第126話 瓦解する将来設計

 菱川重工豊川工場。完成したばかりの掘削機の鉱山用ドリルを積んだ大型トレーラーが、轟音を立てながら走る。誠はその後ろにくっ付いて買った中古のスクーターで走る。昨日までは東和帰還後の休暇だった。いつものように司法局実働部隊の通用口に到着すると、そこでは警備部員が直立不動の姿勢でマリアの説教を受けていた。


「おはようございます!」 


 誠の挨拶にマリアが振り向く。警備部員はようやく彼女から解放されて一息ついた。


「昇進ですか?」 


「……ああ。そんなところだ」


 佐官用の勤務服姿のマリアに誠が声を掛けるが、マリアはあいまいな返事をするばかりだった。普段ならこんな事をする人じゃない。誠は不思議に思いながら無言の彼女に頭を下げてそのまま開いた通用口の中に入った。


 広がるトウモロコシ畑は、もう既に取入れを終えていた。誠はその間を抜け、本部に向かって走った。そして駐輪場に並んだ安物のスクーター群の中に自分のを止めた。なぜかつなぎ姿の島田が眼の下に隈を作りながら歩いてくる。


「おはようさん!徹夜も三日目になると逆に気持ちいいのな」 


 そう言うと島田は誠のスクーターをじろじろと覗き込む。


「大変ですね」 


「誰のせいだと思ってるんだ?上腕部、腰部のアクチュエーター潰しやがって。もう少しスマートな操縦できんのか?」 


 そう言いながら島田がわざとらしく階級章をなで始める。 


「それって准尉の階級章じゃないですか?ご出世おめでとうございます!」 


「まあな。それより早く詰め所に行かんでいいのか?西園寺さんにどやされるぞ」 


 かなめの名前を聞いて、誠はあわただしく走り始める。


「おはようございます!」


 気分が乗ってきた誠は技術部員がハンガーの前で草野球をしているのに声をかけた。技術部員達は誠の顔を見ると一斉に目を反らした。


 何か変だ。


 誠がそう気づいたのは、彼らが誠を見るなり同情するような顔で、お互いささやきあっているからだった。しかし、そんな事は誠にはどうでもよかった。元気よく一気に格納庫の扉を潜り抜け、事務所に向かう階段を駆け上がり管理部の前に出る。


 予想していた菰田一派の襲撃の代わりにかなめとアイシャが雑談をしていた。アイシャの勤務服が佐官のそれであり、かなめが大尉の階級章をつけているのがすぐに分かった。


「おはようございます!」 


 元気に明るく。


 そう心がけて誠は二人に挨拶する。


「よう、神前って……その顔はまだ見てないのか、アレを」 


「駄目よかなめちゃん!」 


 そう言うとアイシャはかなめに耳打ちする。


「アイシャさんは少佐で、西園寺さんは大尉ですか。おめでとうございます!」 


「まあな。アタシの場合は降格が取り消しになっただけだけどな」 


 不機嫌にそう言うとかなめはタバコを取り出して、喫煙所のほうに向かった。


「そうだ、誠ちゃん。隊長が用があるから隊長室まで来いって」 


 アイシャも少しギクシャクとそう言うと足早にその場を去る。周りを見回すと、ガラス張りの管理部の経理班の班長席でニヤニヤ笑っている菰田と目が合った。何も分からないまま誠は誰も居ない廊下を更衣室へと向かった。


 実働部隊詰め所の先に人垣があるが、誠は無視して通り過ぎようとした。


「あ!神前君だ!」 


 肉球グローブをしたシャムが手を振っているが、すぐに吉田に引きずられて詰め所の中に消える。他の隊員達はそれぞれささやき合いながら誠の方を見ていた。気になるところだが誠は隊長に呼ばれているとあって焦りながらロッカールームに駆け込む。


 誰も居ないロッカールーム。いつものようにまだ階級章のついていない尉官と下士官で共通の勤務服に袖を通す。まだ辞令を受け取っていないので、当然階級章は無い。


「今回の件で出世した人多いなあ」 


 誠が独り言を言いながらネクタイを締めて廊下に出た。先程の掲示板の前の人だかりは消え、静かな雰囲気の中、誠は隊長室をノックした。


「空いてるぞ」 


 間抜けな嵯峨の声が響いたのを聞くと、誠はそのまま隊長室に入った。


「おう、すまんな。何処でもいいから座れや」 


 机の上の片づけをしている嵯峨。ソファーの上に置かれた寝袋をどけると誠はそのまま座った。


「やっぱ整理整頓は重要だねえ。俺はまるっきり駄目でさ、ときどき茜が来てやってくれるんだけど、それでもまあいつの間にかこんなに散らかっちまって」 


 愚痴りながら嵯峨は書類を束ねて紐でまとめていた。


「そう言えば今度、同盟機構で法術捜査班が設立されるらしいですね」 


「ああ、茜の奴を上級捜査官にしようってあれだろ?ここだけの話だが、相談受けてね。本人は結構乗り気みたいだからできるだろうが、まあこれまでは法術は『無かった』ことになっていた力だ。そうそう簡単に軌道に乗るとは思えないがな。まあ父親としてはフリーの弁護士よりは安定したお仕事につくんだ。歓迎してやらにゃあならん」 


 嵯峨茜。司法局実働部隊隊長嵯峨惟基の長女である。誠も何度か実家の道場で顔を合わせたことはあった。誠と同い年のはずだが、物腰は柔らかい落ち着いた印象だった。


 今回の事件。『近藤事件』と名づけられた胡州軍の分派活動に対する司法局の急襲作戦により、法術と言うこれまで存在しない事にされてきた力が表ざたにされた。


 遼州同盟は加盟国国民や地球などの他勢力の不安感払拭のために、非正規特別部隊である特務公安、アサルト・モジュールを所有しての実力部隊司法局実働部隊に続く、法術犯罪専門の特殊司法機関機動部隊の発足を決めたニュースは、すぐに話題となった。そしてその筆頭捜査官に茜の名前が挙がっていることは誠も知っていた。


「それにしても良くここまで汚しますねえ」 


 誠がそう言いたくなったのはソファーの上の鉄粉が手にまとわりつくのが分かったからだ。


 隊長室の机の端に大きな万力が置かれ、嵯峨の愛銃VZ52のスライドががっちりと固定されている。


「ああ、そう言えばすっかり辞令の事忘れてたな。今渡すよ」 


 そう言うと嵯峨は埃にまみれた一枚の書類を取り出した。誠は立ち上がって、じっと辞令の内容が読み上げられるのを待った。


「神前誠曹長は司法局実働部隊での勤務を命ず」 


 嵯峨はそう言った。


『曹長?』 


 誠は聞きなれないその言葉に、体の力が抜けていくのを感じた。


「あの、もう一度いいですか?」 


 誠は確かめるために嵯峨に頼む。


「ああ何度でも言うよ。神前誠曹長」 


『曹長』と聞こえる。


「あのソウチョウですか?」 


「まあそれ以外の読み方は俺も知らないが」 


 そう言うと嵯峨はにんまりと笑う。 


「張り出してあったろ?掲示板見ていなかったのか?」 


 そこで通用門から続いていた微妙な視線の意味が分かった。


「確かにお前さんは幹部候補で入った訳だけど、一応適性とか配属部隊で見るわけよ。まあ、お前さんには似合うんじゃないの?鬼の下士官殿」 


 ガタガタとドアのあたりで音がするのも誠には聞こえない。聞こえないと思い込みたかった。


「でもまあ曹長は便利だぞ。まず下士官寮の激安な家賃。さらに朝食、夕食付き。士官になるとそこ出て下宿探さにゃならんからな」 


「でもシュペルター中尉もいますよ?」 


「ああ、エンゲルバーグね。アイツは食事制限のためにあそこに閉じ込めてるんだよ。ほっとくと、どんだけ太るか分からんからな」 


 誠は足元が覚束なくなってきているのを感じた。幹部候補で入った同期は例外なく少尉で任官を済ませている。しかし誠は候補生資格を剥奪されての曹長待遇。ただ頭の中が白くなった。


「ああ、今回の実戦で法術兵器適応Sランクの判定が出たから給料は逆に上がるんじゃないかな」 


 そう言うと嵯峨は掃除の続きを始める。


「でも原因は?なんで尉官任官ができないなんて……」 


「本当に心当たりないか?」 


 嵯峨が困ったような顔をして誠を睨む。その瞬間、誠は初日の出来事を思いだした。


「もしかして、ナンバルゲニア中尉に銃を向けた事ですか?」 


 思いつくことと言えばそれくらいだった。誠の言葉に嵯峨は手を打って誠の顔を指さす。


「正解。頭に血が上りやすいのはかなめ坊だけで十分だ」 


嵯峨はそう言うと本当にいい笑顔を誠に向けた。

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