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 場所を変えよう、と案内された先は、謁見の間からほど近い一室だった。


「ここが私の執務室だ。――別名を書斎、または〝書類の牢獄〟とも呼ぶがね」


 わざとらしく顔をしかめる領主の脇で、無類の本好きであるレスタが、そわ、と目を輝かせる。あいにくアーキェルは文章を読んでいると眠くなる質なので、領主に大いなる同情を含んだ苦笑を贈った。

 対照的な二人の反応に微笑み、ようこそ、と領主が重厚な造りの扉に手を伸ばした瞬間。


「――お待ちください」


 レスタが、鋭く囁いた。


「……なぜだね?」


 ぴたりと手を止めた領主が、顔だけをこちらに向けて問いかける。その表情は、どことなく面白がっているようにも見えた。


「この扉の先から、微弱ながら魔力反応がございます。恐れながら、ご用心を」


レスタの双眸が、扉の向こうを見透かすように眇められる。魔術の心得がある彼女だからこそ、感知できる気配。しかし――


(……何も、いないはずだ)


 反対に、敵の気配に聡いアーキェルには、何も感じ取れない。すなわち、魔力反応があるにもかかわらず、敵の気配がないということだ。

 これはどうしたことか、と隣を窺うと、アーキェルの戸惑いを察したレスタが、逡巡するように眉根を寄せる。

 困惑する二人をよそに、今度こそはっきりと笑みを浮かべた領主は、何の躊躇いもなく扉を開け放った。


「――――――――…………」


 執務室の奥、紫檀の机の後ろに、飾られたそれ。

 壁の右端から、美術品めいた優美な曲線を描いて左端まで達するそれは、レスタの腕ほどの幅があるだろうか。

城壁の鈍い白とは一線を画す、清廉な白銀の光が星辰のごとく宿る、それの正体は――


「……龍の、骨」


 アーキェルの呟きに、領主が首肯する。レスタが、はっと若葉の瞳を見開いた。

 ――強大無比な力を持つ竜族は、死してなお、その身に力を宿す。

(だから、レスタの魔力探知にだけ反応したのか)

 すでに死しているがゆえに、アーキェルが敵の気配として察知することもない。

 先の違和感の正体が明らかになり、ほっと息をつくと、領主がいたずら気な表情で告げた。


「君たちはなかなか度胸が据わっているな。大抵の客人は、これを見て逃げ出すか、あるいは身体に害はないのか、と震えながら尋ねてくるものなんだがね。――ああ、健康に影響はないから安心してくれていい」


 座ってくれ、と手振りで促され、間違っても壊さぬように用心しながら椅子を引いて腰かける。すると、なぜか領主が、くっくっ、と忍び笑いを漏らした。


「龍の骨よりも、椅子の方が恐ろしいと見える。なに、安物だから気にすることはない。――それでは、本題に入ろうか」


 領主の表情がにわかに真剣な色を帯び、つられてぴんと背筋が伸びた。机の上で指を組んだ領主が、訥々と語り始める。


「まずは、礼を言わねばなるまい。――よくぞ遠路はるばる、この地まで来てくれた。一つ確認したいのだが、私の話はどのように伝わっているかね?」


 一瞬だけ視線を交わし、こくりと頷いてから、レスタが口火を切った。昔から、交渉事は圧倒的にレスタの方が得意だ。


「こちらこそ、馬車を手配くださり、ありがとうございました。――領主様のお話は、竜族の長の正体を確かめてほしい、という件でよろしかったでしょうか?」


 単刀直入に告げたレスタの言を受けて、領主が重々しく頷く。――一介の領民に領主が直々に依頼を授ける、というにわかには信じがたい事実を、肯定する。


「その通りだ。あの忌々しき竜族の長は、今までほとんど人間の前に姿を現したことがない。しかし一週間ほど前に、〝白き星〟がシュヴァイン霊峰に降り立ったという噂を耳にしてね」

「――シュヴァイン霊峰に?」


 思わず、という調子でレスタが訊き返す。

 シュヴァイン霊峰は、ここトゥルム領の北東部に位置する大山脈だ。東に三日ほど馬を走らせた先に聳え立つこの霊峰は、ザカルハイド城からもそれなりに近い距離にあると言っていいだろう。

 ――だが、それほど近い敵の拠点に、特殊な動きがあったとすれば。


「ああ。ご存じの通り、竜族といえば黄金色の身体だ。白い個体は、ただ一つの例外を――竜族の長を除いて、未だかつて観測された試しがない。ゆえに、ついに竜族の長が姿を現し、人間に総攻撃を仕掛けようと算段しているのではないか、と思ってね」


 明確な脅威を語っているにも関わらず、領主の口調は明日の天気でも語るように、淡々としている。


「流石の私も、敵の本拠地に攻め込むほど愚かではない。しかし、座視していれば、どれほどの血が流されるかわからぬ。私は、竜族の長の真意が知りたい。――可能であれば、交渉をしたいとも考えている」

「……それは、どのような交渉でしょう?」


 レスタの声が、わずかに硬くなる。おそらく、聡い彼女はすでに、領主の言葉の端々から不穏な気配を察しているのだろう。


「無論、和平交渉だ。本来であれば、私が自ら出向き、話をするのが筋だろう。だが、あいにく私も領主の端くれだ。できる限り、民の、人間の権利を守らねばならぬ。残念ながら、下手したてに出ることはできない。……アーキェル、レスタ、そなたたちにもう一つ頼みたいことがある。――竜族の長を捕らえ、この城に連れてきてくれないか」

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