本当の幸せとは

「寒くないですか?」


 上位魔神ティリスが身体を寄せて、訊いてくる。


「ああ、ティリスがくっついてくれてるから」


 水浴びですっかり体が冷え込んでしまった俺達は、2人で1枚の毛布に包まり、暖を取っていた。乾いた服に着替えてから、湯を沸かして簡単に作ったスープを口にし、馬車の中で身を寄せ合う。どこかの難民みたいだが、彼女と2人でいると、こんな時間もいいな、と思ってしまうくらいには、この生活が気に入っていた。


「私もです。アレク様とくっついていると、ぽかぽかします」


 それにスープも美味しいです、と嬉しそうにはにかんで、カップに口をつけた。ただ、次のひと口を飲んだ際、ふとティリスが悩ましげにスープを見つめている。そして、小さく溜め息を吐いた。


「あの、アレク様」

「ん?」

「人族の女性は……その、皆料理が上手なんですか?」


 迷った末、おずおずと訊いてくる。 

 それにしても、また人族の女か。一体どうしたというのだろうか。


「皆ではないと思うけど、人族は女が家事をする事が多いから、自然と上手くなっていくんじゃないかな」


 冒険者や騎士、魔法使いなど、変わった職についている者以外は、基本的に男が外で稼ぎ、女が家事や育児をやるというのがルンベルク王国内の一般的な生活だ。

 また、農村の女は村で定められた仕事も分担してやっている。町では空いた時間に内職したり、短時間労働で仕事に出ているケースもある。家事や育児も加えると、男よりもむしろ大変な生活を強いられていると言えよう。


「それがどうかしたか?」

「えっと、その……」

「なんだよ」


 問い詰めるように顔を覗き込むと、彼女は一旦目を逸らした。


「私もいつか、自分の作った料理をアレク様に食べてもらいたいです……」


 そう言ってから、もう一度ちらりとこちらを見て、恥ずかしそうにまた目を伏せた。

 ああ、そういう事か。ティリスは俺が人族だから、人族の女の様に振舞おうとしているのか。だから最近、人族の女の事ばかり訊いてきていたのだ。

 いじらしくて可愛いなと思ってしまうのだけれど、それは魔族の主義等に反しないのだろうか。少し心配もしてしまう。


「魔族は、その……料理をする習慣がないので、今はまだ何も作れませんけど、いつか──」

「ティリス」


 名を呼ぶと、彼女はいつも「はい」と返事をしてから、顔を上げる。だから、そのタイミングに合わせて顔を寄せて、彼女が顔を上げると同時に唇を重ねた。いつものように激しいものではなく、軽く唇を合わせるだけの可愛い口付け。それだけで、胸がきゅんと締め付けられ、愛しさで満ち溢れる。

 ティリスは俺の行動を予期していなかったのだろう。驚いたように目を見開いて、ぽかんと俺を見ていた。

 無理をして人族の女を真似なくても、ただティリスがティリスでいてくれたらいい──そんな思いを込めてした今の口付けの意図に、彼女は気付いてくれただろうか。

 彼女が一緒に居てくれる事。今の俺にとって、それ以上の幸福や安堵はない。本来であれば、今頃無力感と孤独に塗れて生きていたはずである。いや、弱者の俺では、生きていられる保障もなかった。そんな俺を許容し、承認してくれる存在がいるだけで、俺にとってはこれ以上ない贅沢なのである。


「……私がしたいだけですから」


 ティリスは俺の意図を汲み取ったのだろう。嬉しそうに微笑んでそう答えた。

 言葉にしなくても、気持ちが通じるのは嬉しい。そんな気持ちを表す為に彼女の肩を抱き寄せると、ティリスも俺の肩に頭を乗せて、もたれかかってきた。

 こうして馬車の中で2人で身を寄せ合って眠るのは、ここ数日の習慣だった。何か話す時もあれば、何も話さない時もある。

 昨夜は俺の小さい頃の話を聞かせて欲しいというので、覚えている限りの間抜けな話を面白おかしく話してやった。ティリスは終始可笑しそうに話を聞いてくれていた。

 今日は彼女も疲れているのか、暫くすると、すーすーと可愛い寝息を立て始めた。安心しきって、無防備で、可愛らしい寝顔をしている。

 でも、彼女はずっと眠っているわけではない。外で何か少しでも物音がすれば、すぐに警戒したようにハッと目を覚まして、周囲を見回している。

 気付かないふりをしていたけれど、毎晩彼女はそうして目を覚ましているのだった。きっと、何年にも及ぶ逃亡生活のせいで、熟睡の仕方を忘れているのだろう。そして今もまた、外の小さな物音で目を覚ましていた。

 そんな彼女の頭を抱き寄せ、優しく撫でてやる。


「……ご主人様マスター?」


 顔を上げようとするので、その瞳を手で覆ってやり、瞑目させた。


ご主人様マスター、前が見えないです」

「いいから、寝てろ。俺が見ててやるから。何かあったらすぐに起こすから、俺の隣にいる時くらい、ゆっくり寝てろ」

「アレク様……はい。では、お言葉に甘えちゃいますね」


 ティリスは微笑んでから、身を寄せるようにして俺にぐいぐいとすり寄ってくる。その肩に毛布をかけ直してやり、もっと抱き寄せて体をくっつける。

 少しすれば、またすーすーと可愛い寝息が隣から聞こえてきた。その時俺はふと思うのだった。


 ──本当は復讐などしなくても、こうしているだけで幸せなのかもしれない。


 だが、明日にはもうバンケットだ。バンケットに着けば、本格的に報復に向けて動き出さなければならなくなる。こんな風に、ただティリスの事だけを考えていれば良い時間も、暫くは訪れないだろう。

 全ては勇者から奪う為だ。奪われ潰された自分を取り戻す為、勇者マルスから、全てを奪う。そうしないと、俺はいつまで経ってもあの悪夢から解放されない。あの悪夢から解放される為にも、あの憎しみと苦しみに満ちた俺自身を鎮めてやらなければならないのだ。

 その為にまずは──聖女ラトレイア。彼女を勇者パーティーから剥がす。全ては俺が、奪われる側から奪う側になる為の戦いだ。

 もちろん、自らの矮小さについては、わかっている。勇者が魔王を打倒するような、格好の良い話ではない。

 自分に力がなく、ただ弱く、弱かったからこそ奪われた。その弱かった自分の恨みつらみを晴らそうとしているだけなのである。悔しくて情けなくて、泣きながら毎晩寝ていたあの頃の自分に少しでも報いてやりたい──ただ、それだけなのだ。


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【読者の皆様へ】


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