第176話 恋のかく乱(3)

 突如、上空から舞い降りたハチビィたちは、腹部から突き出した針で守備兵たちを次々と突き刺していた。


 守備兵たちは、頭の上を舞うハチビィを追い払おうと、懸命に剣を振り回す。


 乱雑な剣の軌道の間隙をぬって、ハチビィの鋭い一撃が守備兵たちの腕を襲った。


 森の下草の中に、剣が次々と落ち、守備兵たちの体が緑の茂みに身を沈めていく。


 ハチビィの針は、やはり毒針であったのだろう。

 刺された守備兵たちは瞬時にその場でうずくまり、痙攣をし始めた。

 薄暗い森の中に無数の羽音と、叫び声が反響しあっていた。


 この時のアルテラは、ローブの影を追ったオオボラとはぐれてしまっていた。

 森の枝葉に遮られ、進む事もままならない。

 アルテラは仕方なく、馬をおり歩きだした。


 薄暗い森は、ボッチに慣れているはずのアルテラでさえ、やけに心細くさせる。


 お化けのように伸びる木々の黒い影に怯えるアルテラは、森の奥から聞こえる守備兵たちの叫び声に気が付くと、恐る恐るその方向へと足を向けた。


 ――ちょっと、みんな私を置いて、先に行かないでよ……

 アルテラも、まさか、森の中で置いてきぼりにされるとは思ってはいなかった。


 オオボラ傘下の第一宿舎の守備兵たちは、口には出さないが、やはり緑女りょくめのアルテラを嫌っていた。

 そのため、おのずと少しでも距離をとろうとアルテラを残し先に進んでいってしまったのだ。

 また、オオボラも本来、アルテラに付き従うべきところなのだが、ついつい功を焦り、一人、森の中へと駆け込んでしまっていた。


 少々疲れたアルテラは、側の木に手を当て大きなため息をついた。


 そもそもこの戦いに意味があるのだろうか?

 今更、罪人一人逃げたところで、騎士たちに逆らうことなど決して出来やしない。

 問題があるとすれば罪人を逃したという世論の反発だけである。

 それだけのために、人々が傷つく必要があるのだろうか?

 命と権威のどちらが大切だと言うのであろうか?


 そう考えるアルテラは、再び大きなため息をついた。


 そんな彼女に耳に、どこからともなく念仏を唱えるような低い音が聞こえてきた。

 アルテラは、辺りを見回すも何も見当たらない。

 念仏は、まるで深い森の中で、死者を弔うかのようにこだまする。


 その異様な空気に、一人おびえだすアルテラ。

 しかも、その念仏のような音は徐々に徐々にと近づいてくるではないか。


 どうもその音、森の奥からではない。


 そう、それは、アルテラの頭の上から近づいてきているのだ。


 咄嗟に空を見上げるアルテラ。


 目の前に魔蜂のハチビィの緑の目が低い羽音とともに落ちてきていた。

 しかも、腹部の針を突き出して、アルテラ目指して急降下中!


 キャァァァァ!

 悲鳴を上げるアルテラ。


 突然の出来事に、アルテラは、ハチビィを見上げながら、なすすべもなく尻もちをついてしまった。


 しかし、空から落ちる針はどんどんとアルテラとの距離を詰めてくる。


 なりふりかまっている場合ではない。

 四つん這いになり、あたふたとみっともなく逃げるアルテラ。

 猫のように反った肢体から突き出されたキュートなお尻がかわいい。


 だが、そのお尻にハチビィの針が狙いを定めた瞬間、ハチビィの体が加速した。

 針は一直線に飛来する。


 ガサッ!


 そんな時、アルテラの後ろの茂みが大きく揺れた。

 そして次の瞬間、何か黒い影がアルテラのお尻めがけて飛んできたのだ。


 そう、それはハチビィとは別の影。


「そこ! どいてぇぇぇぇぇぇ!」

 その影の正体は涙目のタカトであった。

 タカトは、オオボラたちから逃げるために、薮の中をひたすら全速力で走っていたのである。

 しかし、不運なことに張り出した根に足を取られ、思いっきり前のめりにこけてしまったのであった。


 えっ!

 咄嗟に後ろを振り向くアルテラ。


 ハチビィもまたタカトに驚くものの、今更、降下のスピードを押さえる事など出来はしない。


 タカトは、タカトでなすすべもなく、ただ宙を舞うのみである。


 ムニュッ!


 タカトの顔面がアルテラのかわいいお尻に突っ込んだ。


 そう、アルテラのお尻は、ハチビィの針ではなく、タカトの顔面により手痛い一撃を受けたのである。

 アルテラの身体は、ハチビィの針によるダメージはなかったものの、その乙女の心は、大きなダメージを負ったようであった。

 アルテラの顔が、見る見るうちに真っ赤な色になっていく。


「この変態野郎!」

 アルテラのグーパンチがタカトの顔面をへこませた。


 噴き出す鼻血と共に吹き飛ぶタカト。

 タカトは、背後いや、ケツの後ろに迫りくるハチビィを巻き込み飛んでいく。


 タカトは、地面に尻もちをつき、ようやくその動きを止めた。

 口を天に大きく開け、覗く舌をピクつかせるタカト。

 目はまん丸である。

 しかし、地面への衝突の衝撃は思ったほど大きくなかったようで、後頭部だけをしたたかに打ち付けていた。

 どうやら、巻き込んだハチビィがクッションとなり、タカトのケツを守ってくれたようである。


「何してくれてるのよ! この……」

 仁王立ちのアルテラが、尻もちをつくタカトをにらみつけた。

 だが、タカトの顔をにらんだ瞬間アルテラは次の言葉は見失ってしまった。


 この男……


 いや、このお方は、あのガメル襲来時に私を助けてくれた王子様……


 もしかして、今度もまた、私を助けるために……

 しかも、よくよく見ると、私のタイプ……


 もし、この場にビン子がいたら思うだろう。

 アンタ……タイプって、この貧弱な技術系オタク野郎のことですか?

 メガネかけたほうがいいんじゃないですか?


 アルテラの勝手な妄想が爆発する。

 白馬にまたがるキラキラ王子様へと駆け寄るプリンセスアルテラ。

 まあ、実際には、目を回すハチビィにまたがる貧弱タカトのことなんですが。


「大丈夫ですか……」

「大丈ばん……」


 その言葉を発するやいなや前のめりに倒れ込んだタカトは、顔面を地につけた。


 その反動で天に突き出されたタカトのケツ。

 そのケツには、ハチビィの腹が力なく引っ付いていた。


 そう、タカトは、ハチビィに狙われるアルテラのケツに突っ込んだために、本来、アルテラのケツに収まるべき針はタカトのケツへと突き刺さっていたのである。

 しかも、ケツはケツでも、見事にその中心に。


 あぁ無常。


 タカトの初めては、ハチビィによって奪われたのである。

 こうしてタカトは大人の階段をまた一つ登った。

 あの頃は少年だったと懐かしく思うがいつか来るのであろう。

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