第28話:オーク母子2
公爵夫人の逆鱗に触れ、執事長のジョバン、侍女頭のアマンダ、料理長のミシュ、その他二十数名が首になった。
今侯爵家の屋敷には、新任の使用人で溢れかえっている。
(どうしてこんなことになった?)
頭を抱えるのはローンバーグ侯爵その人。
たかが果物一つ……いや数十で使用人を次々に首にしていっているのだ、夫人は。
新任メンバーがほとんどとなっている屋敷の中は、まさにカオスそのもの。
何がどこにあるのか知らない者だらけ。
執事長や侍女頭が問答無用で追い出されたこともあり、大事な書類や家紋の入った衣装、蝋印。これらが保管されている場所が分からなくなっているのだ。
(あれの果物への執着は異常だ)
と、今さらながら思わされる。
「あーたっ! どこにいるざますかっ。あーたっ!!」
「はひーっ。す、すぐお傍にっ」
もはや条件反射ともいうべき速度で、侯爵は夫人の部屋へと走った。
部屋の中には夫人の他に息子のエンディンと、そして侍女が二人いた。
「ア、アンジェリーナ、呼んだかい?」
我が妻、我が子ながら、正直視界に入れたくないと思う容姿の二人。
その二人はシンクロ率100%で地団太を踏んでいた。
地団太に合わせて床から振動が伝わる。
(もうこれ以上我が家の床を踏み抜かないでくれっ)
とは言えず、ただただにこやかに笑って取り繕うしか侯爵には出来ない。
「呼んだざましょ! あーたっ。今すぐあたくしの為にフルーツを荷車いっぱい持ってくるざますっ」
「ママーン。僕ちゃんの分は~?」
「あぁ、あたくしの愛しいエンディンちゃん。ごめんなさいでちゅざます~。あーたっ。荷車二台分、今すぐ用意するざます!」
「に、荷車二台!? アンジェリーナ、裏の果樹園があるじゃないか」
ガラスハウスとはいえ、かなりの大きさがある。
あれの建設が夫人──アンジェリーナを娶るための条件でもあった。
なお、侯爵は別にアンジェリーナに恋などしていないし、求婚した覚えもない。
「おい、お前たちっ。裏の果樹園から果物を──」
と、侯爵は怯える侍女二人に視線を向けた。
二人は怯えた状態で顔を左右に振る。
「も、もうありませんっ。この一カ月の間に、実っていた物は全て食べつくされましたっ」
「は?」
「もう何一つ残っていないんですぅ~」
「な、何故だ!? 今までこんなこと──」
果物が底を尽きるなんてことは、今まで無かったはず──と、侯爵が再び頭を抱えた。
(今まではどうしていたのだ? 確かロクという庭師に世話をさせていたはず)
「ロクを呼べ!」
と侍女に命令を出したが、二人は揃って首を傾げている。
「も、申し訳ございませんご主人様。ロク様という方は、存じ上げておりません」
「わ、私もです。ここでご奉公させて貰って、まだ一月ですので」
(くっ。新人か──そういえばほとんどの者がこの一カ月の間に雇った者たちだったな。古参の者は──そうだっ)
「お前たち、厩舎へ行ってボブを連れて来い!」
「は、はいっ」
夫人が首にした使用人は、侍女と執事、そして料理人ばかりだ。
庭師や厩舎で働く者はほとんど残っている。
理由は簡単。屋敷にあまり近づかない使用人たちなので、婦人に命令されることが無かったからだ。
ほどなくしてボブが連れて来られると、
「ボブ、ロクはどこに行った」
と侯爵は尋ねる。
「へぇ旦那様。ロクさんは五年前に、任期が満了になってここを辞めましたでごぜーますよ。お忘れですか?」
「な!?」
「あーたっ。そのロクってのはどこの誰ざますか!?」
侯爵も夫人も、自分の屋敷で働く者の顔も覚えていない。夫人に至っては、何の仕事を任せているのかすら知らないのだ。
「ママーンッ。僕ちゃんお腹が空いて死にそうじゃん。見てよママン。こんなにお腹もぺしゃんこじゃん」
いやそれは気のせいだ。寧ろ常人よりぱんぱんに膨らんでいるぞ。
そんなツッコミがどこからか聞こえてきそうなぐらい、エンディンの言葉は無理があった。
「待っててねエンディンちゃん。ママンがすぐに用意してあげるざますから。あーた!」
「ロロロ、ロクは果樹園を任せていた庭師だ。ご、五年前に辞めたそうなんだよ」
「じゃあそのロクって男が辞めてから、いったい誰があたくしたちの果物の世話をしていたざますかっ」
「ボブ!」
「へ、へい。ルークエイン坊ちゃまでございます。ロクさんがここを出てから、おひとりでお世話をしておりました」
何故ルークエインが?
とは思ったが、ここで侯爵はようやく思い出した。
十一年ほど前に、ルークエインに庭師としての仕事をするように命じたことを。
「グギギギギギギギッ。いいからそのロクとかいう男を、さっさと連れてくるざます!」
「ボブーッ」
既に助けを求めるかのような叫びの侯爵に、ボブは困り顔で答えた。
「ロクさんは娘さんの住む、お隣のトロンスタ王国に移住してしまいましたから……呼び寄せるのはちーっとばかり無理かと」
「そ、そんな……」
「なんざますって! あたくしに向かって無理ざますって!? ボーッブ。あーたは首ざますっ。今すぐこの屋敷を出ていくざますよっ」
一瞬驚いたボブだったが、直ぐに彼は「ではお暇しますだ」と言って部屋を出て行った。清々しいまでの笑顔で。
「あーたっ。ロクを連れ戻すざますよっ」
「いや連れ戻すというか、彼は定年でここを辞めて──」
「だーらっしゃい! トロンスタ王国があたくしの果樹園を奪おうとしているのざますよっ」
「え?」
何故そうなるのか、侯爵には理解できなかった。
「ギエェーッ! あたくしの美しさに嫉妬した王妃の仕業ざますね! それであたくしの果樹園を奪おうと、ロクを誘拐したんざますっ」
「い、いやいや」
「ママン。僕ちゃんとママンの果樹園じゃん」
「そーだったざますわねぇ。あーたっ。国王に手紙を書くざますっ」
よせ、止めろ。
侯爵は祈った。
「トロンスタ王国が誘拐したロクを今すぐ返すよう、国王に進言するざますよ!」
「ア、アンジェリーナ。そんなことをすれば、最悪、戦争になるぞ?」
「ぶひっ。望むところざますよ!」
ぶひぶひと鼻息の荒い婦人から離れるように後ずさる侯爵。
そんな彼の背後にあった扉が開かれ。新人執事が顔を出す。
「だ、旦那様、大変でございます。東地区のブッドウ園が……」
「しっ。今その話をするなっ。ア、アンジェリーナ。わ、私は手紙を書く準備をするから、退室するよ」
「分かったざます。急ぐざますよ! 今すぐ!!」
「はひーっ」
叫びながら侯爵は、執事の手を引いて部屋を出て行った。
走って走って、その声が夫人に絶対聞こえない場所までやって来ると、ようやく息を整える。
「そ、それで。ブッドウ園がどうした?」
「は、はい。なんでも根腐れ病で木が全滅しそうだって」
「なにーっ!? な、何故それを早く言わんっ」
「いやでもだって──」
侯爵は執事の肩をガシっと掴んだ。
「それで、どうすると言っていたのだ!」
「いや、あの。ルークエイン様に相談すれば、薬を用意してくださるはずだと農夫は言っておりまして」
「ルークエインに?」
何故?
そう思いながら、侯爵は再び頭を抱えることとなった。
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