第266話 いつもに無い展開

 意外なことに誠の目が光を捉えた瞬間には覚悟していた頭痛が無かった。だが、明らかに浮遊感と胃の焼け付くような痛みが誠を襲う。


「珍しいな、この状況で目が覚めるなんて。だいぶ肝臓が鍛えられてきたんじゃないのか?」 


 そう言って倒れている誠の顔を覗き込んだのはマリアだった。そして今居るのが寮ではなくあまさき屋の宴会場だと言うことを思い出した。マリア笑みを浮かべて団扇を手に誠の顔を仰いでいる。状況を理解してすぐさま起きようとする誠だが、自分の格好が全裸であり、股間にタオルを乗せられただけの姿であると気付いて顔が赤くなっていくのを感じた。


「ベルガー!神前の服は?」 


 マリアが叫ぶと突然空からトランクスが降ってきて誠の顔に乗っかる。


「あのー、パンツ履くんで」 


 そう言って誠は起き上がろうとする。くるくると回る周囲の光景の中、力の入らない両腕でどうにか上体を起こした。


「ハハハハハハ!」 


 少女の笑い声が聞こえる。そしてバチバチと何かを叩く音が響いた。


「痛てえ!馬鹿野郎!誰がコイツに本気で酒飲ませた!」 


 叫び声の主はかなめだった。誠がそちらに首を向けると、笑い声の主のランが、バチバチとかなめの背中を叩き続けていた。


「春子さん、ちょっと……」 


 嵯峨は完全に酒を飲む雰囲気ではないことを悟ったようにいつの間にか騒ぎから離れる為か、遠くの下座にいて春子に声をかけていた。誠は暴れるランに皆の目が言ってるのを確認すると、素早くパンツをはいた。


「神前。どうせみんな見慣れてるから急がなくても大丈夫だぞ」 


「マリアさん……そう言う問題じゃないんですけど」 


 そう言って誠はジーパンと上着を探す。一心不乱にお好み焼きを焼き続けているシャムの隣にあるジーパンを見つけて誠は四つんばいで近づく。パンツ一丁の誠が入ってきたのを珍しい生き物を見るような視線でシャムが見つめる。


「こいつが目的だな」 


 そう言って吉田がジーンズを渡す。


「吉田さん。シャツとかは?」 


 誠の言葉に吉田はけたたましい笑い声が響くランの鉄板の隣の席を指差した。そこには真っ赤な顔のアイシャが眠っていた。誠はさらに目を凝らした。そして彼女が何かを枕にしているのがわかる。


 白いシャツ。黒いジャケット。それを纏めてアイシャは枕にしていた。せせこましい格好でどうにかジーンズを履くと誠は立ち上がろうとした。だが、まだラム酒のアルコールで三半規管は麻痺している。仕方なく再び座り込むとそのままアイシャのところにまた四つんばいで近づく。


「馬鹿が。ちょっと待ってろ」 


 アイシャの隣でマリアと向かい合い烏龍茶を飲んでいたカウラがアイシャの頭の下の誠の服を引き抜く。


「痛い!」 


 そう言ってアイシャが目を覚ます。それを見た明華がめんどくさそうな顔で起き上がるアイシャを眺めていた。


「むう……」 


 赤い顔のアイシャが誠を見上げた。誠は思わずアイシャのトロンとした視線から目を逸らす。自然とアイシャを見守っていたパーラに目が行く。だが、パーラは無慈悲に首を横に振った。


「誠ちゃん!」 


 アイシャが誠にしがみついた。


「好きなの!大好き!」 


「止めてください!アイシャさん!」 


 腹の辺りを思い切り絞り上げるようにアイシャは全身の力を込めて締め上げる。誠は鯖折状態で彼女を振り払おうとする。


「よう、アイシャ。何してんだ?」 


 ようやくひっくり返って眠り始めたランから解放されたかなめが誠とアイシャを見つめる。


「見てわからないんれすか?これはれすねえ……えへ……」 


 アイシャは完全に出来上がっている。彼女がさらに誠に密着をはじめるのを見てかなめが残忍な視線を誠に向ける。


「これはですねえ」 


「何なのか私も知りたいが」 


 誠は恐る恐る振り返る。そこにはエメラルドグリーンの髪をなびかせるカウラが控えていた。


「これはですねえ……」 


「愛なのら!」 


 叫ぶとすぐにアイシャは今度は誠の顔に自分の顔を密着させる。


「パーラさん……」 


 冷静でいるのはいつもセーブして飲んでいるパーラくらいだろう、誠はそう思いながら隣の席を見るが、彼女は携帯端末で運転代行業者と会話中だった。


「許大佐……」 


 明華は一人、楽しそうに広島風お好み焼きを突いている。


「吉田さん……」 


「まあがんばれや」 


 吉田とシャムは食べるのも忘れてこの状況を観察することを決めているようだった。当然のことながら上座にはもう嵯峨の姿は無かった。


「あの……」 


 今度はアイシャは首を振ろうとする誠の頭を両腕で固定した。


「あの……」 


 そしてそのままアイシャは誠を押し倒そうとする。一瞬視界が消えた。続いたのは頭の頂点に与えられた強力なエネルギーとそれが生み出す痛み。


「新入りが!いちゃいちゃするんじゃねーぞ!」 


 手には誠を殴ったビール瓶の首だけを掲げているランの姿が誠の目に飛び込んできた。顔を真っ赤に染めて満面の笑みで誠を見つめている。そしてそれがもたらした痛みとともに再び誠の視界は暗転した。

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