ちゃんが悪の女幹部に誘惑されたら困るからね!」
「アイシャ。頭腐ってるだろ?」
アイシャとかなめの会話に和やかな空気が漂う。それまで端末をいじっていた茜がようやくコードを抜いて振り返る。
「それぞれの端末にデータを転送しておきましたわ」
それを聞いて誠も自分の端末を開く。脳に直接データを転送していたかなめは少し目を閉じた後、複雑な表情を浮かべた。
「なるほどねえ、今回の実験が『近藤事件』を契機に一気に進んだ理由が良く分かったよ」
「どういうことだ?」
カウラの声にかなめは口元を緩める。その瞳の先の茜が仕方が無いというようにうなづく。
「法術系の研究をしていた研究者の監視の多くは法術の存在が知られてしまった時点で中止の指示が出てていたはずですわ。それまで監視を受けて研究が進まずにいた研究者はあっちこっちから引っ張りだこ。その研究が合法的なものばかりではありませんし。それが今回の事件が示してくれた結果ですわね」
「そう言うわけだ」
かなめが誠の襟首を引っ張って立ち上がらせる。カウラも鋭い視線を誠に投げる。
「じゃあ行ってきます」
「がんばってね。そこの二人!誠ちゃんを襲っちゃ駄目よ!」
「誰が襲うか!」
かなめはアイシャを怒鳴りつけるとそのままセキュリティーの厳重な冷蔵庫の扉を開いた。心配そうに実働部隊の詰め所から顔を出しているかえでとシャムの顔が見える。
「見世物じゃねえぞ!」
そう言いながらかなめは大またでその前を通る。仕方が無いというようにカウラと誠もそれに続く。
「がんばってくださいね!お姉さま!」
クールな調子だが妙に色気を感じるかえでの声にかなめはびくりと震える。
「愛されているんだな。いいことじゃないか」
じっとかなめが出てくるのを待っていたであろうかえでを見ながら皮肉を飛ばすカウラをにらみつけたかなめはそのままハンガーの階段を大きな足音をわざと立てながら下り始めた。
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