第147話 み・みずをくれ・・・(3)

 脱衣所の前に連れてきたタカトは、エメラルダの手を離す。


「あとは自分一人で大丈夫っすよね……それじゃ」


 寺についてから、まだ水にありついていないタカトは、水を求めてきびすを返す。

 ズボンのウエストつかむエメラルダは、小さく首を振った。


「いやぁ……俺、これでも男なんですよ……」

 鼻息を荒くするタカトは、わざとらしく手をいやらしく動かす。

 何かあっても知らないぜと言わんばかりである。

 うつむくエメラルダから、か細い声が漏れる。


「側にいてください……」


 タカトの手が動きを止めた。

 嫌らしくにやけた顔が、真顔に戻る。

 小さくうなだれたタカトは、仕方なくエメラルダの手を握った


 脱衣所の中に連れ立って入っていく二人

 エメラルダは、唯一身に着けていたミーアのマントをゆっくりと外した。

 エメラルダの背中から腰への美しく反ったラインに、ドキッとするタカト。

 咄嗟に目をつぶり、横を向く。


 上半身裸のタカトは、湯けむりをかき分ける。

 手拭いで前をかくすエメラルダの手をゆっくりと引いて歩いていく。

 先ほど手を抜いたシャツを着てくるのを忘れたタカトは、裸のままであった。

 まぁ、ここは温泉である。裸が当たり前。

 しかし、やはりエメラルダの手前ズボンは、はいたままであった。

 ただ、やはり男の子、エメラルダの美しい裸体に刺激され、ズボンの前に立派なテントを張っていた。

 エメラルダを引く手とは、反対の手でテントを力強くたたく。


 ――今はいかんって……


 しかし、いつものムフフな本と違い、エメラルダの生の裸体を見た今日のテントは、少々の嵐などいとわないほど頑丈であった。


 石に囲まれた湯の側に腰を下ろし、肩から湯をかけるエメラルダ

 うなじから背中にかけて湯が流れていく。

 タカトは、そんなエメラルダを見ないように湯桶を積み上げて、背中を向けて座っていた。

 とりあえず、のどの渇きをいやしたい。

 桶に入れた温泉に顔を突っ込み飲みだした。

 おでこの傷が湯に染みて痛い。

 咄嗟に、傷を押さえるタカトの手に、ぬるりとした傷薬がまとわりついた。

 どうやら、タカトたちが寝ている間に、ガンエンが処置してくれていたようである。


 空になった桶を頭に乗せ、タカトは思う。

 ここは女湯だろか?男湯だろうか?

 もし、女湯だったら……俺は、犯罪者?

 しかし、そんな心配はご無用。ここは混浴であった。


 しかし、先ほどの美しい背中のライン。

 もう一度見たい……しかし……

 壁を見つめるタカトの顔が、悪魔の誘惑と懸命に戦っていた。


 桶に顔を隠し、ぎこちなく振り向こうとする。

 どうやら、いとも簡単に悪魔の軍門に下ったようである……


「お風呂って……こんなに温かかったのね……」

 背中越しに小さな声が聞こえる。

 ギクリ!

 タカトの頭が、ツツツと桶へと隠れた。


「私って……醜いでしょう……」

 小さな嗚咽が聞こえてくる。

 タカトの顔の横にある桶はピタリと動きを止めている。


「何もかもなくなっちゃった……」

 何も言わないタカト。

 ……いや、何も言えなかった。

 桶の中でタカトの呼吸音だけがこだまする。


「何人もの男の人に入れ代わり立ち代わりもてあそばれて、汚れちゃった……」

 泣きながらタカトのほうへとふり向くエメラルダ。

 桶の中なんぞに顔を突っ込んでいるせいか、タカトもまた、顔を濡らしていた。


「駐屯地のみんなは、私のせいで死んじゃったのに……それでも、自分さえ助かりたいだなんて……見て……顔も胸もこんなに醜いのに。……もう、心まで汚くなっちゃたの……」

 涙でいっぱいになったエメラルダは、とっさにタカトの背に抱き着いた。

 タカトもまた、目に涙をいっぱいに浮かべている。

 唇をかみしめ、声をあげることを堪えたタカトは振り向き、エメラルダを力いっぱいに抱きしめた。


「そんなことはない! きれいだよ。とってもきれいだよ」


 二人の目からとめどもなく涙がこぼれ落ちている。

 タカトの胸に激しく抱き着いたエメラルダは、少女のように激しく泣き続けた。


 ひとしきり泣いたエメラルダは、そっとタカトの胸に手を押しあてて、タカトから離れた。

「ありがとう」

 涙を貯めたその目で、懸命に笑顔を作る。


「私だって元騎士なんだからこんなことでくじけたらダメよね」

 と強がる。

 その白い細い指で、タカトの涙をそっと拭き取った。


「ありがとう」


 エメラルダは、タカトの首に手を回し、そっと目をつぶると、優しい口づけを交わした。


 湯船と脱衣所の間に作られた御簾垣の陰で、静かに話を聞いていたビン子は、膝を抱えてうつむいていた。

 膝と頭に挟まれたタカトのシャツを掴む手から、幾本もの筋がギュッと伸びる。

 引っ張られるシャツの青い丸が悲しそうに小刻みに震えていた。

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