秋雨の終わりに

「レディ・レイン! どうか……どうか、僕と結婚していただけませんか!!」


 数日続いた秋雨が晴れたころ、旦那様の仕事の合間を縫って公爵邸の庭を散歩していたところ、私たちは衝撃的な求婚シーンに出くわしてしまった。

 

 色づいた木々に囲まれた庭の中に佇むメイド服姿の少女と、質の良い上着を着こなしたまだ年若い男性。メイド服姿の少女は言うまでもなくレインであり、あの男性は恐らく公爵邸に出入りする服飾関係の工房の次代の主だ。


 いつか旦那様が私に贈ってくださったチョーカーを作ってくれたあの工房の職人でもあり、王都で引く手あまたの大人気デザイナーというべき将来有望な男性だった。


 特別目を引く見目をしているわけではないが、目鼻立ちはすっきりと整っており、優し気な鳶色の瞳と髪が素敵な人だ。


 まさか、レインにこんな素敵な恋人がいたなんて。


 ……ひどいわ、レインったら。教えてくれたっていいのに。


 長年の友人ともいうべきレインの恋模様に、思わずにやにやと頬を緩ませながら、旦那様の腕をぎゅっと抱きしめる。ちなみに私たちは屋敷の影から二人の様子を見守っているため、レインたちがこちらの気配に気づく素振りはない。


 果たしてレインはどんな返事をするのだろうか。もしも結婚を承諾するような返事をしたら、今夜は彼女の恋の成就を祝って宴を開かねばならない。


 どこかそわそわとした気持ちでレインの言葉を待っていると、やがて、可憐な声が聞こえてきた。


「……ええっと……申し訳ありませんが、どなたでしょう?」


 引き攣った笑みを浮かべるレインに、男性はきらきらとした眼差しで堂々と答える。


「ロビンソン工房の職人のヴァルと申します! レイン嬢、あなたに一目惚れしました!」


 レインは長い睫毛を何度か瞬かせてヴァルを見つめていた。まさかこれが二人の初対面だとは思っても見なかった。いきなりプロポーズをするなんて、ヴァルもなかなかだ。


 この衝撃をどう消化しようかと旦那様を見上げたところ、彼は珍しく面白がるような笑みを浮かべて二人を見守っていた。何か事情をご存知だったのだろうか。


 視線で問いかけるように見つめ続ければ、旦那様はぽつぽつと事の次第を説明してくれる。


「……数日前に、ヴァルに言われたんだ。ロイル公爵邸のメイドに求婚したいから、許可をくれ、とかそういう内容だったが……」


「確認しなかったのですか? 相手が誰なのか」


「相手が誰であろうと、使用人の私生活に口を出す気はない」


 いかにも旦那様らしい対応だ。もっとも、相手がレインだと分かっていたところで結果は同じだったような気もするけれど。


「でもまさか、相手がレインだったとは。……趣味悪いな」


「旦那様?」


 さらりとレインの悪口を零すあたり、やっぱり旦那様とレインは仲がいいと思う。流石にもう嫉妬はしないけれど、どうにも素直じゃない二人だ。


「……申し訳ありませんが、私……奥様のお傍から離れたくないので」


 驚くほど脈のない答えに、ヴァルを憐れんだのも束の間、彼は目の輝きを失うことなくレインを見つめ続けていた。


「あなたにメイドを辞めてもらおうなんて少しも考えていません! ただ叶うなら、あなたの日常に僕の存在を加えてほしいだけなのです」


「私は今のままで満足しています」


「では、レイン嬢に興味を示してもらうよう努力します。このお屋敷の旦那様にあなたへの求婚の許可をいただいた嬉しさのあまりプロポーズしてしまいましたが……まずはあなたに恋人として認めていただけるように精進するつもりです」


 驚くほどの不屈の精神だが、意外と頑ななレインを相手にしていることを思えば、このくらいでもいいのかもしれない。


 レインは引きつった笑みを浮かべて目の前の求婚者を見つめているが、ある意味彼女の興味を引くことには成功しているともいえる。

 

「旦那様、後でレインに小言を言われそうですわね……」


「俺もそんな気がしている」


 二人して屋敷の陰で小さく苦笑を零しながら、その日は庭を後にした。


 


 それからも、ヴァルの求愛は続いた。


 一年が経ち、二年が経っても首を縦に振らないレインにも、諦めずに何かと話しかけており、秋雨が終わるころには必ずプロポーズをしているようだった。


「レイン、もしも彼の扱いに困っているのなら、私からきっぱりと諦めてもらうように言うわよ……?」


 レインに付きまとったり、何か危害を加える様子はないが、ヴァルの不屈の精神に病的なものを感じた私は、それとなくレインに切り出してみた。レインが本当に嫌がっているのならば、雇い主の権限を使ってでも、彼女を守りたいと思ったのだ。


 これに対してレインは、何とも言えない微妙な顔をした。


「……別に嫌ではないんです。優しくて素敵な方ですし、話も面白い。彼の恋人や妻になっても上手くやっていけそうな気がします。でも……このままでも別にいいかな、というくらいの気持ちでして」


 それが嘘偽りないレインの本心なのだろう。私以外に興味を示してこなかったことを思えば、これでも大きな前進なのかも知れない。


「まあ、そのうち彼も私に飽きると思いますので、奥様のお手を煩わせるようなことではありません」


 レインはなんてことの無いように笑ったが、私の中のヤンデレセンサーが「多分彼は諦めないだろうな」と告げている。既に二年粘っているのだ。よっぽどレインに惚れ込んでいるらしく、ちょっとやそっとのことでは身を引かないような気がした。




 二人の関係に大きな変化があったのは、初めの告白から実に五年が経過したころだった。


 五度目のプロポーズをレインに素気無く断られたヴァルだったが、それから一週間後、ぼろぼろの姿で公爵邸に姿を現した。


「っ……一体どうなさったのです?」


 右腕に痛々しく包帯を巻いたヴァルの姿に、これには私も旦那様も眉を顰める。応接間のソファーで、彼は弱々しく笑ってみせた。


「ちょっとした事故に遭ってしまいまして……腕自体は折れただけなので数か月もすれば治るとは思うのですが……以前と同じような作品を作れる保証はありませんので、ご報告しようと思ったんです。努力しますが、皆様に使って頂くのに適さない作品しか作れないようでしたら……そのときは、別の職人を紹介させてください」


 レインにどれだけ冷たくあしらわれても挫けなかったあのヴァルが、弱っている姿を見たのは初めてだ。彼は、誇りをもって仕事をしていたのだろう。それが伝わるだけに、腕の怪我が一層痛々しく見えてならなかった。


「……まずは休んでください。話はあなたの怪我が治ってからにしましょう? ちょっぴり長い休暇が出来たと思って、ね?」


 今は何を話したって暗い方向に考えてしまうだけだ。ヴァルは弱々しい笑みのまま一度だけ頷いて見せた。


 その瞬間、応接間のドアをノックする規則正しい音が響き渡る。許可を出せば、入ってきたのは紅茶とお茶菓子を持って来たらしいレインだった。


 彼女は彼の怪我のことを知っているのだろうか、と思った矢先、レインの灰色の瞳が、ひどく痛ましいものを見たと言わんばかりに見開かれる。


「っ……ヴァル、その腕は……」


 名前を呼び合う程度には親しくなっているのだな、と思いつつ、レインが彼の前でここまで感情を露わにするのは初めてなだけに、ヴァルの反応が気になってしまった。


 ヴァルはきまり悪そうに笑うと、ひょい、と怪我をした右腕をあげてみせた。


「何てことありませんよ、レインさん。そのうち治りますから」


 レインの前では少しだけ強がってしまうようだ。レインは戸惑うように視線を泳がせた後、ティーカップを並べると、そのまま逃げるように部屋から去ってしまった。


 その後ろ姿を見て、ヴァルは少しだけ寂し気に肩を落とす。本当にレインのことが好きなのだろう。


 もしもヴァルの腕が思うように治らなかったら、この二人の恋路もここまでなのだろうか。


 そう思うと、傍から見ていただけの私も切なくなってしまって、かといって何もしてあげられないやるせなさに、一人溜息をついてしまったのだった。




 それから、三日ほど経ったある日のこと。


「……お休み? 明日?」


 いつも通り仕事をこなしていたレインが、不意に「明日、おやすみをいただけませんか」と申し出てきたのだ。


「もちろんいいけれど、あなたにしては随分急ね。珍しいわ」


 後で旦那様にはお話しておこう、と何気なく答えたところで、レインがいつになくもじもじとしているのが分かった。


「……どうしたの、レイン」


「いや……その……突然お見舞いになんて行ったら、男性はうんざりしてしまうものでしょうか」


「お見舞い?」


 そこまで聞いて、ぴんときた。


 ……そう、レインはヴァルのお見舞いに行くつもりなのね!


 何だかんだ言って、彼の家を知っているくらいには親しくなっているのだ。友人と呼んでも差し支えない関係なのかもしれない。


「世の殿方のことは分からないけれど、少なくともヴァルは大喜びするでしょうね」


 にいっと、久しぶりに意味あり気な笑みを浮かべれば、レインはらしくもなく灰色の瞳を揺らがせた。ここまで来るのに五年もかかったかと思うとヴァルの気苦労は計り知れないが、いい傾向だ。


 


 そこからは、実に上手くいった。レインがヴァルを見舞ったことをきっかけに、二人の距離は急速に縮まったのだ。


 ヴァルが無事に後遺症もなく怪我を治して、再び公爵家に姿を現したときには、二人は周りの目を盗んで目配せしあい、小さく笑い合うような初々しいカップルに進化を遂げていた。


 ヴァルの粘り勝ちと言えばそうなのだが、一途なヴァルの愛の深さに、これには頬が緩んでしまう。二人が式を挙げるようなことがあれば、レインの友だちとして最前列に座らせてもらわなければ。


 レインとヴァルの恋路を盗み見た後、にやにやとしながら旦那様とお茶をしていると、給仕に来たレインに訝し気な顔をされる。


「嫌にご機嫌ですね、奥様」


「そう? うふふふふ」

 

 ティーカップを片手ににやにやと笑みを隠し切れずにいると、普段は滅多に私たちの会話に入ってこない旦那様がぽつりと呟く。


「……エルはお前たちの恋路がお気に召したらしいぞ」


「なっ」


 瞬時に頬を赤く染め、大げさな動揺を見せるレインにくすくすと笑いかける。言葉にしたわけでもないのに、私のにやつきの意味まで正しく把握している旦那様は流石だとしか言いようがない。


「ふふ、五年越しの恋ね。素敵だわ」


 ほうっと溜息をつきながら甘い紅茶を嗜めば、旦那様もレインも揃って睨むように私を見つめてくる。


「……エルを大切にしていたという意味では、俺は18年越しの想いだ」


「……競わないでくださいませ、旦那様」


 旦那様の想いの深さはもう充分に分かっているつもりなのだが、彼はまだ不安なのだろうか。思わず苦笑交じりに旦那様を見つめれば、彼はどこかきまり悪そうに視線を逸らしてしまった。


「私だって、結果的にヴァルとお付き合いを始めましたが、一番は奥様ですからね!」

 

 負けじと声を上げたレインに、思わず目を瞠って問い返してしまう。


「それは……ヴァルは知っているの?」


「もちろんですよ。『私の一番は奥様ですが、それでも良ければ恋人になって差し上げます』と断ってから、恋人になったのですもの。それでも構わないから私の傍にいたいんですって」


「そうなの……」


 ヴァルの想いもなかなかだ。それでも二人は幸せそうだから、こういう恋の在り方もあるのだろう。


「もちろんこの先もメイドを続けさせていただきます。離れるつもりは少しもありませんから、覚悟を決めてくださいませ、奥様」


 レインの言葉に、旦那様が心の底から残念そうな溜息をついたのが分かった。それをレインが見逃すはずもない。


「……今、私を厄介払いできなくて残念に思いましたね?」


「よく分かっているじゃないか。厄介だという自覚があるのなら、あの健気な男に会いに行く回数を増やせ。エルの傍には俺がいるから何も心配いらない」


「あなた様がいるから心配なのですが?」


「過去の監禁未遂のことを言っているのなら、お前も俺と同類だ」


 睨み合うような二人の様子に、ふっと笑みを零す。ロイル公爵家は今日も穏やかだ。

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