第二部 悲しみの先へ

第一章 明日への一歩

第121話 プロローグ(1)

 薄暗い部屋の四隅の畳たちは、おのおの黒い勢力を部屋の角から中央へと侵攻させ、その領地拡大を互いに争っていた。侵略された黒い不毛の大地は、余煙の如く部屋中にカビ臭い香りを放っている。


 その部屋の真ん中には、今まで数えきれないほどの男女の情愛を下から支え、いつも激しく乱れている敷き布団が、今日はやけに静かに、そして、ぴっしりとノリを効かせていた。


 敷き布団の上では、白い着物をきた女が赤い花柄の布団に優しく包まれ、眠るように横たわっていた。まるでその空間だけは、カビのよどんだ空気が浄化されたかのように澄み渡っているような気がした。


 窓からかろうじて差し込む日差しが横たわる女の顔を優しくそっと照らしだす。


 女の顔は、身にまとう白い着物よりも、一層白く美しかった。


 その白い女の顔は、傍らで、あぐらをかいて、うつむいている男を安心させるかのように、精一杯微笑んでいるように見えた。


「この子、こんなに微笑んでいるのに、もう、死んでるんだよ……」


 押し殺された女たちの泣き声が幾重にも重なりあっている。

 その瞬間、男の握りしめた拳から、ズボンの太ももにいく本もの筋が走る。


「これは、あんたに……形見だよ」


 男の横に静かにひざまづいた女は、何かの破片を包んだハンカチを開き、そっと、両の手で差し出した。着物がはだけたうなじからは、強い石鹸の香りが漂った。


 しかし、男は、動かない。


 破片には、壊れた文字が見て取れる。

 おそらく『ヨーク』と『メルア』であったのだろう。


「奴隷のこの子は、明日には、生ゴミとして、家畜の餌にされちまう。でも、あんたのおかげで、人としての最後を送らせてやれたよ。ありがとう」


 入り口の立枠にもたれ掛かっている年増の女郎が、うなだれるヨークに目を落とす。口からキセルを離すと、天井を見上げ白い煙を吹き出した。それは、ゆっくりと長く、まるで、メルアの魂が、天に上るかのようであった。


 煙が切れると共に、年増の女郎は、静かに目配せする。回りの女郎たちは、静かに部屋を出ていった。


 ヨークの前の畳には、欠片がのったハンカチが静かに残されていた。


 窓の手すりに2羽の小鳥が飛んできた。

 小鳥たちは、互いに楽しそう体をすり寄せている。

 小さな小鳥たちの鳴き声でさえ、妙に大きく響く気がする。


 破片に手を伸ばすヨーク。

 小鳥たちが、慌てて飛びさった。


――こんなもののためにかよ……


 破片を握りしめる拳が震える。


――お前の笑顔だけで十分だったんだよ……


 震える拳を、押さえつけつけるかのようにもう一つの手を重ねる。しかし、震えは、収まらない。手に額を押し付けるヨークから、堰を切ったかのように涙がこぼれおちた。


「俺はこの先、どうしたらいいんだよ。なぁ、メルア! 答えてくれよ!」


 暗い部屋から、男のむせびなく声が響いた。






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用語の説明は、別小説「蘭華蘭菊のおしゃべりコーナー(仮)」に記載しています。


この小説の舞台設定 → 「第13話 俺ハレの世界はどうなっているの?」

https://kakuyomu.jp/works/1177354054906427764/episodes/1177354054922032927


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