第2話

 王国を賑わせた王太子夫妻の結婚式に伴う一連の行事が終わり、風が初夏の気配を運び始めるころ、私はお義兄様とレインともに王国の東に広がる森を訪れていた。


「お嬢様、歩きづらくはありませんか?」


 馬車で入り込める場所は限られている。人一人がようやく通れるかという道を、お義兄様を先頭に私たち三人は突き進んでいた。


 私の背後から見守ってくれるレインが、私が躓きかけたり、眩しさに顔を顰めたりするたびに声をかけてくれる。一度はお義兄様と共に私を監禁しようとしていたレインだが、今は以前と何ら変わらない関係を築けていた。


 いや、彼女が私に向ける想いの深さを知った分、以前よりも親しいと言えるかもしれない。


「平気よ、レインこそ気を付けて」


 お義兄様が差し出す手を借りながら木の根を乗り越えて、半身で振り返りながらレインに笑いかけた。それだけで灰色の瞳が感極まったように潤むから、やっぱり大袈裟だと思ってしまう。


「……そろそろのはずだがな」


 お義兄様は小さな羊皮紙を片手に辺りを見渡した。そこには手書きの地図らしきものが描かれている。


 そう、何を隠そう私たちは、ルーファス様とカトレアの隠れ家に向かっているのだ。魔術研究院の騒動から一年が経とうかという今になって、色々と落ち着いたらしい二人から隠れ家を訪ねて来ないかという誘いがあったのだ。


 主に私に向けた招待だったのだが、お義兄様とレインが私を一人で行かせるはずもなく、こうして三人で向かっている次第なのだ。


 二人が育てているらしい小鳥が運んできた地図は非常に曖昧なもので、「馬車で入れるぎりぎりの地点から、エレノア嬢の足で西へ百歩」とだけ書かれていた。


 お義兄様の言う通り、そろそろこの辺りが私の歩幅で百歩に当たる部分なのだが、まるで辺りに家らしきものは見当たらない。


「何か間違えてしまったかしら?」


「私も数えておりましたが、今の一歩でちょうど百歩でしたね……」


 レインもきょろきょろと辺りを見渡す。鬱蒼と生い茂る木々の合間から差す木漏れ日が美しいばかりで、やはり目印になりそうなもの一つ見当たらなかった。


「どうしたものかしら……」


 思わず顎に手を当てて考え始めたそのとき、不意に背後からくすくすと無邪気な笑い声が上がった。


 森の中に相応しくないその声に、三人そろって咄嗟に振り返る。私たち以外に人間なんていないはずだったのに。


 だが、振り返った先で無邪気な笑みを零す少女を見て、ほっと胸を撫で下ろした。


「――カトレア!」


 私たちの目の前には、木漏れ日を受けてにこにこと微笑む天使の姿があった。


「お久しぶりです! エレノア様、エレノア様のおにーさま、それからえっと……あなたがエレノア様のメイド……のレイン様ですね!」


 一年前よりいくらか大人びたカトレアは、亜麻色の髪をなびかせてレインの前に歩み寄る。


「あなたには、初めまして、ですね! 私はカトレアといいます。エレノア様のお友だちです。どうぞよろしく!」


 溌溂とした笑顔でカトレアはレインに手を差し出す。


 レインは初めてカトレアの姿を目にしたため、多少なりとも驚いている様子だったが、すぐに微笑んでカトレアの小さな手を握りしめた。


「初めまして、エレノアお嬢様のメイドのレインと申します。私はメイドですので、敬称は不要でございますよ。本日はどうぞよろしくお願いいたします」


「レイン、って呼べばいいですか?」


「はい」


 レインはにこりと愛らしい笑みを見せた。大変可愛らしい二人の邂逅に、何だか頬が緩んでしまう。


「ええっと……『皆さま、お疲れさまでした。ここからは、カトレアがご案内いたします』」


 カトレアは真っ白な翼を揺らしながら、記憶を辿るような調子で告げる。恐らくルーファス様に案内の仕方を教わったのだろう。一生懸命なカトレアの姿に思わず笑みが零れた。


「まあ、よろしくね、カトレア。お二人の隠れ家がどんな様子か楽しみだわ」


「ふふ、とっても素敵なんですよ! 早くみんなに見てほしいです!」


 早速駆け出すカトレアを追うようにして、私たちは歩き出した。さりげなく差し出されたお義兄様の手に頼りながら、森の中へとさらに進んでいく。


 そこから数分歩いた場所に、二人の隠れ家はあった。


 先ほど見た限りでは建物があるように見えなかったが、丸い窓が特徴的な、まるで御伽噺に出てくるようなとても可愛らしい家が立っていた。恐らく、ルーファス様の魔術で、招かれざる者には認識できないように隠されているのだろう。


「ルーファス様! みんなを連れてきましたよ!」


 カトレアの模様が描かれた扉を潜り抜ければ、甘いケーキのような香りに包まれた。カトレアの案内のままに玄関広間を抜ければ、二人が過ごしているらしいリビングらしき部屋に辿り着く。


 くすんだクリーム色を基調とした室内は、温もりに満ちていた。天井からは薬草らしきものが束になっていくつもぶら下がっており、いかにも魔術師の隠れ家という雰囲気が漂っている。


「これはこれは、お久しぶりですね。ちょうどケーキが焼きあがったところですよ。お疲れでしょうから、早速お茶にしませんか?」


 リビングの奥から出てきたのは、エプロン姿のルーファス様だった。魔術研究院の深緑の外套を羽織っている姿しか見ていなかっただけに、生活感のある姿は何だか新鮮だ。


「ルーファス様のお花のケーキ、美味しいんですよ! 食べましょ食べましょ!」


 カトレアは私の手を引くようにして、私たちをテーブルへ案内してくれた。テーブルの中心には薄桃色のカトレアが花瓶に生けられている。

 

 ……二人はここで、幸せで平穏な生活を送っているのね。


 二人は毎日ここで向かい合って食事を摂っているのだろうか。その光景を想像するだけで何だかにやけてしまいそうだった。




「へえ、そうなんですか。エレノア嬢とルーク殿がご婚約……おめでとうございます」


 お花が入ったケーキをいただいた後、私たちは紅茶をいただきながらテーブルを囲んでいた。それなりに大きなテーブルなので、ルーファス様とカトレア、私とお義兄様とレインで、それぞれ分かれて向かい合うような形だ。


 魔術研究院にいたときよりずっと柔らかな表情をするようになったルーファス様は、深い青の瞳を細めて私とお義兄様を見比べる。いざこうして知人に真っ向から褒めてもらうと、何だか気恥ずかしくて変な笑い声が出そうになる。


「良かったですね、ルーク殿。花の妖精を捕まえることが出来て」


「……そうだな」


 そっけない素振りを見せるお義兄様を、ルーファス様はどこか面白がるように見ていた。もともと二人が会話を交わしている光景はあまり見たことがないが、空気感的には王太子殿下を前にしている時と似たようなものを感じる。なんだかんだ言って憎めない相手、というような位置づけなのだろうか。


「花の妖精なんて、まさにお嬢様に相応しい異名ですね。どんどん広めていきましょう」


 私の隣でレインが真剣に言い放つものだから、危うく紅茶を噴き出しそうになった。そんな恥ずかしい異名を広められてはたまらない。


「やめて頂戴、レイン……。ただ私が花塗れになっていただけなのよ」


 元はと言えば院長が言い出した言葉だった。院長はと言えば、今は魔術師を辞め、実家の領地でのんびり暮らしているらしい。時折ここにも遊びに来ると言う話を聞いて、ほっとしたものだ。カトレアを逃がしたことで厳罰が下されていたらどうしようかと思ったが、大きなお咎めがなくてよかった。


「なかなか愛らしいお姿でしたよ。カトレア、後でまた花冠をエレノア嬢に作って差し上げたらどうだい?」


「そうします! 去年よりずっと上達したんですよ!」


 カトレアは小さな手を握りしめて意気込んでいた。一年経っていくらか大人びた姿になったとはいえ、無邪気な愛らしさは変わらないらしい。


「ところでルーファス様、こんやく、って何ですか?」


 先ほどの私とお義兄様に纏わる話の間も首をかしげていたから、完全に理解できているわけではないのだろうな、と思っていたが、そこからだったか。


 ルーファス様は優雅な所作でティーカップを置くと、そっとカトレアの亜麻色の髪を撫でた。


「いずれ夫婦になる二人が、結婚の約束をすることだよ。だから、エレノア嬢とルーク殿は近い将来夫婦になるんだ。カトレアからも祝福の言葉を——」


「――カトレアとルーファス様もこんやく、するんですか?」


「え?」


 この返しは予想していなかったのか、ルーファス様が微笑みを貼り付けたままに固まる。カトレアは彼の動揺など気にする素振りも無く、至って真剣に畳みかけた。

 

「結婚は、想い合う二人が神様に誓って、ずっと一緒に生きることだって本で読みました。それならカトレアとルーファス様も、いつかは結婚するんですか?」


「それは……その……」


 珍しくルーファス様が狼狽える。恐らく同じ質問を一年前にされていたら、まるで子供を相手にするような調子で軽く収めるような返事を返したのだろうが、今のカトレアは少しずつ大人の女性に近付いている時期だ。


 無邪気に笑えばあどけないが、こうして真剣な表情をすると、立派な一人の美しいレディだった。貴族であれば、それこそ婚約を考え始めてもおかしくない年齢でもある。


 ルーファス様はふい、と視線を逸らしたかと思うと、戸惑うように深い青の瞳を揺らした。口元に手を当てているが、頬に差した僅かな朱は隠しきれていない。


 ……もしかして私、ルーファス様が初めてカトレアを意識する場面を目撃させてもらっているの?


 それはとんでもなく尊い場面だ。思わず私もティーカップを置いて、拝むように指を組む。


「……そんな風に考えたことは……カトレアはほら、妹みたいなものだから」


「でも、ルーク様は妹のエレノア様と結婚するのでしょう?」


 完全に傍観者を決め込んで紅茶を嗜んでいたお義兄様が軽くむせた。監禁されかけたあの日も語っていたことであるが、お義兄様は未だ義兄の立場を利用して私に近付いたことを後ろめたく思っている節があるらしく、この手の話題に非常に弱い。


「ルーク様……」


 思わず彼の背中に手を当てるも、彼と反対側の私の隣では、レインが堪え切れないとでも言うようにふっと笑い出すのが分かった。お義兄様とレインの関係性は日に日に軽口をたたき合うようなものに変化しているので、お義兄様の動揺っぷりを楽しんでいるのかもしれない。


「カトレアもルーファス様とこんやく、したいです!」


 カトレアは真っ白な翼を広げて、ルーファス様に抱きつくように身を乗り出した。反射的にルーファス様はカトレアを受け止めるも、戸惑うような表情のままだ。


「カトレア、その調子よ!」


「え、エレノア嬢……?」


 驚いたように目を瞠るルーファス様をよそに、私はカトレアに笑いかける。励まされたカトレアは無邪気な笑みを浮かべると、ぎゅっとルーファス様に抱きついた。


「えへへ、エレノア様も応援してくださっています! これはもう、決定ですね! ルーファス様!」


 ……これは定期的な観察が不可欠ね。


 これから芽生えるであろう尊い恋の予感に、心の中でパンを何斤か丸呑みする。あれだけカトレアに執心して病みすら覗かせるルーファス様なのだから、彼女への想いが徐々に変化を遂げるのも時間の問題だ。


「楽しみだわ……」


 思わずうっとりと呟くも、私を気にする人は誰もいなかった。カトレアとこぜり合うルーファス様、レインに揶揄われるお義兄様と実に三者三様の反応を見せる愉快な御茶会は、こうして幕を閉じたのだった。

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