第298話 秘匿情報

 突然、嵯峨の背にしている廊下で人の争うような声が聞こえてきた。


「なんだ?」 


 嵯峨はそう言いながら焼き豆腐を取り皿に運ぶ。


 西園寺家には代々多数の食客が暮らしていた。とりあえず時の当主が面白そうだと思った芸人や画家、役者や漫才師が自由に出入りする文化的なサロン。それが西園寺家のもう一つの顔だった。今日は兄弟が殿上会の帰りに護衛のSPに大量の安い牛肉を買い漁らせ、彼ら居候達にもすき焼きと安酒が振舞われているところだった。


 はじめは西園寺義基はそんな食客達が喧嘩でもしているのではと思い嵯峨の顔をのぞき見た。


 嵯峨はまるで待っていた人物が到着したとでも言うように、取り皿の中のしらたきをすすり終えると静かに取り皿をちゃぶ台に置いた。それと同時に血相を変えた醍醐文隆陸軍大臣が思い切りよく襖を開いた。


「大公!」 


 醍醐の視線は安酒をあおる嵯峨に向けられた。その目は赤く血走り、口元は怒りに震えていた。


「そんなに大きい声を出すこと無いじゃないですか」 


 そう言うと嵯峨は再び取り皿に手を伸ばす。そんな嵯峨に歩み寄った醍醐は嵯峨の前にどっかりと座り込んだ。それまで醍醐を止めようとしていた食客の太鼓持ちが、どうすればいいのかと聞くように西園寺義基の顔を見た。彼はは手で食客達に下がるように命じた。


「バルキスタンのイスラム民兵組織がアサルト・モジュールを保有しているのはなぜなんですか?」 


 自分自身を落ち着けようと嵯峨の前に置かれた燗酒の徳利を一息で飲み干すと、醍醐はそう言って嵯峨に詰め寄った。


「近藤資金の規模から考えたら少ないくらいじゃないですか?M5が32機、M7が12機。そのほかもろもろで102機。まあこのくらいの兵力を確保していなければ、カント将軍の首を取っても同盟軍に押しつぶされるでしょうからね」 


 嵯峨はそう言うと取り皿に肉を置いていく。目の前のかつての主君から放たれた言葉に醍醐の顔はさらに赤く染まっていく。


「ほう、良くご存知ですね。ですが私の情報では彼らはアサルト・モジュールを所有していないはずだった……まるで誰かが用意してやったみたいじゃないですか!」 


「まあ情報機関が情報をつかめない。よくある話じゃないですか。まあ現実を見てくださいよ現実を」 


 そう言って嵯峨は怒りに紅潮している醍醐をなだめるように一瞥した。しかし、その口元に浮かんでいる皮肉めいた笑みはさらに醍醐を怒らせるだけだった。


「じゃあどうやって彼らはアサルト・モジュールを手に入れたと言うんですか!」 


 醍醐は思わずちゃぶ台を叩く。その姿に西園寺はただ愛想笑いを浮かべるだけだった。


「まあ裏ルートと言っても俺が抑えている線ではそんなに大掛かりな密輸組織は無いですし……。彼らのバックにいる西モスレムも、今回のバルキスタンの選挙にはカント将軍が仕切ると言うのはいかがなものかと言う前提つきで治安維持軍を送っているくらいですからねえ……」 


 そう言いながら嵯峨は肉に溶き卵を丁寧にからめている。


「外から運んだわけではないと言うのなら……答えは自然と決まってくるんじゃないですか?」 


 嵯峨の言葉に醍醐はあるはずの無いイスラム民兵組織のアサルト・モジュールの出所を思いついた。戦乱を拡大させて選挙を無効化するためにカント将軍が敵であるイスラム民兵に兵器を贈った。そして醍醐はその情報を秘匿していた嵯峨の敵意を悟ってどっかりとちゃぶ台の隣に座り込んだ。


「カント将軍も馬鹿じゃない。今回の選挙が反政府勢力により妨害されておじゃんになりましたよー、これは私達のせいではありませんよー、と。そう言う逃げ道で政権に居座る。なかなかの策士ですな」 


 そのまま安い牛肉を口に放り込んだ嵯峨はまるで隣に怒りに震える醍醐がいないとでも言うように肉を噛み締めていた。


「なるほど。では何故大公はその事実をご存知なんですか?しかもかなりの精度で情報を入手されているようですが……」 


 そう言って醍醐は食い下がる。嵯峨は口に入れた肉を十分に噛んだあと飲み込んでから醍醐の顔を見つめた。


「ああ、いろいろとおせっかいな知り合いが多くてね。そんなところから俺のところまで情報が漏れてくるんですよ。まあ、今回の件についてはだんだん最悪な予想屋の言ったことが的中しそうですが」 


 嵯峨は箸を再びすき焼き鍋に向ける。


「今回の事実で私の情報の精度が劣ることは分かりました……ですが……。この情報を伏せていたと言うことは我々とは情報を共有する余地は無いと?」 


「それをうちに言うのはお門違いですよ。お仲間のアメリカ海軍のお偉いさんに聞いてみてごらんなさい。おそらくイスラム民兵のアサルト・モジュールパイロットの名簿まで送ってくれますよ」


「そんな……米軍が?」


 怒りに引きつる醍醐の顔。嵯峨はまるっきりそちらを見ようともしない。西園寺は黙ったまま箸をちゃぶ台に置いて二人のやり取りを見つめている。


「国家の間に友情なんてありはしませんよね。アメちゃんとしては胡州軍を引っ張り出して同盟の関係に傷をつける。なかなか考えた作戦じゃないですか」


 嵯峨はそう言って悠然と肉をほおばった。その様子を見ている時間に比例して醍醐の顔が赤く染まっていく。


「分かりました!総理」 


 嵯峨に見切りをつけた醍醐は懐から書簡を取り出した。表には『辞表』と書かれているのを見ても嵯峨は黙ってしらたきを取り皿に運んでいた。


「突然だね」 


 それだけ言うと西園寺義基は手に取ることも無く、醍醐の陸軍大臣を辞めるということが書かれているだろう書簡を眺めていた。


「嵯峨さん。私はもうあなたを信じられなくなりました……」 


「え?これまでは信じてたんですか?それはまたご苦労なことで」 


 視線を向けることも無く嵯峨はしらたきを食べ続ける。その様子に激高して醍醐は紅潮した頬をより赤く染める。


「まったく!不愉快です!」 


 そう言うと醍醐は立ち上がった。そして西園寺義基と嵯峨惟基の兄弟を見下ろすと大きなため息をついた。


「すいませんねえ。俺はどうしてもこう言う人間なんでね」 


 部屋の襖のところまで行った醍醐に嵯峨が声をかける。だが、醍醐はまるで表情の無い顔で一礼した後、襖を静かに閉めて出て行った。


「どうするの?それ」 


 嵯峨は今度は焼き豆腐に箸を伸ばしながら腕組みをして辞表を見つめている西園寺義基に声をかけた。


「とりあえず預かることになるだろうな。だが、醍醐のとっつぁんの話はいいとしてだ。今回の事件。どう処理するつもりだ?」 


 その言葉はこれまでのやわらかい口調とは隔絶した厳しい調子で嵯峨に向けられていた。


「どうしましょうかねえ。ってある程度対策の手は打ってあるんですがね」 


 嵯峨はそう言うと調理用ということで置いてあった一升瓶から安酒を自分の空けた徳利に注いだ。


「これだけの大事になったんだ。しくじれば司法局の存在意義が問われることになるぞ」 


 静かにそう言うと西園寺義基は嵯峨が置いた一升瓶から直接自分の猪口に酒を注ごうとする。さすがにこれには無理があり、ちゃぶ台にこぼれた安酒を顔を近づけてすすった。思わず嵯峨の表情がほころんだ。


「兄貴。それはちょっと一国の首相の態度じゃないですよ……。それに同盟の活動の監視は議会の専権事項ですからねえ」 


 そう言って嵯峨は笑う。釣られて西園寺も照れるような笑みを浮かべていた。


「じゃあお前さんの好きにしなよ。当然結果を出すことが前提だが」 


 西園寺義基はそう言うとコップ酒を口に含む。それを見た嵯峨はいつものとぼけたような笑みを浮かべて肉に箸を伸ばした。

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