第395話 頭脳の影
「どういう人物なんでしょうか?人体実験の研究者って」
そのまま寮を出て駐車場のカウラの車にいつもどおり後部座席にかなめとアイシャが座り、誠は助手席でそうつぶやいていた。
「何といっても生体人体実験だからな、今回のは。研究者の矜持で動いているんじゃねえの?科学の進歩は人類のためになるとか……まったく迷惑な話だな」
かなめは無関心そうに動き出した車の振動に身を任せている。アイシャは誠に見つめられると首を振っていた。
「あっさり引くなよアイシャ。お前も私もこの前の肉の塊に変化した少女と違いは無いんだ」
ハンドルを切りながらカウラが言った。二人は人の手で創られた存在であり、科学が生み出した地球人類を超える存在をうたわれて作られた人造人間である。
「それはそうかもしれないけど。私は誰が私を作ったかなんて考えたこともないし……ってそれじゃあ嘘になるかもね」
そう言いながらアイシャは笑う。車は前に飛び出してきたサラを後ろに乗せた島田のバイクについて走る。
「科学者の好奇心?禁秘に触れる快感?自分の理論の証明?どれにしても勝手な理屈だな」
かなめの言葉に誠達はうなづいた。後ろを見やればすぐに茜のセダンが迫っていた。
「そう考えると……今のところはヨハンも容疑者の一人なわけだな」
かなめの一言。あぜに黄色い枯れ草を晒している田んぼの向こうに巨大な菱川重工業の豊川工場の姿が見え始める。
「まあアリバイはすぐ取れるからいいとしても聞いてみる価値はありそうだな。同じ法術の研究者として今回の事件のきっかけを作った理論を組み上げた奴が何を考えていたのかをさ」
かなめの声に全員が心を決めるようにうなづいた。工場に向かう車にトレーラーが混じり始めると流れは極端に悪くなり、それまで先導するように走っていた島田のバイクがその間を縫うようにして先行した。
「島田の奴、ヨハンをつるし上げたりしないだろうな」
冷ややかな笑みを浮かべるかなめを誠はにらんだ。
「冗談だって!島田もそこまで馬鹿じゃねえのは分かってるよ。だがアイツの法術を使っての体再生能力は今回の実験で作られた化け物の共通点だ。アイツが珍しく頭に血が上ったとしか思えない暴走ばかりしていたのは覚えているだろ?」
そんなかなめの言葉に車の中の空気が寒く感じられる。工場の正門を抜け、リニアモーターカーの車体を組み上げていると言う建物の先を折れ、生協の前を抜けると司法局実働部隊を囲む高いコンクリートの塀が見えた。
「ただ容疑者が一人減るだけじゃないの。そんなにエンゲルバーグが信用できないの?」
「アイシャ。エンゲルバーグ呼ばわりをしながらそんなことを言っても何の意味も無いぞ」
カウラが笑みを浮かべながら部隊のゲートに車を進める。警備部の隊員が珍しそうに詰め所から顔を出した。
「あれ?今日は帰ったんじゃ……」
「残業だよ!」
スキンヘッドのスラブ系の警備部の隊員にかなめが叫んだ。彼の軽い敬礼に右手を上げると再びカウラは車を駐車場へ向けた。
「ご苦労さん!」
車から降りた誠に声をかけたのは手に干したとうもろこしを持った第四小隊隊長のロナルド・スミスJr上級大尉だった。その隣ではひっくり返り、腹を見せて服従の姿勢を見せる巨大な小熊グレゴリウス16世の口にとうもろこしをねじ込むフェデロ・マルケス中尉。そして鎖を引っ張るジョージ・岡部中尉の姿があった。
「今日は暇そうですね」
誠がそう言うのも遼州同盟との関係を重視する地球の大国アメリカの軍籍を持つロナルド達である。その出向理由も東和軍の施設での最新兵器の実験の為と言うことになっていた。普段はそちらの方に出かけているか、それとも詰め所で研究データのサンプルをまとめているかで極めて多忙な小隊だった。
「たまには息抜きもいるんだよ」
そう言いながらロナルドがグレゴリウスの口に司法局実働部隊の空き地で育てたとうもろこしを突っ込む。
「島田は……」
「ああ、アイツならハンガーに向かったぞ」
特に余計なことは言うつもりはないという表情で岡部が答える。カウラは隣に立っていたアイシャに目を向けるとそのままハンガーへ向かう。
「しゃあねえなあ」
かなめもそれに続くのを見て誠もハンガーを目指した。
グラウンドの前に立つアサルト・モジュールを待機させているハンガー。誠達は沈黙に支配されている夕闇が近づくハンガーを覗き込んだ。
「あ、ベルガー大尉」
兵長の階級章の整備員がカウラを見て敬礼する。その敬礼を返しながら静かなハンガーをカウラ達は見回していた。
「いねえなあ」
かなめはそう言いながらやはりいろいろ言われているものの隊の象徴になりつつある美少女のカラーリングを施された誠の機体に目をやりながら奥の階段に向かう。
「冷蔵庫がやはり一番機密性は保てるでしょ?多分そこよ」
アイシャは後ろに続く誠にそう説明した。いつもならもっと活気にあふれているハンガーが沈黙してい
たのはそこでのナンバー2である島田がかなりの剣幕でヨハンをつれていったと言うことを暗示している。そう彼女には思えているようだった。
管理部は主計担当の菰田がいないので私服で上がってくる誠達を気にするはずも無く、隣の実働部隊の詰め所ではかなめを心配そうに見つめるかえでの姿があるだけだった。
冷蔵庫に取り出したセキュリティーカードでセキュリティーの一部を解除した後、カウラが網膜判定をクリアーしてセフティーの完全解除を行う。そうして開いた司法局実働部隊の情報分析スペースである『冷蔵庫』の中には太りすぎた体を持てあましながら端末をいじるヨハンとそれを監視する島田の姿があった。
腕組みをして椅子に座るヨハンだが、明らかに重すぎる体重に椅子が悲鳴を上げていた。
「ああ、おそろいでどうも」
振り返ったヨハンに頭をかきながら正面に座るのはカウラだった。
「俺は何もしてませんよ」
「なにか?何かをするつもりはあったってことか?」
ニヤニヤ笑うかなめに島田は硬直したように静かに視線を落とした。
「まあ茜ちゃんを待つ必要も無いでしょ。私達が来た理由は島田君から聞いてるでしょ?」
アイシャの言葉にヨハンはうなづくとそのまま端末に手を伸ばした。
「確かに今回の研究と関連する論文を書いている研究者はそう多くは無いな。地球人に無い能力を遼州人が持っているということになれば混乱は必至ということで、ほとんどの研究発表は秘密裏に行われていたからな。オカルト連中と仲良くやれって言われたこともあったよ、俺が研究所にいたときは。もっとも神前が『近藤事件』であれだけ派手にアピールしたおかげで今や人気課題だ。どこにでも相当研究費を出したい連中がいるらしいけどな」
そうつぶやきながらヨハンのむくれた指が器用にキーボードを叩いている。
そして画面には顔写真つきの資料が並ぶ。三人の比較的若い研究者のプロフィール。誠達はそれに目を向けていた。
「茜さんの資料と東都近辺に勤務している研究者と言うことで絞り込むとこの三人だ。全員若手の法術研究者としてその筋では知られた顔だがね」
そう言って笑うヨハンを無視して誠達はそれぞれの個人の携帯端末の三人の情報を落とし込む。
「若いってことは野心もあるだろうからな。人間を研究する法術関連の技術開発だ。金はいくらでもほしいだろう」
かなめはそう言うと三人の顔を表示させて見比べている。めがねをかけた細身の四十くらいの男。三十半ばと言う目つきの悪い女性研究者。少しふけて見える生え際の後退した男。
「人となりは警視正が来てからでいいか?」
そう言うと再びヨハンは端末に手を伸ばした。その次の瞬間部屋のセキュリティーが解除されて茜が姿を見せる。
「おい、無用心だぞ。アタシの端末にもオメー等の情報が落とし込まれているぞ。少しは配慮ってものをしろよな」
苦笑いを浮かべた子供の様に見えるランがそのまま彼女の小さな体には大きすぎる椅子に登るのを萌えながら誠は見守っていた。
「そうはいいますが神速が必要な時期ですよね」
そう言ってかなめは平然として三人の顔写真から目を離そうとしない。
「シュペルター中尉。とりあえずこの三人に絞り込んだ理由を聞かせていただけなくて?」
茜の声に頷いたヨハンはそのまま全員の携帯端末の画像に資料を落とし込み始めた。
「法術の基礎理論の開発の歴史をちょろっとやってそこから現在の研究の流行なんかを語ることになりますが……」
「別に勉強してーわけじゃねーんだ。さっくり説明してくれりゃーそれでいい」
ランの言葉にヨハンは静かに頷いた。
「まずこの生え際が危ないアンちゃんは工藤俊介博士。生理科学から法術研究に入った法術研究者としては変り種の人物だ」
ヨハンはそう言うと頭髪の後退した一見50過ぎにも見える男の写真を拡大する。良く見れば張りのある肌からその年齢が30位であることが誠にも分かった。
「法術の持つアストラル領域からエネルギーの物質変換を行って体細胞の復元を行う特性に注目した鬼才。5年前にその研究で東都生理学の博士号を取得した逸材と言うことになってる。まあ法術の特性なんかに言及したせいでお上の法術を無いものとして扱いたい事情から冷や飯を食わされて、理論研究の論文を東和国防軍に提出して研究費を稼いでいた時期もあったらしいから金が欲しい研究者の筆頭だな」
ヨハンはそう言って苦笑いを浮かべる。そして画面には工藤博士が軍に提出した論文の題名が次々とスクロールされていく。
「かなりの量なのか?これは」
ランの言葉にヨハンの苦笑いが真剣なものに変わる。
「まあ異常と言っていいんじゃないですかね。東和軍は別に法術研究の部署を秘密裏に組織していましたから。そこにこの御仁が呼ばれなかったのは論文の一部に致命的な欠陥があるんですが……かなり専門的な話になりますが?」
「オメエの講釈なんか聞きたかねえよ。つまりこの御仁の論文の欠陥を東和軍の連中は知ってて理論を買い叩いたわけだ。ひでえ話じゃねえか」
かなめのタレ目を一瞥した後、ヨハンは画面に女性研究者の写真を表示する。
「片桐芳子医学博士。こちらの方は大脳生理学が専門でしたが、遼州系の脳波の一部に特殊な作用がある。つまり法術を展開することが理論的に可能になると言う現象から法術研究に入った、いわば王道ともいえる研究履歴のある人ですな」
目つきは明らかにカメラをにらみつけているようにも見えたが、その目鼻立ちのはっきりした美女と呼べる姿を誠が見つめていると隣のアイシャが足を思い切り踏みしめてきた。
「うっ……痛!」
誠の口から漏れた悲鳴にかなめはざまあみろと言う表情を浮かべる。それを一瞥した後ヨハンは話を続けた。
「当然、東和軍なんかの研究者もこう言う経歴の持ち主には緘口令を敷くわけですが、三年前にとある女性誌の働く女性を紹介すると言うような記事で、口が滑ったと言うか法術の存在をほのめかすような発言をしてそれが政府の逆鱗に触れましてね」
「よくいるわね。口の災いで自爆する人」
「アイシャ。オメエは鏡を見る必要がありそうだな」
カウラの一言にアイシャはとぼけたように誠やかなめに目をやる。そして全員が大きくうなづいているのを見て舌を出しておどけて見せる。
「それからは常に監視をつけられていたと言う話を聞いていますよ。事実その発言から一度も学会に論文を発表していない。事実上干されたわけです」
ヨハンは一度あくびをした後、再びキーボードを叩き始める。一同はその一挙手一投足に注目していた。
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