第14話 王子の記憶
「君は誰なんだ? ここの者ではないだろう」
時が止まったように私たちはしばらく見つめあっていた。
「覚えて……ないんですか?」
「あぁ、すまない」
「私は……あなたの……か、看病に来た調合師の見習いです」
咄嗟に切り替えられたのは、足音が聞こえたからだった。
「エデン!」
お妃様が彼の元へと駆け寄る。
「母上……」
「エデン、心配したぞ。あんな森の奥まで何しに行ったんだ?」
続いて王様も入ってくる。私は邪魔にならないよう、窓際に寄るしかなかった。
「それが、覚えてないんです……」
祖母がこっちを向いたので、ゆっくりとうなずく。
「どういうことだ?」
「僕にもわかりません」
その次に視線を注がれたのは祖母だった。
「エデンの記憶は戻るのか?」
「私も初めてのケースでして、どうなるかわかりません」
「なんだって」
王様をお妃様がなだめた。
「あなた、落ち着いて。この方々が治してくださったのよ」
「すまない」
王様の目は相変わらず厳しかった。
「……ちょっと一人にしてほしい」
突然エデンさんが言い放つ。
「わかったわ。何かあったらすぐに呼んでちょうだい」
お妃様がそう言って席を立つ。王様もその後に続いた。私と祖母も部屋を後にしようと歩き出す。しかし、王様が出たところで突然彼に呼び止められた。
「彼女は残ってくれ」
「え?」
私がぽかんとしていると祖母はそそくさと出ていってしまった。エデンさんは無理矢理起こした体をこちらへ向けている。
「君、どこかであったような気がする」
「ほ、本当ですか?」
「あぁ」
私が黙って見ていると、気まずそうに目をそらした。
「ちょっとこっちに来てくれないか」
「は、はい!」
急いで向かうとまじまじと見つめられる。
「君、名前は?」
「ナタリアです」
「ナタリア……」
彼は小さく私の名前を言った。
「だめだ。思い出せない」
悔しそうに手を握り締める。ここで真実を打ち明けても、彼が信じてくれなかったら私はどうなるのだろう。きっと怒られるだけでは済まされない。看護に付けて王子をそそのかしたとでも言われてしまうのだろう。私はただ、涙が零れないようにするしかなかった。
「一つだけ覚えてることがあるんだ」
「何でしょう?」
「茶色の竜」
「茶色の竜?」
「そう、茶色に苔色の混じった竜に襲われそうになったんだ」
ぽかんとしていたのだろう。エデンさんは手をかざしてきた。
「あ、すみません。ぼーっとしてて」
「ふっ」
彼の笑いにつられて頬が緩む。
「その話、詳しく聞かせてください」
「わかった。って言っても本当に一部分なんだけど……」
エデンさんが説明してくれたのは気を失う前に見た手の長い竜のことだった。その爪に掴まれそうになったところを誰かが来てくれて……というところで意識が途絶えた、と。
「その前後は! その前後は何も覚えていないんですか?」
「そうだけど」
「そうですよね」
愛想笑いを浮かべてしゃがみこむ。その時ここ最近の疲れがどっと出た。もう一人では立ち上がれない。そんな予感がした。
「大丈夫か?」
ベッドから手が差し伸べられる。すがるようにその手を掴んでいた。
「あ、ありがとうございます……」
そのままベッドに腰かける形になっていた。
「座ってていい。相当疲れてるんじゃないか?」
「あはは、何だかすみません。これじゃどっちが看護してるのかわからないですね」
私の空笑いには目もくれず、彼は窓の外を見ていた。多分、あの花畑の方を。透過する涼しげな蒼の中に、彼女はいた。白い日傘、華奢な体つき、私と同じ、ブリュネット髪の……。
「じゃあ、そろそろ私、行きますね」
遠慮がちなトーンで言うと、彼は私の方を見た。
「いや、ここにいてくれ。その……思い出せないけれど、君とは離れてはいけない気がする」
不安げな彼の顔に優しく微笑みかける私がいた。
「では……」
「そうだな。僕専属の調合師になってくれ」
「は、はい?」
「調合師見習いなんだろ?」
「え、ええ、まあ」
祖母の仕事にはよく付き添っていたが、私の仕事は主に薬草の採取だ。
「じゃあ、決まり」
かなり強引に話をまとめると、彼はベッドに再び沈み込む。
「あ、あの……」
「寝る」
短く言葉を発した彼は脱力したように眠ってしまった。エデンさんの雰囲気は以前とはだいぶ異なっていた。彼は穏やかで冷静で、そして庶民に対しても優しく接してくれる、兄のような存在だった。しかし、今の彼は……。これから元に戻るよね。気持ちを切り替えようと窓の外を見る。すると、先ほどの日傘の女性と目が合った、気がした。豆粒くらいの大きさなのに、こちらを見ているとわかる。今少し、笑った気がする……。
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