〝夜明けの使者〟の意義
俺達はそれからもノイハイムの〝名もなき森〟の中を歩き回り、小さな村を点々と移動した。そして、もちろんそれぞれの村の小さな問題も解決している。
それらは領主や冒険者ギルドが動いてくれないような小さな案件が多かった。しかし、村民からすれば生活や命が脅かされているようなものばかりだ。ゴブリンの巣穴駆除や畑の再生の他には、昆虫類の魔物やウルフの群れの退治、土砂で崩れてしまった道の補正も行った。
これらは全て駆け出しの冒険者が行うようなものだ。だが、俺達はそれらを全て無償で行った。
無償で良いと言うと、誰もが首を傾げる。しかし実際に無償で問題を解決すると、無償が無償でなくなるのが面白い。というより、無償で引き受けた方が遥かに俺達の利益が大きかったのだ。
まず、無償なのに村を上げて御礼をされる。数日間の飲み食いには困らない上に、寝床や風呂の提供、更に旅立つ時は食糧まで持たせてくれる。これだけでも有償で請け負った場合よりも得ているものが大きい。
それでいて、一番大きく得られるものは、〝感謝〟だ。
俺達はただゴブリンや魔物を討伐しただけなのに、村民達からは英雄のように感謝される。いや、村民にとっては、どこか遠い地で行われた戦の英雄やドラゴンを倒した勇者よりも、
こうして
そして感謝は話の誇張を生む。彼ら村民は町に出た時に
そう……勇者よりも、大きく、だ。
俺の目標は、勇者マルスの没落。これは変わらない。しかし、勇者から力を奪うならば、その責任を取らなければならない──俺はバンケットの町を出る時に、そう決意した。
それが形となってきたのが、この
俺は、勇者マルスを没落させると同時に、自分の行いの尻拭いも行う必要があった。勇者を没落させれば、人は縋るものを無くす。その代わりの存在を
そして、そうやって支持を集めていれば……民は国や領主の言葉よりも、
こうした活動を、その後に訪れた村でもしている。武器を仕入れて自衛できるようになれ、と。俺達とていつでも守れるわけではない。今回はたまたま俺達が村を訪れたから助けられただけなのだ。そうタイミングよくいつでも助けられるわけではない。
もともと、〝名もなき森〟の中の小さな村々は、隣の村と助け合いながら生きている。数少ない薬師が行商人と一緒に隣の村を訪れて治療をしたり、武に心得のあるやつが助けたりと、村々はそれぞれ相互扶助の関係となっている。彼らは助け合いながら、この大自然の森の中、生きているのだ。
そんな村々がそれぞれ自衛できるようになれば……もし、魔王軍がいずれ攻めてきても、少しは抵抗できるのではないか。そう考えたのだ。
いや、魔王軍だけではない。それこそ魔物や山賊の輩から身を守れたなら、それだけで『奪われるもの』は少なくなるはずだ。
俺はずっと奪われる側の者だった。だからこそ、奪われた時の無力感と絶望感はよく知っている。少しでも奪われないようにできれば……それはきっと、弱き者達にとって、悪い事ではないはずだ。
──勇者マルスへの復讐を終えた後の世界。それは必ず訪れる。
復讐を終えた後、次の勇者が台頭してくるまでの間、人の心を支えられる存在が必要だ。弱き者に手を差し伸べる存在が必要なのである。
それが
俺の行っている事が正しいのかはわからない。それぞれの村々に武力や知恵を与えたせいで、それこそ別の争いを生む切っ掛けになるかもしれない。
だが、彼らはこの森の大自然の中、相互扶助をしなければ生きていけない事を知っている。それを知っているなら、隣の集落や村と争う事などしないはず。
いや、そう信じないと、何もできない。俺は彼らに奪われないようになってほしい。でも、奪われない為の力は、思いやりなくしては、ただの奪う力になってしまうのだ。
本当に、どうしようもないなと思う。
「俺は間違っているのかな」
ある晩、ララが先に寝てしまってティリスが見張りをしていた時、彼女にそう訊いてみた。
誰にも悲しんで欲しくないのに、誰かに肩入れすると、もう片方に肩入れしない事になる。俺だってそうだ。誰も奪われて欲しくないと願っているくせに、俺は勇者マルスから全てを奪いたくて、破滅させてやりたくて堪らないと思っている。
矛盾の塊だ。
「そんな事、私に訊かれても困ります」
ティリスは眉を顰めて、本当に困った表情をしていた。
「どうしてさ」
「アレク様の行いが善いのか悪いのか、私にはわかりません。それに、私はアレク様のサーヴァントなので」
それに対して意見を述べる権利がありません、とティリスは付け足した。
「じゃあ……意見言って。ティリスの考えが聞きたいから」
俺がそういうと、彼女は「それはずるいですよ」と困ったように笑った。
「でも、本当にわからないんです。私は、まだ人族の善悪の基準を理解できていませんから」
「じゃあ、ティリスの基準では?」
「私の、ですか?」
「そう。ティリスは、俺のやっている事に対してどう思っている?」
そう訊くと、彼女は「考えた事もなかったです」と少し考えるように、視線を焚火へと移した。
「……私には、やっぱりわかりません」
それから暫く無言で炎を眺める事数分、彼女はようやく口を開いた。
「私はどれだけアレク様が間違っていても、正しいと思うと思います。でも……」
「でも?」
「アレク様のここ最近の行いは、色んな人を笑顔にしていました。私もララも、多分自然と笑っていたと思います。私には……それが間違っているとは、思えません」
その言葉を聞いて、胸の奥がじわっと熱くなった。
それを隠すように、俺はティリスの肩を抱き寄せる。彼女は少し困惑していたが、身を任せてくれていた。
全く……こいつは。
どうして俺が一番言って欲しい言葉を知っているのだろうか。
自分が正しいのかわからなくなった時、こうして肯定してもらえる事の嬉しさ。
だからこそ、次の行動に移れる。
──聖女ラトレイアの引き剥がし。
これは勇者パーティーを瓦解させるには、大きな一手となる。
自分の報復したい感情と弱き人々を守りたい気持ちの矛盾に、押し潰されそうになる時がある。でも、こうして本心から肯定してくれる人がいるから、自分自身の矛盾した行為ですら肯定できる。
だから、始められる。俺の、勇者マルスへの復讐を。自らの矮小さを自覚してしまう報復を、これからようやく始められるのだ。
ラトレイアもさぞ苦しんでいるだろうし、そろそろ良い頃合いだ。聖女様を
俺とマルスの戦いの意義など、それだけしかないのだから。
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