勝利のとき
ラトレイアが立ち上がったのを見ると、
すると、シエルがハッとして起き上がって自らの肩を見る。
「あ、れ……? 腕が、ある……それに、痛くもない?」
シエルの腕は、元通りにちゃんとくっついていた。地面の出血痕もなく、その腕に自由に動く。
そこで、彼女はハッとして俺達を見た。ようやく事の真相に気付いたのだ。
「幻……覚……? あれが? あんなに現実味がある痛みが、幻だったというの……!?」
シエルは美しい銀髪の魔神を見て、震えるように言う。
そう、あれはティリスがあの場にいた全員に掛けた幻術だったのだ。実際にシエルの腕を捥ぎ取ったわけではない。
ティリスは、俺の『殺すな』という命令を忠実に守って彼らの自信と尊厳を削ぎ落す事だけに徹したのだ。俺よりも俺の事をわかっているとはよく言ったものだ。
「ほんと……良い性格してるわね、あなた達。完全にしてやられたわ」
ラトレイアはその光景を見て、深い溜め息を吐いた。自嘲に満ちた笑みを浮かべ、額を押さえている。ただ、その笑みにはどこか安堵の色もある。どれだけ憎くても、シエルが死なずに済んで安心したのだろう。
これは〝聖女〟としての彼女が死んだ瞬間でもあった。自らの選択の意味がわからないほど、彼女は愚かではない。自分のしてしまった決断と責務の放棄、それは彼女が信じる女神テルヌーラへの背徳行為でもあった。
彼女は己の為に、己の信じる神をも裏切ってしまったのだ。
「ラトレイア……お前……ッ!」
マルスが憎々しげにラトレイアを睨みつけ、怒鳴った。
「お前、僕達を裏切ってそいつについたっていうのか! ふざけるなよ……何が聖女だ、この売女が! 君には聖女よりも娼婦が似合っているよ。せいぜい魔物と一緒にアレクの娼婦をやっていればいいさ!」
「裏切った、ですって……!?」
その言葉だけは聞き捨てならない、という様子で聖女がその異名に似合わぬ憎しみの表情を見せた。
「裏切ったのはあなたじゃない、マルス! 私だけだって言ったのに……王妃にしてやるっていうから、私はあなたに全てを捧げたのに……! ルネリーデやアルテナにまで手を出して、私よりも力が劣るシスターなんかも入れて! 挙句にちょっとヤれなくなったからって、
聖女の怒りが誰もいない山道に響き渡る。彼女はまた涙していた。いや、今度は怒りの涙だろうか。或いは、失恋の涙なのかもしれない。
そこに聖女の本音を初めて見たような気がした。彼女はこれまでお高くとまっていたが、そうする事で本妻の地位を守ろうとしていたのかもしれない。俺に嫌がらせをしたり、強く当たったりしていたのは、八つ当たりだったのだろう。俺がやられた事までは許す気にはなれないが、彼女は彼女で苦しんでいたのだ。そう思うと、彼女も憐れなように想えた。
聖女ラトレイアの反論にマルスは何も言い返せず、黙りこくるしかなかった。そこで、今回の戦いは終わった。
「もういいのか?」
ラトレイアに訊くと、「少し待って」と俺に言い、ルネリーデのところまで駆け寄った。そして、意識を戻して呻いてい剣聖に<
「ラトレイア、貴女は……ッ!」
「ごめんね、ルネリーデ。私はもう耐えられないわ……だから、私はここで脱落。マルス達を宜しくね」
<
「それじゃあな、マルス王子。俺達はいくよ。またどこかで会ったら宜しく、な」
そう言ってやると、マルスが俺を睨み殺さん勢いでこちらを睨んでいる。それに対して俺は、ただ一瞥しただけだった。
彼は今、人生で初めて味わっているのだ。自分の力ではどうにもならない、圧倒的な理不尽。人であれば、誰しもが味わう無力感と挫折感。ギリギリと歯を噛み締め、こちらを怨んでも、何も変えられない。怨むのは、自分の無力さだけだ。俺が嫌というほど味わってきものだった。
どれだけ睨もうが、俺達の勝ちは変わらない。何でも持っていたマルスが、そしてずっと〝奪う側〟だったマルスが、初めて〝奪われる側〟になった瞬間だ。
そしてこれからも俺は奪ってやる。俺があの時味わった絶望を味わうまで、奪い続けてやる。あの苦しみを味わっていた俺が、ただ一人で泣く事しか許されなかった俺が、マルスを許さない。
その決意を込めて、俺は嘲りの笑みを浮かべ、マルスを睨み返した。
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