第523話 ダメだ!

 ハヤテは次の瞬間、咄嗟に入り口から外に飛び出していった。

 慌ててそれを追いかけるビン子。

「どうしたのハヤテ?」

 ハヤテは家の外で唸り声をあげているのだ。

「オイオイ! ウンコか? ダメだって! ウンコなら家の前でするなよ! 森の奥でやって来いよ! 森の奥で!」

 タカトは、外に出るなり怒鳴り声をあげた。

 だが、ハヤテは、そんなタカトには目もくれない。

 低い姿勢のままで歯をむき出し、目の前に広がる森の茂みを威嚇している。

「タカト! 下がれ!」

 入り口の影にピタリと背をつけ外を伺うミーアが叫んだ。

 いつの間にかその手には、商品棚に並んでいた一振りの剣が固く握られている。

 そして、その反対側のドアの影には剣を構えるリンの影。

 森の奥を睨み付ける瞳には一分の隙もない。

 だが、その表情にはうっすらと脂汗がにじみ始めていた。


 ミーアが強く唇をかみしめる。

 ――こんな強い殺気に……今まで全く気付かなかったなんて……

 リンと再び会えたことに油断していた?

 いや違う、リンですら気づいていたなかったのだ。

 そして、半魔の犬のハヤテでさえ、つい先ほどまで何も気づかずあくびをしていたのである。

 それが、いきなりふって湧いて出たかのように恐ろしい殺気が沸き起こったのだ。

 何かが森の中で生まれ出たのであろうか?

 違う……

 これは人が持つ闘気。

 いやそれ以上の……覇気!

 おそらく、数時間前、いや、もしかしたらそれ以上前から息をひそめて森の中に潜んでいた。

 そして、タカトたちが戻ってきたのを見計らい、わざと覇気を発しているのだ。

 なら……これは誘い?

 いや……警告?

 いつでも、お前たちを殺せたんだという脅しなのか?

 ――バカにしやがって!


 一方、タカトとビン子は突然ミーアに怒鳴られたことが全く分からなかった。

 目の前の茂みから発せられる覇気にも全然気づいてない様子。

 呑気だねぇ……

 二人は、唸るハヤテとドアの陰に隠れるミーアたちを交互に見比べる。

 タダならぬことが起こっていることはなんとなく理解できたが、それが何なのかは分からない。

 ただただオロオロするばかり。

 そんな二人の前の茂みがガサガサと揺れはじめた。


 茂みから出てきた声の主。

「やっぱり朝飯はにぎり飯だな! お前たちも食うか?」

 不躾にタカトたちへと突き出される大きなおにぎり。


 ――そういや俺、朝飯食べてなかったな!

 タカトは嬉しそうに手を伸ばす。

「えっ! 食べていいの?」

「あぁいいぞ! 朝飯食わないと力でないからな!」

 声の主は、口の周りに米粒をつけたまま豪快な笑い声をあげた。

「それじゃ、さっそく!」

 全く警戒心の無いタカト。

 がぶりと一口。

「うめぇぇぇぇぇ!」

 むしゃぶりつくタカト。

 久方ぶりの白飯である。

「ビン子、これマジでうめぇぞ! 食うか?」

 食べかけのにぎり飯を見せびらかす。

 だが、ビン子の瞳はおびえていた。

 ――怖い……

 覇気に押された?

 いや違う。

 ビン子が見つめる先には、その男が映っていたのだ。

 均整の取れた体。

 束ねられた長い黒髪。

 そして、美しいまでの黒い瞳

 だが、その声の主である男の目は笑っていない。

 はつらつとした声とは裏腹に、冷たく鋭く、そして静かに恐ろしいほどの光を発し続けているのだ。


「タカト! そこをのけ!」

 その声を合図にするかのようにミーアが飛び出した。

 ――先手必勝!

 それに続くリン。

 疾駆する二人の体。

 二人の呼吸はピタリと合った。

 男の目の前で交差する二つの影。

 その速きこと風のごとし!

 ただの魔装騎兵ごときであれば、おそらくその瞬間にミーアたちの姿を見失っていたことだろう。


 だが、握り飯を食らう男は、不敵な笑みを浮かべながら腰に携えた剣の束に手を当てた。

「おもしろい……」

 白竜の剣が白き肌をのぞかせた。


 天から降り下りるリンのけん

 地から打ち上がるミーアのつるぎ

 まさに挟撃の一撃!


 だが、その剣撃は弾かれる。

 男の周りに白き円が描かれたかと思った瞬間に、ミーアとリンの体が吹き飛んでいた。

「安心しろ……みねうちだ……」


 地をこするミーアの膝。

 ――チッ! コイツ……ただ者じゃない……

 リンとの絶妙のコンビネーションアタック!

 今まで、これでうち漏らした敵などいやしない。

 それが、どうだ……

 アイツのたった一振りで、いとも簡単にこうもいなされるとは。

 ――こいつ……やはり、騎士か……


 そう、目の前に立つ男は、第七の騎士一之祐。

「はぁ……やはり魔人が潜んでいたか……まいったなぁ……」

 一之祐の目がいつにもなくまじめにミーアをにらんでいた。


 ――これはかなりまずいね……

 ミーアの額から脂汗が垂れ落ちる。

 ココは聖人世界の融合国。

 魔人世界とは違うためミーアの神民スキルの魔獣回帰も使えない。

 しかも、相手が不死の騎士となると、勝利の目は全くない。

 ……どうする……

 辺りを伺うミーア。

 茂みの奥にあと一人ほどの気配。

 だが、それ以上の気配は存在しない。

 このままここで闘えば、タカトたちを巻き込むことは確実。

 なら……ここは逃げる一手。

 だが、相手は騎士。

 簡単に逃がしてくれるとは思えない。


「逃げてください! お姉さま!」

 叫ぶリンは、一之祐に突っ込んだ。

「こいつが狙っているのはお姉さま自身! なら、私が足止めします!」

 回転を伴ったリンの剣が地面をこすって斬り上がる。

「しねぇぇぇ! お姉さまに仇なす、このカスがぁァァァァ!」

 メイド服のスカートが、散り急ぐ花のように遠心で広がっていく。

 ほんの一瞬でいい……

 ほんのわずかな時間でいい……

 ミーア姉さまが逃げる、ほんの一瞬!

 お姉さま……

 お姉さま……

 リンはお姉さまに出会えて幸せでした……


「リン! ダメだ!」

 ミーアは叫んだ

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