第439話 空腹の獣(2)

 魔物の腹の中に顔を突っ込んでいたソフィアの顔が、口に臓物を咥え起き上がる。

 四週間なにも飲まず食わずだったせいなのか、その臓物をムシャムシャと食らいながら、その赤き目が次の獲物を物色している。

 顔中、目と同様に真っ赤であった。

 血でぬれた紫色の髪が、べっとりとほほにまとわりついていた。

 そんな髪を邪魔くさそうに手で拭うと、さらに頬に赤が広がった。

 ソフィアは、まるで獣のように四つん這いで走り、次から次へと魔人の腹へと顔を突っ込んだ。

 よほど内臓が柔らかくておいしいのであろう。

 湯気だつ内臓のみを、次から次に喰らい続けていた。

 そのため、固そうな頭部や腕などには見向きもしない。

 心臓も、肋骨で囲まれて、面倒なのか、食さない。

 魔物と言えども、人間同様に脳や心臓には生気が宿っている。

 そのため、魔物が魔物を食らうと言えば、やはり、心臓や脳がメインなのだ。

 まして、魔人ともなれば、知識が詰まる脳が一番である。

 しかし、ソフィアはそんな脳や心臓に見向きもしない。

 ただ、目の前に転がる魔人の肉をおいしそうに食らっているだけなのだ。

 その肉の中でも、一番柔らかく、脂ののっていそうな所から食らいついている。

 その様子は、ただ単に腹が減って、獲物を食らう獣そのもの。


 駆けつけたヨメルが悲鳴を上げた。

 それは仕方ないことである。

 目の前には魔人たちの死体がいくつも転がっているのである。

 しかも、その魔人たちは、自分の神民魔人で、研究の大切な助手なのだ。

 この魔人たちを失うことが、自分の研究にどれだけ損失か。

 ヨメルの目は怒りに燃える。

「このケダモノを、殺せ!」

 ヨメルは、魔人たちに命令する。

 その命令に反するかのようにディシウスが叫んだ。

「やめろぉぉ!」

 しかし、すでにディシウスの意識は混濁状態。

 四つん這いで這いずるディシウスの手が、ソフィアに向かって伸びるのみ。

 ソフィアの復活に気を許したその瞬間、ここ四週間絶えず張り巡らしていた緊張がほどけた。

 その安堵感は、脳からの全身へ下されていた命令を瞬時に遮断した。

 すでに、ディシウスの体は、思うように動かない。

 だが、ここでソフィアを守らねば!

 その思いが、体を無理に動かそうとするが、脳からの神経伝達が混乱を極める。

 すでに、ディシウスの意識は、目の前の光景が夢なのか現実なのか、全くわからなくなっていた。


 ヨメルに命令された魔人や魔物が、一斉にソフィアに襲い掛かった。

 魔物の牙が、ソフィアを穿つ。

 獣のような悲鳴を上げるソフィア。

 神の恩恵の誘惑を発動させて、魔物たちを取り込もうとするが、襲い掛かる数が多すぎる。

 全てを掌握するのは不可能だった。

 だが、誘惑にとらわれた魔物がソフィアの壁となる。

 しかし、その壁もまた、無数の牙によって簡単に崩れ去る。

 その都度、ソフィアが誘惑で魔物を取り込んだ。

 赤黒いソフィアの目が、さらにその深みを増していく。

 ソフィアの口から、不気味な笑い声が漏れてくる。

 この状況、もしかして、荒神化の兆候か。

 ソフィアの荒神の気の吸収よりも、神の恩恵の使用量が上回っているというのだろうか。

 もしかして、荒神爆発をおこすのだろうか?

 ヨメルは、その変化に興味を示した。

 せっかくできた神と魔人の融合体である。

 実用には向かないまでも、その状態を観察することは、次の実験の成功につながるというものである。

 ならば、その素体を殺してしまうのはもったいない。

 ここは生かして、いろいろと試してみるのが面白い。

 なんなら、解体してみてもいいじゃないか。

 それは作ったものの特権だ。

 ヨメルは命令を替えた。

「こいつを、取り押さえて、牢獄に閉じ込めろ!」


 もはや動かぬ体でディシウスは叫んだ

「やめろ……やめてくれ……」

 ソフィアへと懸命に手を伸ばす。

 だが、視界が徐々に色を失った。

 動かぬ体を動かそうとするが、まるで金縛りにあったかのように動かない。

 動いてくれ……

 ディシウスの視界が黒くなる。

 伸ばした手が、床に力なく落ちた

 ディシウスの意識は完全に途切れた。


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