第46話
それから、僕達は一晩話しあって、結局またあの学園長様に嘆願しに行くことになった。それしか方法が思いつかなかったのだ。翌日、授業の合間の休み時間に再びあの恐怖の学園長室に足を運んだ。少しでも心象をよくするためにと、登校する前に買っておいた、手土産の焼き菓子を携えて。
学園長室の扉の前まで行くと、中から何やら口論する声が聞こえてきた。誰かお客さんが来ているようだ。ややあって、フォルシェリ様の「帰れ!」という怒号と共に、中から一人の老紳士が飛び出してきた。
「……やれやれ、フォン・ラーファスは相変わらず負けず嫌いなことで」
老紳士はため息交じりにひとりごちた。六十歳くらいの、上品なたたずまいの老人だった。いったい、誰だろう……。
「おや、君は?」
老紳士は僕に気付いて尋ねてきた。
「僕はここの生徒です。……あなたは?」
「私はクラウス魔術士官学校の理事長をしている者だ。今日は、竜蝕祭のレースの代表選手の件で話をしに来たのだが……彼女はまるで聞く耳を持たないようだね」
彼は再びため息をついた。そして、そのまま向こうに去って行ってしまった。
魔術士官学校? レース? さすがに今の説明だけではピンとこなかった。すると、今度は中からテティアさんが出てきて、詳しく事情を聞かせてくれた。なんでも、竜蝕祭では決まってラーファスのそれぞれの学園ごとに代表選手を選出し、レ・ヌーのレースをするのが慣例らしい。しかし、今回、エリサ魔術学園の代表選手、ワッフドゥイヒはレースに参加できる状況ではない。そこで、ライバル校のクラウス魔術士官学校の理事長が出場の辞退と、出場枠の譲渡を要求してきたらしいのだ。
「クラウス魔術士官学校は八年前に戦争が終わって以来、生徒数が年々減ってるわ。グラスマインの富裕層が多数訪れてくる竜蝕祭で大きく存在をアピールしたいところなんでしょうね」
なるほど。ラーファスにも学園同士の派閥争いみたいなものがあるんだ。ちなみに、魔術士官学校とはその名の通り、戦闘用の魔術を極めて軍人になるための学校だ。ラーファスには他にもいくつか学校があり、世界竜の専門家、竜学士になるための学校や、魔術アイテムを作る専門家を養成する学校などもある。
「でも、なんでその魔術士官学校の偉い人が門前払いみたいにされてるんですか? うちの学園がレースに参加できないのは事実でしょう? だったら、申し出を断る理由はないんじゃ?」
「まあ、そうなのだけれど……」
と、テティアさんが困惑するように首をかしげた時だった。部屋の中から、フォルシェリ様の声が聞こえた。「テティア、そこで何をしている? また誰か来ているのか?」とりあえず、僕達はテティアさんにうながされるまま、中に入った。
学園長室は昨日よりもさらに調度品が減っており、代わりに部屋の隅のがらくたの山が高くなっていた。フォルシェリ様は、今日もソファに寝転がっており、やはりものすごく機嫌が悪そうだった。
「……またお前か」
ギロリ。寝転がったまま蛇睨みされてしまった。思わずびくっと体が震えた。
「早良君、お土産。お土産」
山岸がそんな僕にささやく。そ、そうだ。今日は昨日と違って、手ぶらじゃなかったんだっけ……。
「あ、あのう、つまらないものですが……」
おずおずと近づき、ソファの前のローテーブルに焼き菓子の入った箱を置いた。猛獣に餌を与える係になった気持ちだった。
「なんだこれは?」
「お菓子です。お口に合えばいいかなと思いまして……ハハ」
「菓子だと……」
フォルシェリ様はそこでむくっと体を起こした。そして、バリバリと箱を開け、中を確認し、「ふむ」とつぶやいた。
「貴様、まさかこのようなもので私を懐柔する気か?」
「い、いえいえ! そんなつもりはこれっぽっちも!」
「当然だ。このようなもので、竜都長フォルシェリ・フォン・ラーファスたるこの私が屈服すると思ったら大間違いだ。……テティア、茶を」
「はい」
テティアさんはすぐにお茶を淹れに向こうに行った。フォルシェリ様は、その間にもすでに焼き菓子をつまんで口に運んでいる。
「ふむ……これは木の実が入っているのだな。なかなか香ばしくてよい……」
ぱくぱく。とてもおいしそうに召し上がっている。さっきまでの険悪な表情はどこへやら、実に幸せそうなお顔をしてらっしゃる……。
やがて、五人前くらいあったお菓子はすっかりなくなってしまった。
「ヨシカズ・サワラ。なぜお前はもっと持ってこない? 全部なくなってしまったではないか」
「はあ……」
全部なくなったのは、全部あなたが食べたからじゃあ。
「……まあいい。そろそろお前の話を聞こう」
フォルシェリ様はテティアさんが持ってきたティーカップを、三つ編みを動かして絡め取り、口に運びながら言った。それ、そういう使い方もできるんだ……。人を殴るのに使えるだけじゃなかったんだな。
「あの、実はワッフドゥイヒのことで――」
「それなら無理だ、諦めろ」
昨日と同じように即答されてしまった。まだ全部話し終えていないのに。
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