第30話 前夜祭②

 午後六時。前夜祭が始まった。

 会場となるグラウンドには学校指定のジャージを着た生徒たちがたくさんいる。自由参加とはいえ、今年初めて開催されるイベントいうこともあってか、物珍しさから想定されていた人数以上にいるかもしれない。

 グラウンド前方……つまり校舎側の方には簡易的なステージが設置され、その上で司会進行を進めているのが、マイエンジェル優樹菜ちゃん。うーん、さすが我が妹であり、彼女。ステージに上がれば、さらに輝いて見える。思わず夢中になって優樹菜を撮影しまくってしまった。

 気を取り直して、俺はデジカメを横にスライドさせる。

 ちょうど男子二人組がお笑いの芸を披露しているところだ。

 俺的には少し微妙なネタではあったが、会場内では微かに笑い声が聞こえるあたり、笑いのツボが浅い人にはウケるのだろう。

 とりあえず何枚かを撮影し、俺はステージ脇から移動する。

 記録係になったからには会場内のいろんな場面を撮影しなければならない。

 例えば、会場内の雰囲気だったり、入り口や委員会が中心になって出しているブースなど撮らなければならないところは意外とたくさんある。

 このままステージを見たい気持ちももちろんないことはないが、ひとまず仕事をちゃっちゃっと終わらせよう。

 そして、いろいろな場面をデジカメの中に収めた。

 ステージを見て、笑顔になっている生徒の写真、一生懸命に委員会の活動に専念している生徒、吹奏楽部に演劇部と枚数的には五十枚を超えたのではないだろうか?

 俺はグラウンドから少し離れた校舎に続く階段に腰掛ける。

 ちゃんとブレてないかを自分の目で一枚ずつ確かめていく。


「おっ。結構、精が出たんじゃないか?」


 たまたま前を通りかかった内村先生が声をかけてきた。


「まぁ、そうですね。なんとか使えそうな写真も何枚かはありますし」

「そうか。よくやったな」


 内村先生はそう言うと、手に持っていた缶コーヒーを俺に向かって下投げする。

 俺はそれを何とかキャッチする。


「それ、お前にやるよ。頑張ったご褒美だ」

「頑張ったご褒美にしてはショボすぎませんか?」


 缶コーヒー一本のためにあれだけ委員会の手伝いをしたと考えると、とんだ安月給だし、ブラックすぎる。


「なら、いらないか?」


 内村先生が缶コーヒーに目掛けて手を伸ばしてくる。

 俺は仰け反りつつ、それを拒否する。


「いや、ありがたく頂戴いたします」

「……そう思っているなら、つべこべ言うな」

「すいません……」

「まぁこの後の仕事も期待しているからな? 人一倍頑張ってくれよ?」

「人一倍ッスか……」

「ああ、ただでさえ今年の委員会メンバーは使えん奴らばかりだ。お前を読んだのも委員会内でパソコンを得意とするものが少なかったためだし、他の奴らは能力が低すぎる」

「辛辣ッスね……」


 そう言うと、内村先生は意外そうな表情を浮かべる。


「そうか? 社会に出れば、こんなこと普通に言われるぞ? 直接本人に対して言われなかったとしても、陰で言われてたりすることもあるしな」

「社会って怖いッスね……」

「そうだよ。社会は恐ろしいところだ。上司からもガミガミ言われ、仕事ができなかったら最悪の場合クビ。ただでさえ、今の世の中景気がそこまでよくないのに会社にもブラックがあったりして、社会はいわば弱肉強食の世界だ。弱いやつ……ここで言う能力が低いやつはすぐに干されてしまう。こんな世界クソだと思わないか?」


 内村先生の瞳はどこか物憂げなようにも見えた。


「たしかにそうッスね……」

「だろ? だから、私は教師という道を選んだんだ……。教師なら、一応公務員だから世界の景気などには左右されない。よって、給与も安定して、年に二回のボーナスも支給される。子どもが生まれれば育児休暇が取れ、親を介抱しなければならなくなったときは介護休暇が取れる。こんなホワイトな企業は滅多にないだろ?」

「まぁ世の中ブラックが多いとは聞きますからね……。でも、教師と言っても部活動の顧問とかしなければいけないんじゃないんですか? あれってたしか時間外労働には当たりますけど、実際には給与として反映されないんですよね?」

「まぁな。ほとんどされないに等しい感じだな。でも、たかが一、二時間程度だ。その間に生徒との交流を深め、信頼関係が築けると思えばいい」

「そういうもんなんスか?」

「ああ、そういうもんだよ。生徒との信頼関係というものは結構重要になってくるからな。信頼関係がなければ、相談相手にもなってやれないし、生徒も言うことをあまり聞いてくれない。現にお前は私の言うことを文句たらたら呟きながらもちゃんと聞いているよな? 先ほどの理屈で考えると、私とお前は信頼関係にあると言えるが……どうだ?」

「まぁ……それなりには、ですけど……」

「そうだろ? 教師は嫌われるのも仕事のうちだとか言っている先生も中にはいるけど、私的にはそうは思わない。嫌われてしまえば信頼もクソもないからな」


 内村先生は小さく微笑むと、俺の隣に座ってきた。

 こうして近くにいると、大人の女性の魅力というのだろうか? いい匂いはもちろんするし、ちょこちょこ当たる腕の肌の感触もすべすべでもちもちしている。

 俺は内心ドキドキしつつ、平然を装う。


「時に上村歩夢。教師を目指すつもりはないか?」

「きょ、教師ッスか……?」

「ああ、教科は何でもいいし、小学校でも中学校、高校でもいい。とにかく目指しているものがなければ、一旦教師を目指して欲しいんだよ」

「な、何でですか?」

「何でと訊かれてしまうと、答える理由は何もないのだが、強いて言うのなら、目指す目標を決めて欲しいんだよ。目標があれば、それに向かって全力で突き進んでいけるだろ? 何も目指すものがない人よりかはあった人の方が確実に伸びる。教師という目標はあくまで一旦でもいい。教師を目指している間にやりたいことが見つかれば、それに向かって方向性を変えればいいし、教師は免許だけ取得するという方向性でもいい。ただ、私が言いたいことは目標を持って欲しいんだよ」


 目標……そういえば、これまでそういったものは何一つなかった。この高校に進学したのも家から近かったからという理由だけだし、具体的なことは何もない。

 内村先生は何を思って、俺にそんな話をしたのかは知る由もないが、目標の一つや二つ持った方が将来的にもいいことだろう。


「一応、仮目標とはしますけど……俺の成績で教師なんてなれますかね?」

「無理だな」


 即答だった。


「じゃあ、なんで教師になれって言ったんですか!?」

「目標は高ければ高いほど燃えるだろ?」

「燃える前に俺の脳ミソが燃え尽きちゃいますよ!」

「安心しろ。人間の脳はそんなに貧弱じゃない。一日中勉強したって、大丈夫だ」

「大丈夫じゃないです! 俺の精神が崩壊します!」

「いっそ崩壊した方がいいんじゃないか?」

「それってどういう意味ッスか?! 廃人になれとでもいうんッスか!」

「そうだな。お前は廃人になった方がまだマシになれると思うぞ?」

「俺ってまともな人間じゃなかったんッスか……」


 俺は呆れと疲労感から思わずため息が出てしまう。

 その様子を隣で見ていた内村先生はクスクスと小さく笑うと、俺の左肩をポンッと軽く叩く。


「まぁ冗談だよ。でも、頑張るんだったら、無理しない程度にやれよ? 無理して体調でも崩されたら本末転倒ものだからな」


 そう言い終えると、内村先生は立ち上がって、「じゃあな」と言わんばかりに左手を上げながら会場内に去っていった。

 結局何だったんだろうか? という疑問が残りつつも、缶コーヒーのプルタブを軽く捻る。

 口に含んだところで初めて知ったのだが、これってブラックだったんだな。強烈な苦さを我慢しながらも飲み干した俺は、気合を入れ直して委員会としての仕事場に戻ることにした。

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