第12話 デート当日②

 その後の俺たちは、初めて水族館に行った時と同様に館内を歩き回った。

 前回から約一ヶ月半ぶりという短い期間のためかほとんどのエリアが以前と変わらないまま。

 よく水族館や動物園、遊園地などの娯楽施設は何回か行くと、すぐに飽きられてしまう。そのため、一部エリアを改装したり、イベントやリニューアルオープンなどをして、リピート客を飽きさせない……新鮮な感覚を常に味合わせる形を作っている。

 だが、それも常日頃から行っているわけでは当然なく、二ヶ月〜三ヶ月おきが一般的だろう。

 俺とは対照的に水族館にこれまで一回しか行ったことがなかった優樹菜は違い、目をキラキラ輝かせながら泳いでいる魚たちを観察していた。

 時折、泳いでいる魚たちを見ては、「あのマグロ美味しそうですね」だったり、「あのタイって、大きくないですか? 脂もほどよくのってそうでお刺身とかお寿司にしたら絶対に美味しそうですよね」だったりと“魚”ではなく、“食べ物”として見ていた。

 そんな一面に苦笑しつつ、適当な返事をしているうちに全て周り追え、気がつけば午後三時過ぎ。

 俺たちはイルカショーが開催される会場にいた。

 会場内は夏休みだったこの前とは違い、来場した人全員が座れるくらい。そこまで混んでいるというわけでもなく、程よい感じだ。

 しばらくベンチで待っていると、若い女性飼育員の人がプールを挟んだ向こう側にあるステージに現れる。

 イルカショーの開演だ。

 女性飼育員がマイクを片手に挨拶をする。

 すると、会場内にいたちびっこたちがこれでもかというくらいに大きな声で挨拶を返す。

「こんな感じなんですね」

 優樹菜がステージ上をぼんやりと見つめながらそう呟いた。

 初めて一緒に行った時は、来場客が多すぎて、座る席もないほどだった。そのため、こうしてはっきりとイルカショーを見るのは、優樹菜にとって今回が初めてになる。

 俺はあえて何も答えないまま、ステージ上に見入る。

 さっそくイルカたちによるパフォーマンスが始まっていた。

女性飼育員のジェスチャーに応えるようにイルカたちが飛んだり、跳ねたりなどをしている。

 その度に会場内のボルテージは上がり、特にちびっこたちは大興奮。

 俺にもこんな無邪気な頃があったのかなぁ……と、思いながら微笑ましさを覚えていると、優樹菜がちょこんと肩に頭をのせてきた。


「ど、どうしたんだ?」


 俺はいきなりのことで多少動揺しながらも、優樹菜に訊ねた。


「いいえ、なんでもないです……」

「そ、そうか……」


 今日の優樹菜は何かが違うような気がする。

 それこそ大水槽前の出来事もそうだ。

 一体優樹菜は何を考えているんだ……?

 いつもわからないけど、この日はさらにわからない。

 優樹菜の方に顔を少し向ける。

 やはり女子はいい匂いがするなと変態みたいな感想が浮かびながらも、表情を窺おうと試みる。

 が、角度的にちょうど見えない。変に覗き込もうとすると、何してんの? みたいな反応をされかねないし……。

 若干気になるところではあったが、そっとしておいた方が無難な選択かもしれない。

 俺は、再び顔を正面に戻すと、残りのイルカショーを楽しむことにした。



 イルカショーが終わり、お土産ショップでお菓子やパペットなどを購入し終えた頃には午後五時を迎えようとしていた。

 俺たちは荷物を一旦館内のロッカーに預けると、海が見渡せる遊歩道をのんびりと歩く。

 さざ波が微かに聞こえ、海の向こう側にはだいぶ低い位置まで下がってきた太陽が優しく地上を照らしている。

 肌を撫でるような微風を受けながら、あるところで優樹菜は立ち止まると、柵を背に俺の方へと向き直る。


「お兄ちゃん……今日は、その……ありがとうございました」


 優樹菜は軽く頭を下げた。


「いや、別にいいんだ。正直に言うと、俺も優樹菜とこうしてまたデートしてみたいなぁなんて思ってたりしてたからさ」


 俺は少し気恥ずかしさを覚え、頬をかきつつ、海の方へ視線を向ける。

 相変わらず海はキレイだなぁ。一年中ずっと変わらず、見ているだけで嫌なことや不安、怒りなどといった人間にとってのマイナスな心情がリセットされていくような感じがする。

 将来は海が見渡せるような家に住むのもありかもしれない。

 そんなことを思っていると、優樹菜が口を開く。


「今日は楽しかったですか?」

「ああ、めちゃくちゃ楽しかった……とは言えないが、まぁまぁ楽しめたかな」

「なんでめちゃくちゃじゃないんですか?」


 優樹菜が頬を膨らませて文句を言う。何それ? 新種のハリセンボンかな?


「なんでって、水族館もう飽きたしなぁ……。でも、優樹菜とこうして二人きりの時間を過ごせたことは本当に良かったと心から思っているぞ?」


 そう言うと、優樹菜は顔を赤くして、俯いてしまう。


「そ、それは……どうもです……」


 感情の浮き沈みが激しい優樹菜。

 だが、昔と比べたら結構よくなった方ではないだろうか? 前までは誰にでも冷たい態度だったが、今は少しずつではあるが、感情を前に出せるようになってきている。それこそ、まーちゃんとの一件もそうだ。俺の前では素の姿を見せる優樹菜ではあるが、まーちゃんが転入してくる以前は、周りに感情というものをほとんど見せなかった。

 こうして、少しずつ変わっていけてるのも多少なりまーちゃんのおかげなんだろうなと思いつつ、俺は柵越しである優樹菜の隣に移動する。

 優樹菜も俺と同じように振り返ると、身体の正面を海の方へと向ける。


「つ、次は、動物園とか行ってみたいです……」

「そうだな。動物園に限らず、ゲーセンだったり、買い物に行くのもいいな」

「そうですね、いろんなところを……まだ知らないような場所を二人で周ってみたいです」


 優樹菜の声がいつもより妙にトーンが下がっていて、悲哀な感じに聞こえた。

 俺はそれが気になり、優樹菜の方に顔を向ける。

 すると、優樹菜とちょうど視線が合わさってしまった。


「……」

「……」


 俺たちの間に沈黙が生まれる。

 どちらからともなく、声というものを忘れ、ただ見つめ合うことしかできない。

 長くてキレイなまつ毛がよく見え、その奥にある瞳が淡く揺れている。

 白くてきめ細かい肌が夕日に照らされ、しっとりとした唇が微かに震えている。

 次第に優樹菜が目をつむる。それを合図に俺の身体が無意識的に反応して、優樹菜の華奢な肩をがっしりと掴み、顔を近づけていく。

 俺と優樹菜の距離がだんだんと縮まる。心臓の鼓動はもう破裂してしまうのではないかというくらいにバクバクだ。

 互いの熱い吐息が顔にかかる……それくらいの時だった。


「あ、ママ〜! あの人たち何してるの〜?」


 そう言われ、俺たちは声がする方向に視線を向けると、五、六才くらいの男の子がこちらに指を指していた。

 俺と優樹菜は慌てて、離れると、互いに背を向けて、一旦距離をとる。


「コラッ! 指を差してはいけません! それに邪魔もしちゃいけません。あの人たちは今から結ばれる儀式をするところだったんだから」

「結ばれるぎしき〜? 何それ?! 僕見てみたいっ!」

「ダーメーです! ほら、もう時間だから帰るわよ」

「えぇ〜……見たかったのになぁ……」


 男の子はお母さんと思しき人に引きつられながら帰っていった。


「……」

「……」


 ――なんだろう……この既視感。前にも似たようなことがあったよな?

 どのくらいか経過した後に再び俺と優樹菜は気まずさマックスで向かい合う。


「「……あ、あの!」」


 声が重なってしまった。

 俺は優樹菜に先行を譲ると、「それでは……」と前置きをしてから小さく口を開く。


「今日のところはもう、帰りませんか?」


 優樹菜は上目遣いで俺を捉える。


「そう、だな。もう遅くなるし、この辺りで帰るとするか」


 この前は勢いでキスまでこじつけたものの、今回に限っては雰囲気的にもその気分ではない。

 俺と優樹菜は二人並んで遊歩道を歩くと、そのまま館内に戻り、ロッカーに預けていた荷物を取り出して、水族館を後にした。

 あのクソガキめ……。いいところを邪魔しやがって……!

 無知で無邪気なほど怖いものはないと改めて知らされた一幕だった。

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