第353話 怪しい男

「へえ、こいつが今の姐御の良い人ですか?」 


「そんなんじゃねえよ。注文とるんだろ?アタシはキツネだ」 


 三郎はかなめの顔を見てにやりと笑って今度はランを見た。


「てんぷらうどん」 


 ランはそれだけ言うと立ち上がる。彼女が冷水器を見ていたのを察して三郎という名のチンピラは立ち上がった。


「ああ、お水ですね!お持ちしますよ」 


 下卑た笑顔で立ち上がった三郎はそのままカウンターの冷水器に向かう。


「ああ、姐御のおまけの兄ちゃんよう。姐御とは……ってまだのようだな」 


 ちらりと誠を見て三郎は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。カウラは黙っているが、誠もランも三郎がかなめと肉体関係があったことを言いたいらしいことはすぐに分かった。


「私は……ああ、私もてんぷらうどんで」 


 カウラはまるっきり分かっていないようでそのまま壁の品書きを眺めている。


「僕はきつねで」 


「きつね二丁!てんぷら二丁」 


 店の奥で大将がうどんをゆで始めているのを承知で大げさに言うと三郎は三つのグラスをテーブルに並べる。


「おい、コイツの分はどうした」 


 明らかに威圧するような調子でかなめは三郎を見つめる。子供じみた嫌がらせに誠はただ苦笑する。


「えっ!野郎にサービスするほど心が広いわけじゃなくてね」 


 その言葉に立ち上がろうとする誠をかなめは止めた。


「店員は店員らしくサービスしろよ。な?アタシもそのときはサービスしたろ?」 


 かなめがわざと低い声でそう言うと、三郎は仕方が無いというように立ち上がり冷水器に向かった。


「で? 西園寺。アタシになつかしの遼南うどんを食べさせるって言うだけでここに来たんじゃねーんだろ?」 


 三郎が席を外しているのを見定めてランがそうつぶやいた。


「今回の事件の鍵は人だ。そして人を集める専門家ってのに会う必要があるだろ?」 


 明らかにかなめは表情を押し殺しているように見えた。その視線が決して誠と交わらないことに気づいて誠はうつむく。


「そう言うことでしょうね。そりゃあそうだ」 


 聞き耳を立てていた三郎が引きつるような声を上げた。


「俺は専門家ってわけじゃないですが、今は俺がここらのシマの人夫出しを仕切っているのは事実ですよ」 


 そう言うと三郎はぞんざいに誠の前にコップを置いた。


「人の流れから掴むか。だが信用できるのか?」 


 手に割り箸を握り締めながらカウラは不安そうに三郎を見つめる。だが三郎の視線が自分の胸に行ったのを見てすぐに落ち込んだように黙り込んだ。


「失敬だねえ。一応ビジネスはしっかりやる方なんですよ。外界の法律が機能しないこの租界じゃあ信用ができるってことだけでも十分金になりますから」 


 そう言って三郎はタバコを取り出した。


「こら!客がいるんだ!それより、できたぞ」 


 店の奥の厨房でうどんをゆでていた三郎の父と思われる老人が叫ぶ。仕方がないと言うように三郎はそのままどんぶりを運んだ。


「人が動く……通行証の管理もオメエがやってるのか?」 


 受け取ったきつねうどんを手にするとかなめはそのまま三郎を見上げた。


「俺も一応出世しましてね。わが社の専門スタッフが……」 


「専門スタッフねえ、舎弟を持てるとこまできたのか」 


 かなめはそう言うとうどんを啜りこむ。今度は誠も無視されずに目の前にうどんを置かれた。


「ああ、そうだ。同業他社の連中の顔は分かるか?」 


 一息ついたかなめの一言に三郎の顔に陰がさす。そしてそのまま三郎の視線は誠を威嚇するような形になった。


「ああ、知ってますよ。ですがいろいろと競争がありますからねえ」 


「それで十分だ。さっきお前の通信端末にデータは送っといたからチェックして返信してくれ」 


 あっさりそう言うとかなめはうどんの汁を啜る。昆布だしと言うことは遼南の東海州の味だと思いながら誠も汁を啜った。


「まじっすか?あの頃だって店の連絡先しか教えてくれなかったのに……ヒャッホイ!」 


 いかにもうれしそうに叫んだ三郎が早速ポケットから端末を取り出した。


「馬鹿なこと言ってんじゃねえよ!これは仕事だ。それにそいつは仕事の用の端末だからな。落石事故かタンカーが転覆したときに連絡するのもかまわねえぞ」 


 かなめはそう言って一気にどんぶりに残った汁を啜りこんだ。そんなかなめに三郎は心底がっかりした様子でうどんをすする様子を見つめていた。

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