第393話 深淵の悲しみ 浅瀬の忠義(2)

 光の渦の中を落ちていくヨーク。

 必死で、落ちた先の暗闇へと手を伸ばす。

 何かを掴もうと、必死で両の手を掻きのばす。

 だが、その暗闇はどんどんと小さくなっていく。

「メルアぁァァぁァァぁ!」

 その暗闇のふちには、落ちていくヨークを見つめるメルアの姿が見て取れたのだった。

 光に照らし出されたメルアの顔は、美しく、生きていた時と全く同じ。

 その優しき笑顔も、変わらぬままであった。

 だが、その瞳からは涙がとめどなくこぼれ落ちていた。

 それが今生の別れであるかのように、涙あふれる目で懸命に微笑みかけていた。

 ――ヨーク……ありがとう……こんなアタイを愛してくれて……アンタは、クソ溜めのような世界で見つけた希望の一輪……だから、必ず、花を咲かせておくれ……それは、きっと優しく美しい花……

 皆を守る強き花……

 そして、アタイが愛した唯一の花……


「メルアぁァァぁァァぁ!」

 ヨークは飛び起きた。

 跳ね起きた上半身から大声が発せられた。

 ヨークは、辺りを見渡す。

 ――メルアはどこだ!

 だが、そこは、先ほどまでの暗闇ではない。

 そしてまた、ヨークが落ちていった光の渦の中でもなかった。

 白い天井に、白い壁。

 どうやら病室のようである。

 開け放たれた窓から吹き込む風が、レースのカーテンを揺らしていた。

 そのカーテン越しに、大きな門が見える。

 ――騎士の門か……

 と言うことは、ココは、どこぞの門の側にある宿舎の中の病室と言う事なのだろう。

 ヨークは、うつむき、シーツを強く握りしめた。

 そして、そのシーツを顔に引き寄せると、低い嗚咽をこぼした。


 ドアをノックする音が聞こえる。

 だが、膝を抱え込むヨークは答えない。

 シーツに顔を突っ込んだまま肩を震わしていた。


「何とか一命をとりとめたようじゃな」

 ドアから入ってきた男のしわがれ声が、安堵の表情を示した。

 その声の主は権蔵であった。

 権蔵は、ヨークが横たわるベッドの傍らに腰かける。

「調子はどうじゃ」

 やはり何も答えないヨーク。

「しかし、さすが元神民兵じゃな。回復力が違うわい」

 権蔵は、ヨークのただならぬ様子からして、心に何か大きな傷があることはすぐに分かった。

 だが、今、それを聞いても仕方ないこと。

 だが、権蔵の中の一抹の不安があった。

 ――もしかしたら、こやつ……せっかく拾った命を、また、粗末にしかねん。

「ワシなんか、腰を痛めたら、2、3日動けんなるからな……そんなワシを見て、タカトのくそボケは老いぼれジジイとぬかしよる……」

 権蔵に今できることは、何も答えぬヨークに対し、語り続けることだけだった。

 だが、そもそもしゃべることが得意でない権蔵。

 すぐに、話すネタが尽きた。

 静かな時間が流れる。

 窓から吹き込む風が、権蔵とヨークの間を優しく吹き抜ける。

「……なぜ、俺を助けた……」

 顔をうずめたシーツ越しにヨークのか細い声が漏れた。

「おっ、やっと声を出したか」

 やれやれと言わんばかりに権蔵は、自分の膝をポンと叩き、笑みを浮かべた。

 だが、それが癪に障ったのか、ヨークが頭を上げると、権蔵の胸倉をつかみあげた。

「どうして! 俺をそのままにしておかなかったんだ! せっかく、メルアのもとに行けたものを!」

 権蔵は、ヨークの手を払うこともなく、大きく息を吐いた。

「……お前は、ワシの大切な子らを助けてくれた。それも一度ならず、二度までも……」

 権蔵は、胸倉をつかむヨークの手にそっと触れると、掴むシャツからそっと離した。

「そんな、お前が死にかけとったら、今度はこっちが命がけで救う番じゃろが……」

 ヨークは両手で顔を覆った。

 その隙間から嗚咽が漏れる。

「俺は……死にたかったんだよ……」

 そんな様子を権蔵は悲しい目で見つめた。

 ――コイツはタカトとそっくりじゃ。

 心根は誰よりも優しいくせに、いつもお調子ばかりいって。そのせいで誰にも理解されることが無い。貧乏くじばかり引きよる。

 ――コイツと同じく、おそらく、タカトの奴も、ビン子を失えば、壊れてしまうかもしれんな……


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