第11話 デート①
体育祭から一夜明けた翌日の午後一時。
二人して家を出た俺と優樹菜はあらゆる公共交通機関を使って、海沿いまでやってきた。
まだ九月の初旬とはいえ、夏の暑さが残り、今日も三十度を超える猛暑日。
たまに吹くそよ風がとても心地よく感じてしまう。
そんな中で優樹菜はとても気合の入った服装をしていた。
フリルの付いたトップスにその上からチェック柄ペアワンピース。
彼氏である俺のために可愛く見せようとしていると思うと、なんだか微笑ましさを感じずにはいられない。
俺と優樹菜は手を繋ぎながら歩道を少し歩き、ある場所へと向かう。
「本当にここでいいのか?」
「はい……お兄ちゃんと一緒に行くところといえば、やはりここしかないので」
俺たちは水族館の中へ入ると、入場料を支払うために列へと並ぶ。
「でも、他にも行く場所はいくらでもあるだろ?」
「そうですけど……お兄ちゃんと初めて来た場所に行きたかったんです。私にとってはこの水族館はとても印象に残った素敵な思い出の地でもありますから……」
優樹菜は恥ずかしそうにしながら、顔を隠すように俯いてしまった。
「そ、そうか……」
俺もそのことを聞いて、思わずたじろいでしまう。
そんなことを言われてしまえば、嬉しさのあまり発狂したくなるが、今は我慢だ。
なにせ、今日は日曜日だからな。翌日が月曜日にも関わらず、入場者がかなり多く、小さい子どもを連れた家族がやたらと目立つ。この辺は夏休みともなんら変わりはないようだ。
そうこうしているうちにやっと俺たちの番が来て、素早く入場料を支払うと案内印に従って、館内へと入る。
たかだか一ヶ月半ぶりの水族館。
周りを見るが、さほど変わった様子もなく、エスカレーターを使って、地下一階にある大水槽のもとにも向かうが、いつもの感じ。
もう見慣れてしまったものだから感心などはほぼ皆無に等しく、水槽内をゆうゆうに泳ぐ魚たちが美しいなと思うくらいだ。
一方で優樹菜は違った。
大水槽が見えてくるや否やエスカレーターを途中で駆け下りると、まっしぐらに特殊ガラスの壁面にぺたっと張り付く。
そのまま目を輝かせながら時折「うわぁ〜……」と感嘆な声を漏らしたりしていた。
――なんだか初めて来た日を思い出すなぁ……。
優樹菜と初めて一緒に水族館に来た際も似たような反応だった。
その時はまだ優樹菜が初水族館ということもあって、小さい子どもみたいに夢中へなることは仕方がないとは思ってはいたけど……。
「飽きたりしないか?」
俺は優樹菜の横に着くと、そう訊ねた。
すると、優樹菜はきょとんとした顔を俺に向ける。
「逆に飽きることなんてあるんですか?」
「あるだろ」
「そうなんですか。でも、私は飽きないです。お兄ちゃんはこの魚を見てどう思いますか?」
「どうって……まぁ、キレイだなとは思うけど……?」
何が言いたいのだろうか……俺には理解できなかった。
優樹菜は顔を再び真正面の水槽に移すと、どこか儚げな視線のまま魚たちを見つめる。
「たしかにキレイだとは思います。ですが、私からしてみれば、それだけじゃないんです」
「と、言いいますと?」
「魚って、結構自由に泳いでたりするじゃないですか? 水族館に限らず、川や海に正則しているものも全てです。私はこの魚たちを見て、思ったんです。羨ましいなぁって……」
そう言い終えると、優樹菜はにこっと小さく微笑んだ。
「何が羨ましいんだよ。魚って理性も何もない野生の本能だけで生きているようなつまらないものだろ……」
「そうですか? 私的にはむしろ何も考えない方がいいと思いますよ。そっちの方が幸せだったりするかもしれませんし……」
「……」
俺はかける言葉を失ってしまった。
最近は何気ない日常が続いていたせいか、優樹菜の壮絶な過去を忘れていた。
つい一ヶ月半くらい前までは、ずっと実父の影に日々怯えて生活をしてきた優樹菜。今も正直、心の傷というのは消えていないらしく、週に一回は病院に通ってはカウンセリングを受けている。
そんな体験をしてきたからこそ、自由のままに生きる動物が羨ましく見えているのだろう。
そう考えてしまうと、何もできなかった自分の不甲斐なさが無性に腹が立ち、胸のあたりがズキズキと痛み出す。
「お兄ちゃんは何も悪くないですよ」
「……え?」
囁かれるような声でそう言われ、俺は優樹菜の方に顔を向ける。
この時、自分が考え事でぼーっとしていたことに初めて気づかされた。
優樹菜は優しく微笑みかけながら、俺の頬にそっと手を当てる。
「そんな顔してたからきっと私のことについて、いろいろと考えてくれてたんですよね? 俺がもっとこうしていれば――とかタラレバの話をしても仕方がないですよ。過去は過去ですし、もちろん嫌でした。ですけど、今が幸せならそれで塗りつぶせばいいんじゃないかなって最近になってそう思うようになってきたんです。今が幸せならそれでいい……お兄ちゃんはそう思いませんか?」
俺は唖然とした。
実父からあれだけ酷いことをされ、精神的にも肉体的にも追い込まれたというのに前向きな考え方ができるということに……。
普通の人なら自殺していてもおかしくない状態なのに、なんでそこまで強くなれるんだろうか……。凡人の俺には理解しがたい。
優樹菜は俺の思っていることを先読みしたかのように続けて口を開く。
「私がこうして今もいられるのはお兄ちゃんの存在が大きいからですよ? 中学の時もお兄ちゃんの姿を見ては毎日頑張ろうと思えましたし、親同士が再婚してからも一日中お兄ちゃんの姿を見ては励まされましたし、こうして恋人同士になってからも……」
優樹菜は俺に体を預ける形で寄りかかってきた。
周りの視線が俺たちの方にちらちらと集まる中、俺はそっと優樹菜の背に腕を回す。
「優樹菜って俺に惚れまくってるな」
「……そうです。私はお兄ちゃんのことが世界で一番大好きな一人の女の子であり、妹でもあります」
「妹ねぇ……ブラコンみたいだな」
俺は小さく笑った。
「ブラコンです。ブラコンは個性であって、一つの魅力ですよ?」
「そうだな。なら、俺はシスコンだな」
端から見れば、気持ち悪がられるだろうか……。
俺と優樹菜が義理の兄妹ということを知っている人ならまだしも、知らない人からすれば、異様な光景に見えるのかもしれない。
“だからお兄ちゃん……私を見捨てないで――”
優樹菜は俺の胸に顔を埋めたままそう呟いた。
俺はその言葉が妙に引っ掛かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます