人は自分が信じたいものだけを信じる生き物
崖の上から戦いを見守っていたが、この時のティリスはいつにも増して強かった。いや、本来の
ティリスが強いのはわかっていた事だが、この時の彼女はいつもと違っていた。どこか感情的な戦い方だったのだ。いつもティリスは、戦う時でも淡々としている。それはレスラント兵や傭兵、賊との戦いでも違わなかった。
しかし、ベルスーズと対峙したティリスは、何か会話を交わしたかと思うと、そこから一方的にオーガ・キングをなぶり殺しにしたのだ。黒い雷を蜘蛛の巣のように地面に張り巡らせたかと思うと、両の手と肩、脚と順に斬り落とし、そして最後に首を斬った。
ここから見えた感情は……怒りである。ティリスは、ベルスーズに対して強い怒りを覚えていたのだ。どうして彼女がそこまで怒っていたのか、俺にはわからなかった。ふと横を見ると、ララも兄がそうして無残にも死んでいく様子を、何も言わず、ただじっと見ていただけだった。
それから、その様子を呆然と見ていたルンベルク王国軍に対して、<
さすがにやり過ぎだとも思えたが、おそらくこれは彼女自身の目撃情報を魔王軍に与えさせない為だ。人族に関してもおそらく同じだろう。〝ネームド・サーヴァント〟になった事で魔王軍に居場所を探知される事はなくなったが、魔神が魔王と人族の戦いに参戦した等という情報が洩れれば、おそらくティリスが生きている事まで察知される。彼女はそれを避けたかったのだ。
その徹底した様子を見ていたララが、「あ、もしかして……」と呟いた。
「どうした?」
「いや……あんた、ティリスの過去についてはどれくらい知ってるんだ?」
「あんまり、かな。話したくないのに話させるのも嫌だし。本人が言っていた事しか知らないよ」
「そっか……あんた、やっぱ良い奴だな」
ララはそう言って、もう一度戦場に視線を戻した。それ以上の事を彼女は何も言わなかった。
「にしても、あの兄貴が瞬殺かよ。やっぱあの女、容赦ねえなぁ」
こうは言っているものの、ララはどこか穏やかな笑みを浮かべていた。
それから暫くティリスの攻撃が続き、平原が荒野に変わろうかという頃……もう生き残りはいないと判断したのか、ティリスは首桶と共に戻ってきた。
兄の死を改めて確認すると、ララは嘆息して苦笑を浮かべ、ティリスに向けて、
「ありがとな」
と一言だけ言った。それに対して、ティリスはただ困ったような笑みを浮かべて、首を横に振っただけだった。
どうして彼女が兄を殺され礼を言ったのか、俺にはわからなかった。ただ、この2人は何かで通じ合い、そして、ティリスがあそこまでベルスーズをいたぶったのは、ララの為を想っての事だったのだろう。
俺にはわからないところで、この2人は理解し合っているのかもしれない。
◇◇◇
バンケットに戻ると、町外れの宿屋を貸切ってララを待機させ、その足で俺とティリスは領主館に行った。ベルスーズの首を差し出す為だ。
首桶に入れられたオーガ・キングを見た時は領主諸共騎士団長までも腰を抜かしていたが、それによって俺達の功績はものの見事に信じられた。
ルンベルク王国軍騎士団も全滅している事については、魔王軍の中にはオーガだけでなく強力な魔術師もいて……という事にしてある。実際にはオーガしかいなかったのだが、ブリオーナ平原をブリオーナ荒野に変えてしまうほどの魔法跡が残っているのでは(ティリスが
全く以て苦しい言い訳だったが、ベルスーズの首がある事には違いない。論より証拠とはよく言ったもので、領主からの信用は無事得られた。それだけでなく、暫く暮らす分には問題ないほどの褒美ももらえたので、申し分ない。
領主からは勇者として称え、バンケットの民に紹介したいと言われたが、丁重にお断りした。俺達はあくまでも通りすがりの冒険者で、聖女ラトレイアへの恩義の為にやっただけ、というスタンスを貫いたのだ。
というより……俺に勇者と名乗る資格など、あるはずがないのだ。俺はただの利己的な弱者。オーガ・キングを倒した事にしても、謂わば必要な過程であったからに過ぎない。
勇者とは、もっと人の為を想い、人の為に戦える奴にこそ与えられるべき称号だ。勇者への復讐の為に行動している俺が名乗るには、あまりにも烏滸がましい。
ただ、この持論で言うと、マルスも勇者とは認めがたい。彼も自分や国の威信、自身が王位を継承した時の求心力・影響力、そして承認欲求の為に戦っているのだから。それは、彼の一連の行動を見ていればよくわかる。
しかし、一般大衆にとって、そんな真実はどうでもいいのだ。マルスが人の女を奪う事に快楽を見出す事や、ただ顔の良い女と情事を重ねたいだけ、といった真実など、彼らにとってはどうでもいい。彼らはマルス王子が勇者で、魔王軍を倒してくれる存在だと信じる事の方が大切なのだ。
逆に、善人や被害者でも悪者だと信じたければ、悪者だと信じる。そう信じた方が、自分にとって何かしら利益がある場合、人は知らずしてそちらを選ぶ。
そう、人は自分が信じたいモノしか信じないのだ。真実など彼らにとってはどうでも良く、自分が信じて気持ちの良いものだけを信じる。
しかし、真実は理解できる者には理解できる。真実を解ってくれる者がいれば僅かでもいれば、悪者に仕立てあげられた者も、少しは救われるのだろうと思うのだ。
「
領主による祝賀会も辞退し、宿屋に戻っている際、ティリスが訊いてきた。
「何が?」
「いえ、何か難しい顔をしていたので、心配になりました」
「難しい顔、してたかな」
「はい、古代神官文字を読み解こうとしているような顔をしていました」
「どんな顔だよ」
「こんな顔です」
言ってから、ティリスは何だかとっても難しそうな顔をした。それがあまりに普段のティリスの端正な顔とかけ離れていたので、思わず噴き出してしまう。
「アレク様、ひどいです」
「ごめんごめん」
ぷりぷり怒るティリスに平謝りすると、彼女もくすりと笑った。きっと俺の気持ちを紛らわしてくれようと、冗談を言ってくれたのだ。
「別に、難しい事なんて考えてないよ」
「何を考えてたんですか?」
「……お前が居てくれてよかったって。それだけだよ」
そう言ってから、ティリスの手を握った。
彼女は少し驚いた顔をしたものの、「それなら良かったです」と微笑み、その手を握り返してくれた。
そう。自分を信じてくれる人が一人でもいたなら、人は立ち上がれる。それもまた、強さなのかもしれない。
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