第590話 なんと水鳥軒!

 ところ変わって、コチラは先ほどまでアイナたちのコンサートが行われていた駐屯地の広場。

 すでに終演を迎えたとはいえ、つい先ほどまでは、まばらに人が残っていた。

 そんな人のあいだを、緑の目を光らせた黒い三年生たちが疾駆していったのだ。

 それはまるでカマイタチ。

 血しぶきが舞い上がり、腕が飛ぶ。

 緑の風が通り過ぎた後には悲痛な悲鳴が尾を引いた。


 腹を切られて臓物を垂らすもの。

 中には、スパッと顔面の皮をはぎ取られたものまでいた。

 コンサートの興奮がさざ波のように青ざめていく。

 倒れていく悲鳴が、まるでコーラスのように広場にこだまする。

 夜空に舞い散る赤き血が、月の白肌を赤く染めていく。


 だが、今や、この広場に残るのはガイヤのみ。

 そんなガイヤもまた、動けずにいた。

 そう、目の前にはコウケンがにらみを利かせていたのである。


 ガイヤとコウケンの距離がじりじりと縮まっていく。

 すでに二人の脳内では、数手先の攻防が繰り返されているのかもしれない。


 ガイヤが突然前髪をかき上げて大声で叫んだ。

 「キメれ~んフラッシュ!」

 月夜の広場の真ん中に、まるでカメラのストロボのようなひときわ明るい光がはじけた。

 「ケケケケケ」

 その瞬間、不気味な笑い声と共にガイヤの大きな頭がコウケンめがけて突っ込んだ。

 それはまるでイノシシのような突進力。

 おそらく、この勢いでぶつかれば、並みの人間ならひとたまりもないだろう。


 ドシン!

 ぐえぇっ!

 激しい衝突音と共に、車に引かれたカエルのような鳴き声がした。


 ガイヤの放った激しい閃光によって奪われていた視界が、徐々に戻ってくる。

 かがり火に照らし出される広場の石畳はいつもの静かさを取り戻していた。

 そんな地面の上には、ガイヤが頭を押さえながらつぶれたカエルのように伏せていたのだ。

 そう、先ほどツッコんだガイヤは、目の前のコウケンによってモロにかかと落しを食らっていたのである。

 目を閉じて静かに息を吐くコウケン。

「何度も、その技は見ていますからね……」


 ケケケケケケ……

 だが、不気味な笑い声をたてるガイヤがゆっくりと膝をつき立ち上がる。

 その揺れる体はまるで柳にように力ない。

 そんな体の前で、ガイヤの両腕がゆっくりと回りだしたではないか。


 ――何をする気だ⁉

 コウケンはその動きに警戒する。

 だが、錯覚だろうか、先ほどからその手が無数に見えるのだ。


 ガイヤが叫ぶ

「なんと水鳥軒奥義! 千手観音草の赤味噌和え!」

 どりゃ!どりゃ!どりゃ!どりゃ!どりゃ!どりゃ!どりゃ!どりゃ!どりゃ!

 無数の拳がコウケンを襲う!

 ――何⁉

 と、思ったら、それはハリボテの手。

 木の枝に差し込まれた無数の手がガイヤから突き出されていたのだ。


 ――こんなもの!

 いくら手の数が多いといっても、所詮その根元はガイヤの両の手にしっかりと握られているため動きはいたって単調だ。

 コンケンにしてみれば、こんな攻撃、いなすのは簡単。

 というとこで、さっと手を払い、いくつかのハリボテの手を払いのけた。


 ネチャっ


 その瞬間、コウケンの手に、なにか嫌な感触が伝わってきた。

 それは人間の手の感触……いや、腕にまとわりついた残り血のぬめった感覚。

 そう、この張りぼての手から伝わるのは、死んだ人間の手の感触なのだ。

 もしかして、このハリボテの手は、そこらへんで死んでいる人間の手を切り落としたものなのか?

 これにはさすがに、コウケンも怯んだ。

 というのも、その手、死後硬直が始まりかけているとはいえ、いまだにその体温を残しているのだ……

 こんな死者を弄ぶかのような攻撃は想定外だった。

 ――死者に対する尊厳はないのか⁉

 だが、目の前のガイヤは笑っている。

 ――コイツ……楽しんでいるのか……


 距離をとったガイヤは手にする死体の手を投げ捨てると再び叫んだ。

「なんと水鳥軒奥義! レバにたぁ炒め!」

 そして、笑顔のままコウケンへと突っ込んでくるのだ。


 ――しかし、動きが単調なのですよ!

 コウケンは自分に向かってくるガイヤの顔めがけて右上段突きをくらわした。

 拳がガイヤの顔面にめり込んでいく。

 だが、 べちっ! という、何か嫌な音共にガイヤの顔が歪んでいくのだ。

 そんなコウケンの拳がガイヤの顔の上を滑っていく。

 しかも、殴った顔を巻き込みながらである。

 皮一枚はがれていくヌルっとした感覚と共に、ガイヤの顔がはげていくのだ。

 そして、ついにコウケンの右腕がガイヤの耳横に伸びきった時、ガイヤの顔の皮膚もまた完全に剥がれ落ちていた。


 にたぁ


 コンケンの眼前で、ガイヤの顔が笑っていた。

 真っ赤に染まった大きな顔の中心で、細い緑の目が笑うのだ。

 そして、次の瞬間!

 ぼこっ!

 という音がしたと思ったら、コウケンの体が崩れ落ちた。

 そう、まるで、力が抜けるかのようにストンと落ちたのだ。

 コウケンの右わき腹にガイヤの左アッパーがえぐるように入っていたのである。

「うぐぇぇぇ……」

 一瞬、コウケンの呼吸が止まる。

 体を起こそうとしても、体の全体の力が入らない。

 そこは肝臓がある所。

 にたぁと笑うガイヤの顔に気を取られたコウケンは、もろにレバーブローを食らっていたのだ。


 ――ヤバイ! か! 回復を!

 自分に言い聞かせるコウケン。

 呼吸をしようにも息ができない

 体は思うように動かない。

 遂に膝をつくコウケンの体。

 ――まずい! 次が来る!

 分かっていても、酸素が足りない!

 ――クソ! 万事休すか!




 

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