第三章 騎士団長は男装女騎士と殺し愛たい

第1話

◆ ◆ ◆


 夏の訓練場に、耳障りなほどに甲高い金属音が響き渡る。くっきりとした青空の下、うだるような暑さの日差しの中、二人分の黒く濃い影が地面に揺れていた。


 目の前にいるのは、18歳という年に相応しくないほど細身の騎士だ。赤みがかった銀髪を小さく後ろで束ね、くっきりとした深い紅の瞳は、こちらの心臓を一突きにする隙を狙っている。


 俺は、その目が好きだった。この瞬間だけは、彼女は俺だけを見ている。血のように濃い瞳に俺だけの姿が映し出されているのは、たとえその動機が殺意であれ、どうしようもなく満ち足りた気分になるからだ。


 剣を交えなければ、目を合わせることすらなくなったのはいつからだろう。やはり、俺たちの家が互いに憎み合っていることを知ってしまったあの日からだろうか。


「っ……」


 小競り合いが続いていたが、俺が彼女の持つ剣を薙ぎ払ったのを最後に、彼女の視線が俺から逸らされた。からからと地面を滑る彼女の細身の剣が、陽光を反射していやに眩しかった。


「相変わらずその程度か。そんな有様じゃ、正体がバレるのも時間の問題だろうな」


 薄い笑みを浮かべながら、剣を拾い上げるべくしゃがみ込んだ彼女を見下ろす。彼女が纏っている騎士服は、俺が来ているものと何も変わらない。


「……煩い、いつか必ずお前の喉元に剣を突きつけてやる」


 世の中の一般的な女性よりは低めではあるが、どことなく柔らかさも思わせる彼女の声には、今日も俺に対する殺意が満ち満ちていた。相変わらずだ。


「そりゃいいな。俺を倒せば、史上初の騎士団長の誕生だ」


 敢えて茶化すように言えば、彼女の眼光が一層鋭くなるのが分かった。それでも俺の姿を視界に収めてくれるならばいい、と思ってしまうあたり、我ながらなかなか拗らせていると思う。


「……迂闊にそういうことを外で言うな」


 彼女はぶっきらぼうに告げると、俺を睨みながら立ち上がった。


 その姿は、一見すれば非常に見目の整った青年騎士だ。女性にしてはすらりと高い背も、その印象を強めるのに一役買っている。


 実際、彼女は騎士団ではオートレッド子爵家の子息ということで通っている。要は男装して、男として生活しているのだ。彼女は、臆病で傲慢な彼女の弟の身代わりだった。


 昔は、いつか俺が彼女を、あんな胸糞悪い家から連れ出してやるのだと意気込んでいたものだが、今となっては難しい夢だ。

 

 彼女は俺の存在ごと忌み嫌っているのだし、昔のようにまた笑いあえる日が来るとは思えない。


 それに、俺だって彼女に向ける感情の全てが好意であるというわけでもないのだ。いっそ死ねばいいと思うこともざらにある。


 好意と殺意が混ざったこの感情は非常に厄介だ。いつも何とかやり過ごすのに苦労している。彼女を前にすると、それは一層顕著だった。


 そのままぼんやりと彼女の姿を眺めていると、ふと、彼女の白い頬から一筋の血が流れだしていることに気が付いた。先ほどの訓練で切れてしまったのだろうか。


 何気なく手の甲で血を拭えば、彼女は驚いたように目を見開いた。その表情は幼いころから変わらない。


「……っ気安く私に触れるな」


「救護室で処置してもらえ。痕が残ったらことだぞ」


「はっ、生粋の令嬢でもあるまいし、傷の一つや二つで喚いていられるか」


 どことなく投げやりな彼女の言葉が何とも痛ましいが、人の心配をあっさり無下にする辺り可愛げのない奴だと思う。これではまともに令嬢として暮らしていても、嫁ぎ先一つまともに見つけられなかったに違いない。


「ここは一応近衛騎士団の一部だ。身なりに気を遣えない奴は要らない」


「私を必要とする家門なんてそうそうないだろう。騎士団長殿こそ、どこかの公爵令嬢様の護衛でもして、さっさと出世して私の前からいなくなればいい。ロイル公爵家が令嬢の護衛騎士を探していると専らの噂だぞ?」


 彼女は騎士としての実力は十分だ。彼女を必要とする家がなかなか現れないのは、ひとえに彼女の美しすぎる見目のためだった。


 子爵令息として通っている彼女は、社交界では令嬢たちの憧れの的だ。そのため、令嬢と騎士の道ならぬ色恋沙汰を恐れるばかりに、どの家もなかなか彼女に令嬢の護衛を依頼しないのだ。

 

「ロイル公爵家のエレノア嬢か? 我儘で高飛車、王太子殿下にも迫っていたとかいう、品のない令嬢のことだろ? そんな令嬢に仕えることになるならお前の方がまだましだ」


「安心しろ。お前のような性根の腐った男は、エレノア嬢だって願い下げだろうよ」


「本当にかわいくない奴だな……」


「それで結構だ。騎士に愛らしさなど必要ないからな」


 それだけ告げると、彼女は俺に背を向けてさっさと立ち去ってしまった。やっぱり、こんな奴に未だ執着している俺の方がどうかしているのかもしれない。


「……さっさと視界から消えてくれよ、シャノン」


 分かっている。視界から消えたところで、かつての彼女の愛らしい笑みが瞼の裏に焼き付いて離れないということくらい。


 訓練場の真ん中で一人、盛大な溜息をつくと、彼女の姿を掻き消すように太陽を見上げた。もう一度、彼女の白い手に触れられる日が来ることを密かに夢見ながら、俺は今日も、割り切れない思いを抱いたまま悶々と時間をやり過ごすのだった。


◆ ◆ ◆


 ルーファス様とカトレアを逃がしてから一週間が経とうかという頃、私は、ロイル公爵家の私室の窓際で、真っ白な羽根を摘まみ上げ、だらしなく口元を緩ませていた。


 この羽根は、つい二、三日前、白と紫のカトレアの花と共に小鳥が運んできてくれたものだった。


 差出人の名前なんて無くても分かる。ルーファス様とカトレアが、無事に王国の片隅で安寧を手に入れることが出来た証だった。


「うふふ……二人の暮らしはどんな感じかしら……カトレアは物覚えがよさそうだから、すぐに何でもできるようになるわね」


 ルーファス様とカトレアの新生活を思うと、楽しくて仕方がない。たった五日間とはいえ、濃密な時間を過ごしたせいか、彼らは既に私にとってかけがえのない友人となっていた。


 いつか私がすべてのヤンデレカップルの成立を見届けたら、彼らの家を訪ねることもできるだろうか。そのころには恋人同士になっていたりしたらどうしよう。ルーファス様の溺愛過保護型ヤンデレは間違いなく加速しているに違いない。


 やっぱり、ヤンデレ×美少女はいい。非常にいい。いくらでもパンが食べられてしまう。


 ルーファス様とカトレアの新生活を妄想したところで、ルシア様から届いた手紙を読み返そうと私は羽根をテーブルの上に置いた。


 右手の怪我のために、私はしばらく公爵領で静養することとなったのだが、その知らせを受けたルシア様から、私の身を案ずる手紙が毎日のように届くのだ。


 お見舞いの言葉も勿論嬉しいが、出来ればルシア様と殿下の恋物語をお聞かせくださいとお返事したところ、このところはまた以前のように惚気話盛りだくさんの内容に戻った。こんなにいい薬はない。


 ルシア様のお手紙からまだ発掘していない殿下の病みが見つかるかもしれないと言う淡い期待を抱きながら、手紙が保管されている引き出しに手を伸ばしたとき、右の手のひらに激痛が走った。


「っ……」


 びくりと肩を揺らした拍子に、テーブルの上のインク壺が倒れてしまう。幸い蓋を閉めていたので中身は零れなかったが、部屋の隅に控えていたはずのレインが飛んできた。


「お嬢様⁉ いかがなさいました⁉」


 悲痛な叫び声をあげて私の前に跪くレインを前に、笑みを引きつらせる。私が怪我をしてからというもの、レインはずっとこの調子だ。


 ルーファス様にいただいた薬は大変よく効いており、じっとしていれば痛みなど微塵も感じないのだが、だからこそというべきか、ふとした拍子に右手を普段通りに動かしてしまい、こうして激痛に見舞われるということを繰り返している。


 傷口はお医者様の手によって適切に縫われているので、余程のことをしなければ血が出るということも無いと思うのだが、私が痛みに表情を歪める度に、レインはこの世の終わりのような絶望をその愛らしい顔に浮かべるのだ。

 

「平気よ。間違えて右手を使ってしまっただけ。もう痛くないわ」


「もう、ということは先ほどはやはり痛かったのですね⁉ ルーク様をお呼びします!」


「やめてやめて、ようやく部屋から出してもらえるようになったんだから……」


 このところのお義兄様の怒りようと言ったら、それはもう酷いのだ。


 あの夜、魔術研究院まで靴下で走ったせいで、足にも細かな傷があるとお医者様がお義兄様に告げたところ、お義兄様に「二度と部屋から出さない」とまで言われた。作中でレインを監禁していただけあって、お義兄様なら本当にやりかねないだけに怖い。


 ちなみに一週間が経った今も、屋敷の外には出してもらえないのだが、必死の説得によって何とか私室とお父様の部屋、食堂だけは出入りすることを許してもらえた。


 ちなみに移動の際は、常にお義兄様の監視付きだ。カトレアを救出に向かう際、湯浴みをすると嘘をついてお義兄様から離れたのが、彼は相当気に食わなかったらしい。


 多分、お義兄様の怒りの大部分は、ロイル公爵家の令嬢でありながら、夜中に抜け出し、傷を作り、ぼろぼろになって帰ってきたというのが我慢ならないからだと思う。それは確かなのだけれども、作中のルークはエレノアに対して、怒りとは言え、ここまでの関心を見せていなかった。


 何だかお義兄様の態度もレインの様子も、本来のシナリオと大きく変化を見せ始めているような気がするのだが、大丈夫だろうか。記憶を取り戻した直後はどこか楽観的に捉えていたというのに、このところは少し不安になってきた。


「今日はもう横になってくださいませ! お手紙をお読みになりたいのでしたら、私が音読いたします」

 

「あなたも相当過保護よね……」


 レインにここまで懐かれるようなことをした覚えは本当にないのだが、作中ではエレノアの幼少期になど当然触れていないので、本来のシナリオと現在との相違に至った理由を考えることすらできない。


 ……でも、そのうち一度きちんと思い返してみた方がいいのかもしれないわね。


 遅かれ早かれ、レインとお義兄様の物語が始まるはずなのだ。二人と私との関係を正しく認識しておかねば、最大限の支援も出来ないだろう。


 それはともかくとして、この過保護なメイドをどう説得しようかと考えていると、私室のドアがノックされた。レインが私に小さく礼をしてから要件を伺いに行く。


 軽く伸びをしながらレインの様子を伺っていると、彼女が慎ましく礼をしたのちにお義兄様が入室してきた。このところお義兄様は頻繁に私の様子を伺いにやってくるので、いちいち私に知らせずともお通ししてよいと伝えてあるのだ。


「御機嫌よう、お義兄様。また様子を見に来てくださったの?」


 本来ならば椅子から立ち上がって礼をするべきところだが、このところはそれすら止められている。ならばせめて愛想だけは良くしようと、満面の笑みでお義兄様を見上げれば、彼は相変わらず冷たささえ感じる紺碧の瞳で私を見下ろした。


「……お前に引き合わせたい人物がいる」


「私に、ですか?」


 王都ならばともかく、ここはロイル公爵領だ。何の先ぶれも無しに私を訪ねて来るような客人に心当たりはなかった。


「応接間で待たせている。行くぞ」


 それだけ告げてお義兄様は椅子に座っている私の背中と膝裏に腕を差し込もうとする。その仕草から、私を抱き上げようとしているのだと気づいて、慌てて抵抗した。


「もう! お義兄様ったら、普通に歩けると申し上げたばかりですわ! 足の傷と言ったって、切り傷がいくつかあった程度で、今はもうちっとも痛みませんのよ。お義兄様といい、レインといい、あまり私を甘やかしてばかりいては困ります」


 お義兄様の腕を振り払うようにして椅子から立ち上がれば、彼の表情がどことなく不満げに歪められた。


 このところの二人の過保護に辟易していたせいか、少しきつく言いすぎてしまっただろうか。お義兄様だって、大袈裟ではあるが、私のことを心配してくださっただけなのに。


 多少の気まずさに軽く俯きながら視線を泳がせたのち、見事な銀髪から覗くお義兄様の瞳をじっと見上げた。怒っている様子ではないが、私から視線を逸らす素振りも無い。

 

 私はおずおずと彼の腕に手を添え、少しだけ甘えるように微笑んで見せた。


「……で、でも、確かに心許ない部分もありますから、こうしてお義兄様に掴まっていてもよろしいですか?」


 その言葉と共にお義兄様の腕に添えた指先のほんの少し力を込めれば、表情こそ変わらなかったが、紺碧の視線が僅かに和らいだように感じた。


「……そうしていろ」


 赤の他人が聞いたら怒っていると捉えてもおかしくないほどに、ぶっきらぼうな言い方だったが、これはお義兄様にしてはかなり好意的な返事だ。


 以前はこんな風に甘えれば、お義兄様はゴミでも見るような目で見下ろしてきたはずなのだが、随分な変わりようである。このところ、お義兄様と一緒にいる機会が多かったせいだろうか。


 ……まあ、お義兄様との関係が良好な分には、困ることは何もないのだし、ここは素直に喜ぶべきかしら?


 むしろ、お義兄様と仲が良い方が、レインとお義兄様の恋物語が始まったときに、私が殺される可能性はぐっと減るだろう。そういう視点で考えれば、むしろこの変化は歓迎するべきものだ。


 もしかすると作中のエレノアとルークも、共に過ごす時間がもっと長ければ、今の私たちのように、仲睦まじいとまでは言わずとも、なんだかんだでお互いを尊重し合うような、心地よい関係の義兄妹になれたのかもしれない。


 それが叶うことも無いままに、家族でありながら最後まで他人としてすれ違い続けた作中のエレノアとルークを思うと、どうにも切なくてならなかった。


「……それで、私に引き合わせたい方とはどなたなのです?」


 お義兄様の腕に手を添えたまま、彼の隣に並ぶようにしてゆっくり歩き出した私は、微笑みを崩すことの無いままに問いかけた。少し後ろからはレインが付いてきている気配がある。


「……お前に護衛騎士をつけることにした。この間のようなことがあっては敵わないからな」


「護衛騎士、ですか……。その、もうあのようなことは致しませんから、そこまで心配なさらなくてもよろしいのですよ?」


 今までだって外出の際には何人もの護衛が付くのが当たり前だったが、お義兄様の言い方から察するに、恐らく私の専属騎士をつけようとしているのだろう。いくら何でも大袈裟な気はするが、つい一週間前に真夜中に脱走した前科がある以上、強く出られない。


 案の定、お義兄様は睨むような視線で私を一瞥しただけだった。私に護衛騎士をつけることは決定事項なのだろう。これは何を言ってもお義兄様の耳には届かなそうだ。


 そのままお義兄様に連れられるがままに辿り着いた応接間では、一人の騎士が私たちを待っていた。


 年のころはお義兄様とそう変わらない青年騎士のようだったが、小さく後ろで束ねられた赤みがかった銀髪と、深い紅の瞳を見た瞬間、どくん、と心臓が跳ねた。僅かな頭痛と共に、「狂愛のスノードロップ」にまつわる記憶が蘇る。


 ……ああ、やっぱり、物語はおかしな方向へ転がり始めているわ。


 人並外れた美貌を持つ騎士を前に、私はただ茫然とすることしか出来ない。傍から見れば、「彼」の美しさに当てられたようにも思えるだろう。


 だが、私は知っている「彼」は男装している女騎士であるということを。


「……お初にお目にかかります。ロイル公爵令嬢。シャノン・オートレッドと申します」


 跪いて凛々しい声で名乗る彼女を前に、確信する。


 私の前でまた一つ、歪な恋物語が始まろうとしているのだということを。

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