第588話 初恋?

 三度目の正直!

 といことで、またまたマッシュが目の前に近づいてきた。

 しかしまだ、コウテンの足元には泡が残っている。

 まぁ、さきほど息を強く吹いたことで、泡の盛り上がりはなくなったことはなくなったのだが……


 ――まだ、ヌルヌルっすね!

 足の裏の感触を確かめながら、コウテンはマッシュを迎え撃つ。

 だが、迫るマッシュに何か違和感を感じた。

 ――アイツ、どこ見てるっすか?

 そう、コウテンは自分と戦っているマッシュの視線は自分に向けられているものと思っていた。

 だが、マッシュの目はどこか違うところを狙っている。

 ――何があるっすか?

 コウテンは、そんなマッシュの視線をたどるかのように自分の背後を振り返った。


「ひぃぃぃぃぃぃ!」

 そこには見張り台の入り口から顔を出している小間使いの女の姿があった。

 ――なんで? 上の見張り台にいたはずじゃないんすか!

 そう、小間使いの女は何をとちくるったかわざわざ下に降りてきたのだ。

 仕方ないのだ。

 待てども待てども男が返ってこない。

 ――もしかして、あの男、金を払わずに逃げやがったか?

 そう、彼女はまだ、今日のパパ活のお小遣いをもらっていなかったのである。

 ――冗談じゃない! タダ働きはまっぴらごめんだよ!

 ということで、男を探しに入り口まで降りてきたのだが……

 当然、彼女の目の前には、ぐちゃぐちゃに細切れになった肉の塊が散らばっていた。

 そんな肉片の中に一つ、今だ原型を保った男のエリンギが石畳の間からそそり立っていた。

 ――お……お残しは許しまへんでぇぇぇぇ!

 って、ムリ!

 だって、エリンギは生で食べたらお腹壊しちゃうんだモン!


 そんな女にマッシュは狙いをつけていた。

 城壁の上のレンガ道を、まるで蒸気機関車かのようにまっすぐに突っ込んでくる。

 シュ! シュ! シュ! シュ!

 泡立つレンガの床をすべるように移動してくる体は、想像以上に速い。


「危ないっす!」

 コウテンは呆然とする女に声をかけると、とっさに見張り台の前に立ちはだかった。

 だがしかし、その足場には泡。

 当然、そこは滑るまま。

 ――ちっ!

 このままでは先ほどと同じことの繰り返し。

 さすがに同じことを三度も繰り返したのではサルである。

 というか、読者もすでに飽きている。

 ――何とかしなければ! 何とか!

 それどころか、背後には女がいるのだ。

 さっきと同じように自分がよければ、その拳はどこに行く?

 そう、頭の上を滑りぬけてそのまま背後に突き抜ける。

 そして、女は死ぬ。

 考えるまでもなくコウテンには、よく分かっていた。

 ――なら、どうする。

 ぽく! ぽく! ぽく!

 ぽく! ぽく! ぽく!

 ぽく! ぽく! ぽく!


 エリィ~ンギッ! 

 じゃなくて

 チーン!コ・コウテンはひらめいた。


 解決策③ 泡を何かで拭いてみる。

 拭くといわれて何で拭く。

 ここにはティッシュはないのだ。

 ならば!

 そう服で拭く!

 ダジャレではない! 今はそんな時間などないのだ!


 コウテンは、修行着を脱ぎ捨てると、すぐさまそれで足元を拭いた。

 なんと言うことでしょう!

 泡の下からレンガが見えたではありませんか!

 完ぺきとは言えないが、これだとなんとか踏ん張ることはできそうだ。


 足を肩幅に開き大きく息を吐くコウテン。

 さぁ 恋い!

 ちがうっ!

 さぁ 来い!。


「オーライ!」

 そんなコウテンをあざ笑うかのようなマッシュの発声。

 それと伴に伸びる拳が、コウテンの背後に立つ女めがけて打ち出された。


 光芒一閃こうぼういっせん

 コウテンのカウンターパンチ!

 その一撃を打ち込もうと、思いっきり足を踏み出した。

 だが、そこはまだ服で拭いていなかった……

 ということでコウテンの足がつるっと滑った。

 スッテーン!

 次の瞬間、おもいっきり尻もちをついていた。


 そんなコウテンの視界の上を飛び越えていくマッシュの体


 ――行かせないっす!

 倒れ込んだコウテンの指先がレンガの隙間に潜り込むと、一気に己が下半身を立ち上げた。

 一本立ち!

 まさに、力強くそそり立つイチモツ!

 じゃなかった、コウテンの体。

 逆立ちで蹴り上げられたコウテンの足が、マッシュの腹に思いっきりめり込んでいた。


 今まさに力のベクトルが入れ替わる。

 蒸気機関車が走る線路のポイントが切り替えられるかのようにマッシュの体が上空へと吹き飛んだ。

 ふごぉぉぉぉ!


 そんなコウテンが体の反動を利用して立ち上がるのと同じころ、上空に蹴り上げられていたマッシュが落ちてきた。

 どシーン。

 激しい音共にマッシュの頭が屋上のレンガ床にめりこんでいた。


 ――まだっす!

 だが、コウテンは構えを解かない。

 逆立つマッシュの体を前にコウテンは睨みを利かせていた。

 そう、奴はこの4階建ての城壁の上より頭から落ちても鼻血しか出さない男である。

 ――これぐらいでくたばるわけがないっす。


 コウテンは背後の小間使いの女に叫んだ。

「今のうちに、逃げるっす!」

 我に返った女は、小さくうなずくと、着崩れた衣服の襟元を掴み慌てて走り出した。

 アレェェェェェ

 しかし、女は、フィギュアスケートのスピンをするかのようにクルクルと回りながら滑っていくのだ。

 それはまるでフィギュア界のスピンの女王ルシンダ・ルーを彷彿とさせる見事なスピン!

 きっと、スピンだけならオリンピックも夢じゃない。

 女の回転にともない飛び散る汗? 汁?


 ぴちゃ!

 一抹のしずくがコウテンの顔に飛び散った

 えへへへへへへ

 一瞬デレるコウテン。

 ムンムンと熟れたような匂いがコウテンの鼻にまとわりついたのだ。

 ――これは濃いぃぃ! いや、恋ぃぃ!

 鼻の下をビローンと伸ばしたコウテンの横を女はクルクルと回りながらすり抜けていった。


 女がマッシュの横を通り過ぎ、下に降りる階段の入り口近くまで滑って行った時だった。

 マッシュのイチモツ、いや体がむくりと起きたのだ。

 そして、女を見つけると、またもや滑り出す。


「諦めの悪い奴っすね!」

 だがコウテンもまた、マッシュを追いかけようと走り出していた。

 ――人の恋路を邪魔する奴は! エリンギでも咥えて衆道に落ちろ!


 だが、またもや、すってんころりん。

 滑ったコウテンは後頭部をしたたかに打ち付けていた。

 さすがにこの一撃は効いた。

 叫ぶことすらままならず、ぼーっとなるコウテン。

 そんなコウテンの耳に、小間使いの女の悲鳴が聞こえた。

 ――マズイっす! 俺の初恋!

 ぼやける視界を何とか女の悲鳴の方角へと維持しようと、何とか体を起こした。

「今、イクっす!」

 うっ!

 だが、コウテンの体は力が入らない。


 そんなコウテンの視界に映ったのは、まさにフィニッシュの瞬間!

 マッシュに追いつかれそうになった女が振り向きざまに発射した瞬間だった。


 それはまるでそれはトリプルアクセル!

 懸命に回転する女の顔はマッシュから逃げるかのように、城壁の上から落ちていった。

 そう、彼女は屋上という名のスケートリンクから飛び出して行ったのだ。

 おそらく、その回転はすでに6回転を超えているだろう。

 無事、着地できれば、間違いなく世界新である!

 しかし……この城壁は4階建て……


 その瞬間、コウテンの初恋が終わりを告げた。









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