第28話 前夜祭前日

 前夜祭前日の放課後。

 文化祭に向けた準備は順調にことが進み、何とか本番直前には終えることができた。

 俺はノートパソコンをパタンと閉じると、座ったまま疲れ切った背筋や肩をほぐすため軽いストレッチを行う。


「お疲れ様です。何とか終わったみたいですね」


 優樹菜が俺の元に近づいてきた。


「ああ、ギリギリだったけどな。俺はもう帰るけど、優樹菜はまだかかりそうか?」

「はい、ちょっと委員長としての最後の仕事が残ってますので……」

「そうか……じゃあ、それが終わるまで待っていようか?」

「いえ、どれくらい時間がかかるかはわかりませんので歩夢くんは先に帰っててもいいですよ」

「いやでも……」


 優樹菜の気遣いはとても嬉しい。

 が、もし何かあったらどうしようという思いがある。

 ただ俺の心配性なだけかもしれないが、優樹菜の過去を考えると、遅くに一人で帰宅路を歩くというのも相当怖いものだろう。本当に一人で大丈夫なのだろうか?


「歩夢くんの気持ちは嬉しいですけど、いつまでも怯えているわけにはいきません。なので、今日は一人で帰らせてください」

「本当に大丈夫なのか? 一人で帰るんだぞ?」

「大丈夫ですよ。あそこは住宅街で比較的に夕方はサラリーマンとかで人通りが多い法ですから」


 優樹菜は小さく微笑みを見せた。

 そこまで言われてしまえば、俺としてもダメとは言えない。人がせっかく成長しようとしているところを邪魔するとか無理。というか、人として最低な行為だ。

 俺は椅子から立ち上がる。


「わかった。だけど、不審者には気を付けろよ?」

「うん、わかってますよ」

「それならいいけど……」


 不安な気持ちは拭いきれず、まだ心の中にモヤモヤと残ってはいるが、とりあえず多目的室から出て、教室の方へと向かった。

 教室の方へと向かうと、当たり前のように誰もいない。

 ただグラウンドで部活の練習をしている生徒たちの掛け声だけが薄く教室内に響き渡っている。

 黒板の真上にあるアナログ時計を見ると、もうすぐで六時。

 外はすっかり陽が落ち、街灯がつき始める。

 俺は自分の席の上に置いてあったカバンを手に取ると、すぐに靴箱の方へと向かった。

 正直、今でも優樹菜のことが心配ではある。ここは何としてでも心を鬼にしなくてはならない。

 シューズから靴に履き替え、校舎を出る。

 すっかり暗くなり始めてきた空を仰ぎながら校門の方へと向かう。


「あ、やっと来た」


 誰かに声をかけられたような気がした。

 俺はその方向に視線を向けると……


「ま、まーちゃん?! なんでこんな時間に……」


 校門の裏側にまーちゃんの姿があった。


「私もちょっと用事があってね。ちょうど終わったのがさっきだったからそこまで長い時間待ってないよ」

「いや、そこは別に気にしてないけど……」

「え? 今何か言った?」

 無性な威圧を感じる。

「いえ、何も言ってません」

「そうだよね。ところで……優樹菜ちゃんはどうしたの? 帰るときに靴箱をちらっと見たけど、まだ学校にいるよね?」

「ああ、優樹菜なら委員長としての最後の仕事があるとかで少し遅くなるらしいんだ。それで待ってようかと言ったんだけど、先に帰っててって言われてな」

「そうなんだ……。じゃあ、せっかくだし私と久しぶりに二人で帰らない?」

 まーちゃんのどこか嬉しそうな表情が何となく気にはなるが、まぁ気にしたところでな?

「まぁ一人だし今日だけな?」

「やったぁ♪」


 俺はさっそく帰宅路を歩き始めると、その横をついてくるまーちゃん。


「あゆくん、少し早くない? 私、早歩きになってるんだけど……」

「そうか? いつも通りなんだけど……すまんな」


 俺はまーちゃんの指摘を受け、歩調を遅くする。

 いつもはあれくらいの速さで歩いていたけど、もしかして優樹菜も心の中では早いとか思っていたりしていたんじゃないだろうか。そう思うと、少し申し訳なく思う。明日からはなるべく優樹菜の歩調に合わせるようにしよう。


「ねぇあゆくん」

「ん?」


 まーちゃんが俺の制服の裾を掴んできた。

 俺はそれに対して思わず立ち止まってしまう。じっと俺を捉えている瞳はどこかすがっているようにも見えた。


「明日って前夜祭……あるでしょ?」

「あ、ああ……それがどうかしたのか?」

「そ、その……」


 まーちゃんが視線を下に逸らす。

 どれくらいか沈黙が流れた後、まーちゃんは再び視線を俺の方に戻す。


「ううん。やっぱり何でもない」


 まーちゃんは寂しそうな笑みを見せると、掴んでいた裾を離し、静かに首を横に振った。


「そ、そうか……」


 何を言いたかったのか、気になるところではあるが、まーちゃんが何でもないというのだから大した話ではなかったのだろう。

 そう思い込むことにした。


「明日の前夜祭楽しみだね。どんな感じになってるの?」

「それは言えないな。明日になってからのお楽しみだ」

「えー。あゆくんのケチ」


 まーちゃんが頬を膨らませる。


「ケチでケッコーコケコッコー」

「何それ? めちゃくちゃ懐かしいんだけど! てか、今でも言う人初めて見た」

「いや、俺も普段は言わねーよ。ただ、たまたま今思い出しただけだ」

「本当かな〜?」


 まーちゃんがニヤニヤしながら顔を近づけてくる。

 ――めちゃくちゃいい匂いするなぁ。てか、胸当たってるし。

 疑われていることよりもまーちゃんの甘くていい匂いと豊満な胸に気を取られてしまった。

 不覚にもドキドキとしてしまい、いまだにそれが治らない。


「ほ、本当だよ! そもそもまーちゃんに嘘をついたところで何のメリットもないだろ」

「それもそうか。疑ったりしてごめんね? わざとじゃないからさ」

「お、おう……」


 内心はものすごくラッキーでむしろありがたかったけどな。

 そんな話をしているうちに気がつけばもうすぐで自宅にたどり着く。

 優樹菜はもう学校を出ただろうか……ふと、頭の中によぎってしまった。

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