第2話

「本日はお招きいただきましてありがとうございます、ルシア様」


 正午を過ぎたころ、私はルシア様のお招きでティルヴァーン公爵家にお邪魔していた。王都の一等地に建てられた白亜のお屋敷は、ティルヴァーン公爵家らしい品の良さが漂っている。


 今は公爵家の庭にティーセットを用意してもらい、そよ風を受けながら青空の下で小さなお茶会をしているところだった。

 

 ルシア様は返事の代わりににこりと微笑むと、優雅な所作でティーカップを口に運んだ。流石はヒロイン。こんなちょっとした仕草でも絵になる。


 ルシア様は、私よりも一つ年上の公爵令嬢で、白金の髪に知性を思わせる深緑の瞳を持つ彼女は、今日も「ハルスウェルの女神」の異名に相応しい美しさだ。


 ルシア様は、王太子殿下の婚約者なだけあって、どこか近寄りがたい雰囲気さえ醸し出す令嬢だった。


 私は随分幼いころからルシア様と仲良くしているために、そのような抵抗感は覚えないが、他の令嬢たちからすれば雲の上の存在もいいところ。


 傍から見れば我儘で高飛車だという印象の強い私が、ルシア様にお茶会に招かれること自体、きっと誰も信じやしないだろう。


「美味しいお茶ですね。……もしかして、私の好きな茶葉を用意してくださったのですか?」


 ティーカップを置いてちらりとルシア様を見やれば、彼女はふっと高貴な微笑みを浮かべて、ごくわずかに頷いた。


 神々しいまでの美しさだが、彼女の唯一の欠点はここにある。


 ルシア様は、基本的に無口なのだ。それも、心を許している人の前であればあるほど、口数が少なくなるという厄介な性質だ。公務や表面上の付き合いをする人の前では流暢に喋るのに、私の前では一度のお茶会で二言三言話せばいい方なのだ。


 推測するに、恐らく王太子殿下の前でもそうなのだろう。最低限の礼儀を保てる言葉しか発さないに違いない。


 そしてそれこそが、ルシア様のお相手である王太子殿下の病みを加速させる一因だった。


 ルシア様と殿下のルートの概要はこうだ。


 人当たりがよく、優しい王太子殿下と、女神とまで謳われる完璧な公爵令嬢であるルシア様。誰からも祝福される関係の二人だが、恋人らしい付き合いをしているかと言われればそうではない。


 王太子殿下は、心底ルシア様に惚れていた。それこそ、他の何を投げ打ってもいいというくらいに、心の底からルシア様を愛していた。


 ルシア様もまた、殿下に恋い焦がれ、心を許しているのだが、問題はルシア様の態度だ。


 心を許している人の前ではほとんど何も話さなくなるだけあって、ルシア様は王太子殿下と二人きりになっても、にこにこと微笑むばかりで会話は弾まない。その反面、社交界に出れば表面上の付き合いをしている貴族たちとは会話に花を咲かせる。


 王太子殿下は、ルシア様のこのご様子を見て不安になり、ルシア様に他に想い人がいるのではないか、とだんだんと疑念を膨らませていく。


 やがてその疑念が、ルシア様への愛しさを越えてしまい、ついに殿下は強硬手段に出る。妃教育を建前にして、ルシア様をお城に閉じ込めてしまうのだ。


 そこからはまあ、散々だ。ルシア様を繋ぎとめるために既成事実を作り上げようとしたり、暴力的な手段で脅してルシア様に無理やり喋らせたり、と思わず目を背けたくなる鬱展開が待っている。普段は人当たりの良い紳士である王太子殿下だっただけに、その変わりようには目を見張るものがあった。


 その中で、ルシア様が殿下の心の歪みごと受け止め、なおかつご自身の想いをきちんと言葉にすることが出来れば、二人を待つのはハッピーエンドだ。王太子殿下はルシア様への横暴を悔い改め、心を通わせた二人は、予定通りに結婚式を挙げ、誰からも祝福される王太子夫妻として幸せに暮らす。


 だが、ルシア様がご自身の想いを口にすることが出来なければ、やがて殿下から直々にスノードロップを渡される。


 この場合、ルシア様は表向きは死亡したことになり、王城の奥深くで生涯監禁される。次第にルシア様は自我を失い、殿下のお人形さんになるという、バッドエンドもいいところの終わり方をする。ハッピーエンドとの落差が大きいだけに、印象的なバッドエンドだった。


 ちなみにこの二人の物語では、エレノアはやっぱり王太子殿下の病みを加速させる役を買って出る。


 ——ねえ、殿下? 同じ公爵令嬢なら、ルシア様ではなく私でもいいのではなくって? 何もしゃべらない無口なお人形さんより、私の方がずうっと殿下に相応しいと思いませんこと?


 甘ったるい声でこんな台詞を囁いて、エレノアは殿下に付きまとう。そしてあるとき、運悪く殿下とエレノアが一緒にいる場面をルシア様が目撃し、殿下とルシア様の溝が深まってしまう、というありがちな展開だ。


 これが気に障った殿下によって、エレノアは王都から追放され、二度と王城に足を踏み入れることが叶わなくなる。


 もっとも、他の攻略対象者にはあっさりと殺されることを考えれば、これはまだ優しい処遇だと言えるかもしれない。


 だが、今の私はその処遇を甘んじて受け入れるわけにはいかないのだ。


 王都から追放されてしまっては、他の4組のカップル成立を見守ることが出来なくなってしまう。それはすなわち、私の生きがいを奪うことに等しい。


 つまり、私がこの二人のルートに置いて目指すべきは、王都からの追放を避け、なおかつ二人をハッピーエンドに導くことだ。


 更に欲を言えば、出来ればルシア様がお城に幽閉されることも無く、仄かな病みを漂わせる程度のギリギリ健全なカップルに収めたい。


 ヤンデレ好きな私としては、二人が迎えるバッドエンドも悪くはない——どころか、大変美味しい結末であるのだが、あくまでそれは画面越しに限った話だ。


 十数年の付き合いがある幼馴染がお人形さんになる様を、喜んで見守るほど冷たくはなれない。


 何より、二人にはまともなハッピーエンドが用意されているのだ。歪んだ愛を内包しつつ、表面上は円満な夫婦として振舞う、コントロールされたヤンデレもまたたまらない。


「っ……美味しすぎるわ」


 二人の恋路を想像して、思わず独り言ちてしまう。ハッピーエンドすなわちコントロールされたヤンデレルートを迎えた二人を見ているだけで、何斤でもパンを食べられそうだ。


 ルシア様は私の言葉を紅茶に対する感想だと思ったのか、僅かに笑みを深めて、深緑の瞳でじっとこちらを見つめてきた。可愛い。明らかに好意を向けられていると察するには充分な表情であるのに、殿下はこの微笑みだけで満足しなかったのだろうか。


 これだけじゃ足りない、と思うくらいに、ルシア様に恋い焦がれていたということだろうか。愛が重い。やっぱり美味しすぎる。


「ふふ、それで、ルシア様、今日は私に何か御用ですの?」


 ティーテーブルに軽く身を乗り出すようにして問いかければ、ルシア様は背後に控えているメイドの一人に目配せをして、何かを持ってこさせた。


 メイドが持ってきたのは、宝石の散りばめられた二つの髪飾りだった。それぞれ小箱に収められており、片方は新緑を思わせる鮮やかな宝石、もう片方は青みがかった紺碧の石が埋め込まれているものだった。


「これは……」


 これは確か、王太子殿下とルシア様の物語において、王太子殿下の病みを加速させるか否かが決まるキーアイテムの一つではないだろうか。


 ゲームの中で、ルシアは王太子と共にとある夜会に出席する。その際に身に着ける髪飾りを選ぶイベントがあるのだが、これを間違えると一気に王太子の病みが加速するのだ。


 王太子殿下は、青みがかった黒髪に、鮮やかな新緑の瞳を持つ青年だ。ルシア様の意図としては、殿下の髪色と瞳の色のどちらに合わせた髪飾りを選ぶべきか、と悩んでいるのだろうが、ここで紺碧の宝石を選ぶと、殿下の病みが加速してしまう。


 紺碧、と言えばこの国の社交界で真っ先に連想されるのはルーク、私のお義兄様だった。白銀の髪に紺碧の瞳を持つお義兄様は、令嬢たちの憧れの的で、特に神秘的な光を帯びた紺碧の瞳はどんな宝石にも劣らないと謳われている。


 そのため、ルシア様が紺碧の宝石を身に纏うと、王太子殿下は「ルシアはルークに恋い焦がれているのではないか」という誤解を深めてしまうのだ。


 それが結局、ルシア様がお城に閉じ込められる引き金の一つになるわけだが、二人をハッピーエンドに導くためには、お城に引っ込まれては敵わない。


 ルシア様は、髪飾りと共に繊細な模様の描かれた招待状を差し出して、小首をかしげた。要は「この夜会に着けていく髪飾りはどちらがいいと思う?」と訊いているのだ。


 迷う余地はない。私は新緑の宝石が埋め込まれた髪飾りをそっと手に取って、にこりとルシア様に微笑んだ。


「絶対に、こちらの方がよろしいですわ。まるで殿下の瞳の色を移したかのような鮮やかさですもの。ルシア様がこちらを身に着けたら、殿下はそれはもうお喜びになられると思いますわ!」


 殿下が喜ぶ、という言葉が嬉しかったのか、ルシア様は少しの間考えた後に、どこか恥ずかしそうに小さく俯いて、こくりと頷いた。淡い白金の髪がふわりと揺れる。可愛い。


「ふふ、もしかして、私に相談する前から、こちらにしようと決めていたのではありませんこと?」


 ルシア様があんまりかわいいから意地悪をするように問い詰めれば、ルシア様は小さく頭を振った。


「……あなたに、決めてもらいたかったのです」


 鈴を転がすような可憐な声だ。滅多に聴けないだけあって、ルシア様の声は一等美しく思える。


 分かりきっていたことをわざわざ問い詰めてしまったが、ルシア様の声を聞けたのだから大満足だ。


 私はにやにやと笑みを深めながら、新緑の宝石の髪飾りをルシア様の手元に戻した。

 

「こちらの紺碧の宝石は殿下の髪の色、新緑の宝石は殿下の瞳の色を想定してご準備なさったのですよね?」


 全く同じデザインの髪飾りを並べて、ちらりとルシア様を見やる。彼女は驚いたように私を見つめていた。


「確かに、殿下の髪色は青みがかった黒ですが、こちらの宝石は紺碧と呼ぶにふさわしくて、どちらかと言えば私のお義兄様を連想してしまいますわ」


 お義兄様の瞳の色なんてまるで考えていなかったのか、ルシア様は呆気にとられたように私を見ていた。この美しい令嬢の眼中には、やはり王太子殿下しかいらっしゃらないらしい。


「いいですか、ルシア様。この先、装飾品やドレスの色に悩むようなことがあれば、とりあえず新緑にしておけば間違いはありません。殿下のご機嫌も一層よろしくなるでしょう」


 緑の瞳は王族か、それに近しい公爵家にのみ受け継がれる色だ。幸い、王族にも公爵家にも緑の瞳を持つ年頃の男性は王太子殿下以外にいないので、迷ったらまず緑を選んでおいて間違いはないだろう。ルシア様自身、深緑の瞳であるわけだから、似合わないなんて心配もない。


 ルシア様は、私の言葉を聞き届けると、ほんのりと頬を染めて頷いた。良かった。これで多少は殿下の病みを加速させずに済む。バッドエンドから一歩遠のいたかもしれない。


 一仕事し終えたような達成感を味わいながら、私は紅茶を一口口に運んだ。ほう、と安堵の溜息をつく。


 ひとしきり照れていたようなルシア様だが、姿勢を正したかと思うと、不意に紺碧の宝石が埋め込まれた髪飾りを私に差し出してきた。


 繊細な模様が彫り込まれた銀の小箱を目の前にして、今度は私が小首をかしげる番だ。もっとも、エレノア・ロイルがやっても、あざといだけで愛らしさはないのだろうけれど。


「ルシア様、こちらは?」


「……差し上げます」


「え? ……でも、こんな素晴らしいものを……いいのですか?」


 大ぶりな紺碧の宝石も、繊細な金と銀の細工も、とんでもない値段がしそうだ。下手したら、ちょっとした家くらいは建つのではないだろうか。


「お誕生日の、贈り物です……。お揃いで、つけたくて……」


 そこまで言ってルシア様は頬を真っ赤に染めて俯いてしまった。思わず唖然としてルシア様の姿を見つめてしまう。


「……お揃いで、って……」


 まさか、私の前に二つの髪飾りを並べたのも、ルシア様自身がどちらを身につければよいか悩んでいるためではなく、私への贈り物として、私がどちらを好むか尋ねたかったからなのだろうか。

 

「……あなたが私にこの色を勧めてくださったから……私は、こちらを」


 ルシア様は大切そうに新緑の宝石が埋め込まれた髪飾りを胸に当てて、眩いばかりの微笑みを浮かべた。


 ゲームでは、ルシアとエレノアの関係性は詳しく語られていない。ただ、エレノアが王太子に詰め寄るあたり、そこまで仲良くなかったであろうことは推察される。


 だが、ここでも前世の無意識の影響が現れたのか、今の私とルシア様の中はかなり良好なようだった。私はもともとルシア様が大好きだったが、ルシア様もまた、私のことを相当気に入ってくださっているようだ。


 それが何だか嬉しくて、私もまた、紺碧の宝石が埋め込まれた髪飾りを胸に抱いた。値段だとか細工の見事さだとかより、ルシア様が私のために用意してくださったことが嬉しかった。


「ありがとうございます、ルシア様。必ず、夜会に着けていきますね」


 思わず満面の笑みで礼を述べれば、ルシア様は恥ずかしそうに俯いて、小さく頷いて見せた。やっぱり可愛い。殿下がお城に閉じ込めておきたくなるのも納得の愛らしさだ。


 ……ん? 夜会、監禁……?


 僅かな頭痛と共に蘇るのは、ルシア様が殿下に監禁されているシーン。背徳的な美しさのある場面ではあったが、ルシア様からしてみれば恐ろしくて仕方がない状況だっただろう。


 そこまで思い出して、はっとする。ルシア様がこの髪飾りをつけて参加しようとしている夜会は、王国ハルスウェルの建国祭の前夜祭に当たる夜会だ。建国祭は5日ほど続く、王国の一大イベントで、連日夜会やらお茶会やらが開かれ、文字通りのお祭り騒ぎなのだ。


 だが、私の記憶が正しければこの建国祭が終わるのを機に——。


「……ルシア様は、お城に閉じ込められる?」


 さっと、血の気が引いてく。ざあ、と吹き抜けた風のせいで、ルシア様に私の独り言は届いていなかったのか、彼女は小首をかしげてこちらを見つめていた。


 どうやら、私が想定しているよりもずっと早く、ルシア様が王太子殿下に監禁される日は迫っているようだ。

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