第261話 帰りがけ
「いいんですか?あまさき屋でまたナンバルゲニア中尉に泣かれますよ」
誠はあまりにも露骨な嫌がり方をするかなめにそう言った。
「ああ、どうせシャムだぜ。目の前に食べ物置かれたら忘れるだろ?」
そう言うと二人は実働部隊控え室に入った。
アメリカ海軍からの出向者である第四小隊を迎えて、それまで机が点々と置かれているだけだった控え室も少しは司法執行官の執務室にふさわしい数の机がそろっていた。
「遅かったな」
すでにカウラは席に座って携帯端末で先ほどの誠の戦いを繰り返し見ていた。
「飽きねえなあお前も。吉田は隊長室か?」
そう言うとかなめもカウラの正面の席に座った。
「ああ、姐御が三人とも入ったまま出てこないな」
姐御と言えば大きい姐御が司法局実働部隊警備部部長マリア・シュバーキナ少佐、中くらいの姐御が技術部部長許明華大佐を、小さい姐御がクバルカ・ラン中佐を指す部隊の専門用語である。ちなみにお姉さんと言う隠語もあり、それは現在産休で休んでいる運用艦『高雄』艦長鈴木リアナ中佐を指す言葉だった。
「それにしてもいつもいるんだな」
「なに?いちゃ悪いの?」
この部屋の部外者であるアイシャが吉田の椅子に座って周りを眺めている。
「まあお前の仕事をちゃんとしていればそれでいい」
「してるわよ……任せなさい」
ここまで言うとアイシャは扉の外に手を振った。誠が振り返るとそこにはパーラとエダが手を振っている。
「アタシ等も出かけるか?」
かなめはそう言うと椅子をきしませながら立ち上がる。
クバルカ・ラン副隊長の正式移籍に伴う飲み会。それがこれから待っている出来事だった。
「そう言えばクバルカ中佐の足はあるのか?今日はシン大尉の車で寄ったと聞いたが……」
そうかなめに尋ねるカウラだが、かなめは無視してそのまま部屋を出ようとする。
「あの鬼チビも餓鬼じゃねえんだ。タクシー呼ぶくらいのことならできるだろ?」
そう言うとかなめは静かに部屋を出て行った。
かなめにつられるようにして誠は廊下に出て周りを見回した。もう秋も深くなろうとしている。すでに夕日は盛りを過ぎて、紺色の闇に対抗するべく蛍光灯の明かりが降り注ぐ。
「あの、僕も着替えたほうが……」
勤務服姿の誠の問いに肩に手を当てるかなめ。
「いいんだよ、こいつだって先月までは制服以外の服はろくに無かったんだからな」
そう言ってかなめは後ろに立つカウラを親指手指した。
「お姉さんにそうしろと言われただけだ。その……」
そう言ってカウラは顔を赤らめる。かなめは今度はカウラの肩に手を乗せる。
「なんだ?お姉さんに何を言われたんだ?」
そう言ってうつむくカウラにかなめは挑戦的な表情で絡みつく。そしてねちっこくカウラの頬を突く。そのタレ目はゆっくりと方向を変えて誠を見つめた。うつむいたカウラのエメラルドグリーンの髪が蛍光灯の明かりに照らされて輝いて見える。
「じゃあ着替えてきますね」
かなめにそう言うと誠は廊下を早足で歩いた。すれ違う時に軽く手を上げたヨハンを無視して更衣室に飛び込む。
「上がりですか。ご苦労様です!」
中にはつなぎを着込んだ西が立っていた。
「夜勤か?大変だね」
そんな誠の言葉に、西は軽くうなづく。
「仕方ないですよ、島田先輩は出張中ですから仕事が結構たまっちゃうもので。それにレベッカさんも早く05式の整備に慣れたいって言ってくれるんで……それじゃあ!」
誠は冷やかすタイミングを計っていたが、西は計算したように華奢な体を翻して飛び出していった。
誠は大きくため息をつくと自分のロッカーを開き、指紋認証の保管庫を開く。そのままガンベルトを外して中に納めて扉を閉める。自動で鍵がかかる音がする。作業着のボタンを外す誠の後ろでドアが開く音がした。
「よう、上がりか?良い身分だねえ」
そう言うのは菰田主計曹長だった。誠は正直この先輩が苦手である。
彼の唱える『ヒンヌー教』は部隊の一大勢力ともいえる非公然組織として司法局や他の軍や警察にすら知られていた。教義は『ほのかな胸のふくらみが萌えるだろ?』と言う非常にマニアックで感覚的な言葉である。スレンダー美女を崇拝し、彼らの定義する『萌え』を備えた女性をあがめ奉る宗教である。
その生きた神がカウラだった。カウラは明らかに嫌がっているが、それを好意と勘違いするほどに彼らの思考回路は歪んでいた。
「そう言えば神前曹長は今日はあまさき屋に呼ばれているんだよねえ」
耳まで伸びた油ぎった髪を掻きあげる菰田の言葉に誠は仕方なくうなづく。
「うらやましいねえ、俺もパイロットになれば良かったよ」
そう言って上目遣いに見つめてくる態度は先輩のものとわかっていても誠の癪に障った。確かにかなめでなくてもそのまま襟首を締め上げたくなる、そんなことを考えながらズボンをはきかえる。
「まあ、今日はあのクバルカ中佐が主賓だからね。せいぜい失礼を……?」
そこまで言ったところで菰田の手が止まる。菰田の視線はドアに向かっている。誠の目に映る菰田が、跳ね上がるように背筋を伸ばすとブリーフ姿で敬礼をした。慌てて誠もドアに視線を移した。
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