日常

第267話 飲みすぎた朝

 まず、誠が最初に感じた感覚は頭の頂点に激しい痛みがあるということ。そのまま目を開けずにその場所をさする。確かに大きなこぶができていた。そして次に自分の布団の隣でなにやら争うような物音がしていると言うことを感じた。すぐに意識を取り戻した誠はその音の主を見つめた。そこにはエメラルドグリーンの透き通るような髪が揺れていた。


「あの、カウラさん?それと……」 


「ああ、目が覚めたのか」 


 かなめはそう言うと腕をカウラの首に巻きつけて締め上げ始めた。


「何やってるんですか!」 


 思わずそう言うと飛び起きた誠はかなめの腕を引き剥がそうとした。だが、その独特の人工皮膚の筋の入った強力な人口筋肉は誠がどうにかできるものではなかった。しばらくカウラを締め上げた後、満足したとでも言うようにかなめは手を放した。


「この女が昨日ずっとお前の部屋にいやがったからな。制裁を加えていたんだ」 


 黙って咳き込むカウラを見ながらかなめは悪びれもせずに答える。確かにこの司法局下士官寮に誠の護衛と言うことで同居を始めたカウラ、かなめ、アイシャの三人はできるだけ他の部屋に入らないようにと寮長の島田が説明しているところに誠も同席していた。そのことを盾に不法侵入を繰り返すアイシャにかなめが制裁を加えている場面には何度か行き当たっていた。


「別に制裁なんて……どうせ昨日も泥酔した僕が暴れて看病でもしてくれていたんじゃないんですか?」 


 そう言う誠の顔を見て、タレ目を光らせながらばつの悪そうな顔をしてかなめは頭をかき始める。


「……お前、力の加減くらいはしろ」 


 ようやく息を整えたカウラがかなめをにらむ。


「あー、頭痛い。誠ちゃん起きた?」 


 そう言ってさも当然のように入ってくるのはアイシャだった。シャワーを浴びたばかりのようで胸にタオルを巻いただけのあられもない姿でドアを開けて立っている。かなめは誠を指差す。


「元気そうじゃないの。ごめんね、昨日はどこぞの馬鹿が加減をせずに飲んだらどうなるかわからないちびっ子に酒を飲ませたからこんなことになっちゃって……」 


 そんなアイシャの言葉で昨晩意識を失う直前に見た薄ら笑いを浮かべる幼女、ランの表情が思い出されて誠は頭を押さえる。


「そう言えば今は何時ですか?」 


 そう言う誠にかなめが腕時計を見せる。まだ7時にはなっていない。とりあえず余裕がある時間だった。


「あの、お願いがあるんですが」 


 誠は三人を見回す。察したアイシャはそのまま出て行った。


「着替えたいんで」 


 その言葉でようやくかなめとカウラは立ち上がった。


「先に飯食ってるからな」 


 かなめはドアを閉めて去っていく。誠はゆっくりと起き上がるとアニメのポスターの張られた壁の下にある箪笥から下着を取り出す。


 そしてすぐドアを見つめた。隙間から紺色の髪が見え隠れしている。


「あの、アイシャさん。なにやってんですか?」 


 そんな誠の言葉で静かにドアが閉じられた。


 隠れていたアイシャを追い返すとそのまますばやく着替えを終える。そして廊下に出ると誰にも行き会わずに食堂に入った。


 いつものことながら技術部法術技術技師長、ヨハン・シュペルター中尉が食事当番の時の朝食は豪勢である。


 最高級のウィンナーとハム。それにスクランプルエッグが食欲を誘う。どれも材料は東和の有機栽培農場から取り寄せた最高級品とシャムの育てた菜園の恵み。食べることに人生をかけているヨハンは自分の給与を割いてまで食卓の充実に力を尽くしていた。そんなヨハンの思いを完全に無視するようにかなめは味わうこともなく食材を口に詰め込む。


「かなめちゃんは味なんてわからないんでしょうね」 


 そう言いながら緑色のジャケットを着たアイシャがちゃんとマスタードを塗りながらウィンナーソーセージを食べている。


「そう言えば今日から隊長休みだったわよねえ」 


「知らねえよ、アタシは叔父貴の保護者じゃねえんだから」 


 周りは半分も食べていないと言うのに皿の隅に残った卵のカスを突くだけになったかなめが答える。


「殿上会。お前も恩位おんいで伯爵の爵位を持っているんだから出ないといけないんじゃないのか?」 


 そう言いながらトマトを箸で掴むカウラをあからさまに嫌な顔をしたかなめが見つめる。当主ではないかなめも一応は胡州の有力貴族の息女として女伯爵の位を持っていることは誠も知っていた。


「誰が出るかって!あんな鼻持ちなら無い公家連中の相手なんて想像しただけで吐き気がするぜ」 


 そう言いながらかなめはテーブルに置かれたやかんから番茶を汲む。


「そう言って、実は康子様に会うのが嫌なんじゃないの?」 


 アイシャのその言葉にびくりと震え、かなめは静かに湯飲みをテーブルに置く。


「康子様?」 


 不思議そうに誠はかなめの顔を見る。その名前を聞いてから確かにかなめの行動がどこか空々しいものになっている。


「ああ、この胡州四大公筆頭西園寺かなめ嬢のご母堂様よ。まあ胡州帝国西園寺義基首相のファーストレディーと言った方が正確かしら」 


 タレ目で迫力が減少しているとは言え、明らかに殺意を込めた視線をアイシャに送りながらかなめは番茶をすすっている。


「別名、遼州星系最強の生物」 


 そう付け加えるとカウラは茶碗の中の最後のご飯を口に突っ込む。


「西園寺さんのお母さんがですか?」 


「そう言ってたろ、こいつ等も」 


 ぎこちない動きを見せるかなめに誠は思わず噴出しそうになる。だが、ここで噴出せばただではすまないと必死にこらえて茶碗のご飯を無理やり喉に押し込んだ。


「まあ康子様からの電話を取り次いだ時のあの隊長の恐怖に震える表情は最高だったけどねえ」 


 そう言いながらアイシャは自分の手元にやかんを持ってくる。


「隊長が恐怖に震える?……つまり凄い人なんですね」 


「凄いんじゃねえよ、ただのアホだ」 


 誠の言葉に、かなめはそう自分の母を切って捨てた。


「あんまり自分の母親をそう言うふうに言うもんじゃないわよ。当代一の薙刀の名手。自慢くらいしてみなさいよ。ああ誠ちゃん酒臭いわよ。たぶん

空いてるからシャワーでも浴びてきなさいよ。そのままじゃ姐御達にいろいろ言われるわよ」 


 アイシャはそう言うと誠の肩を叩いた。


「30分で支度を済ませろ。遅れたら置いていくからな」 


 カウラもそう言うと立ち上がった。誠は番茶も飲めずにそのままシャワーへいかなければならない雰囲気に立ち去らなければならなくなっていた。

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