第147話 変わるテロ組織の戦術

 嵯峨はそう言うと一枚のディスクを取り出した。


「何、これ」 


 安城は静かにディスクを受け取る。何の変哲も無いデータディスク。親指の爪ほどの黒い板をじっと見つめる。吉田はそれが何かを知っているとでも言うようにソファーで静かにうなづいていた。


「プレゼント。という事でどう?」 


 嵯峨はニヤリと笑う。安城は嵯峨の言葉遣いに彼を見つめて一瞬ハッとした後、照れるようにディスクに目を移す。


「見ないんですか?隊長は」 


 吉田は嵯峨を一瞥して不満そうにつぶやく。彼の不満そうな表情から秀美はそのディスクの内容があまり公に出来ないが重要な情報が詰まっていることを察した。 


「見たよ。吉田よ、よくやってくれたねえ。でもまあ予想の範囲内ってとこか」 


 そう言うと嵯峨は鋭い目つきで自分をにらんでいる安城の目を気にしながらタバコに火をつけた。


「裏の取れていない近藤資金の流れの未発表資料?」 


 安城は軽く掻き揚げると足元のかばんを開き、バインダーを取り出して並んだ同じようなディスクと一緒にそのディスクをしまった。


「上手い事、公然組織に分散してたからね。末端までたどるのに苦労したよ」 


「末端組織まで……俺のデータにいくつか加筆したわけですか?」 


 見上げた吉田の先に、いつもの通り眠そうな嵯峨の瞳が漂っている。


「東ムスリム革命戦線、皇国の旅団、聖職者会議。まあぞろぞろとおっかないテロ組織の名前が出て来る出て来る……胡州の貴族主義非公然組織の帳簿だっていうのに遼州のテロ組織の名鑑ができるほど隅々まで金が行き届いているよ。近藤という男……胡州の参謀にしておくには惜しい男だったというところかね。この集金能力は政治家、しかも派閥の領袖(りょうしゅう)だって務まるよ」 


 嵯峨がたとえに上げた頻繁に遼州各地でテロを行っている具体的組織名に安城の顔が真剣なものへと変わる。


「そのあたりの名前と金の流れだけならうちでも把握してるわよ。それならこれをもらう必要なんて無いわね。わざわざ手渡しってことはそれ以上のもの……何か掴んだの?」


 安城の目色が変わる。


「南都の米軍基地を標的にした自爆テロ。確か現役の海軍兵士が20名程お亡くなりになった事件。ありましたよね。あれからもう三ヶ月だ。遼南の警察当局もがんばっているねえ……とりあえず遼州民族派の幹部の逮捕状を請求するくらいまで来たんだ。大したもんだよ……ただねえ……」


 いつものように相手を嵯峨はもったいぶってつぶやいた。安城はだまされまいとその言葉に耳を澄ます。 


「奥歯に物の挟まったような言い方なんとかならないの?とりあえず何が言いたいのかしら?」 


 苛立つ安城に嵯峨は満面の笑顔で答える。


「このところベルルカンが妙に静かじゃないですか?雨季特有のクーデターも無い。これまで毎日起きていたテロがぴたりと止んだ」 


 安城は嵯峨を見つめた。物悲しげな殺気を感じないその表情。だが彼女はその表情を見るとどうしても目の前の男に近づきがたい雰囲気を感じる自分がいることを知っていた。


「近藤事件以降、テロ組織が方針を転換したとでも?」 


 ようやく気がついたかのように安城はそう言った。


「そのあたりを頭に入れてそのデータを見ると納得が行く。非公然組織への資金供与や政界工作の為に流れていた資金だけど、俺が見ただけでもそれらに割いた数倍の金額が消えてなくなっている。まあテロ組織も資金の見通しが急にたたなくなって戸惑ってるんじゃないですかね……まあ近藤の石頭に私的流用なんて器用なことできるわけが無いからその金がどこに行ったか……」 


「つまり、正体不明の資金がどこかに流れ込んでいるって言う訳?確かに胡州の公安憲兵隊が見つけた近藤中佐の公然組織名義でプールされていた資金があまりに少ないのには私も唖然としたけど」 


 嵯峨はタバコを灰皿に押し付けてもみ消すと、次はボールペンで頭を掻き始める。


「その……ねえ。ディスクを見てもらえればわかるけど、あくまで現時点の話ですから。金は天下の回り物。つかめる範囲での新しい情報が入ったらその都度吉田に連絡させてもらいますよ」 


 そう言うと嵯峨は立ち上がった。


「それでさあ……秀美さん。美味い蕎麦屋があってね、これから暇なら昼飯くらい……」 


 嵯峨の今にも揉み手でもしかねない態度の変化。安城はいつもそんな豹変する嵯峨に振り回されてきた。


「残念だけど、これから会議なのよ。『彼女』の件で」 


 そう言うと安城は悪戯っぽい笑みを浮かべる。嵯峨の笑みが『彼女』と言う言葉を聞くと一瞬だけ残念そうな表情に変わるのを吉田は見逃さなかった。


「茜の法術特捜主席捜査官就任は……まああいつももう大人ですよ。それより秀美さん、ここまで足を伸ばしてもらうなんてことはそうないんだからさあ……そこ本当に美味いんだって」 


 食い下がる嵯峨だが、安城は手にしたバッグを一度開いて中身を確認すると背筋を伸ばして嵯峨を見つめる。


「また今度にしましょう。彼女ったら結構まめなのよね。父親とは大違い」 


 安城はそう言うと親しげな笑みを浮かべて部屋を出て行く。 


「笑うなよ吉田……」 


 振られた嵯峨を見て笑う吉田に情けない顔を晒す嵯峨だった。

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