第32話


 僕はもう、たったひとつのことしか考えられなかった。そう、すぐに山岸に会って、あっちの世界に帰る。そしてノートの内容を書き換え、ワッフドゥイヒを救う。僕にできることはそれしかなかった。


 その日、学校が始まると、僕はすぐにエリサ魔術学園のヌー学科の教室に行った。


クラスはいくつもあったが、何組かは聞いていたので、すぐに山岸に会えるはずだった。


 だが、同じクラスの女の子に聞くと、山岸は今日は急病で休みだという。


「なんかねえ、今朝、ラーファス魔術医院に運ばれたそうよ」


 いったいどういうことだろう。ひどく胸騒ぎがした。ラーファス魔術医院の場所をその生徒に聞くと、僕はそのまま学園の校舎を飛び出した。


 まだ朝の、授業が始まる前の時間だったので学園の門は開いていた。寄宿舎の方から駆け足で登校してくる生徒達をしり目に、僕は門を出て街のほうに向かった。場所を聞く限り、ラーファス魔術医院は徒歩ですぐ行ける距離だった。


 ラーファス魔術医院はレンガ造りの、大きなどっしりとした建物だった。すでに門は患者達のために開放されており、朝早くだというのにロビーは妙にたくさんの人でにぎわっていた。彼らの多くは首に黒い耐魔石がはめこまれたチョーカーをつけていた。聞こえてくる会話を聞く限り、彼らはグラスマインの人たちで、竜蝕が間近に迫っていて、ラーファスとグラスマインは二十年に一度の大接近を迎えているので、グラスマインでは不可能な高度な魔術治療を受けようとここに来ているらしかった。


 そうか、ここは魔法で病気が簡単に治せるところなんだ。


 山岸のことも心配いらないかもな。少しだけ気持ちが楽になった。受付の順番が回ってくると、おそらくは看護師だろう、白いローブをまとった女性の一人にカナエ・フォン・ヤマギシについて尋ねた。


 すると、


「ああ、今朝運ばれてきた女の子ですね。面会は無理ですよ」


 いきなりこんなことを言われてしまった。


「む、無理ってどういう……」

「いや、命に別条はないんですよ。ただの眠り病ですから」

「眠り病? まさか昏睡状態?」

「そうですねえ。あと八日くらいは目が覚めないでしょうねえ……」


 なんだって! そんなに眠りっぱなしだなんて……。


 もしかすると、その間は僕は向こうの世界に帰れないってことなんだろうか。そんなバカな。それじゃワッフドゥイヒは助けられないじゃないか。


 僕は彼女に頼み込み、山岸に会わせてもらった。彼女はやはりベッドで昏睡状態になっているようだった。声をかけても揺さぶっても反応がなかった。医者の話によると、まれな病気なのでこれといった治療法はなく、このまま目覚めるのを待つしかないということだった。


 なんで急にこんなことに……。


 ラーファス魔術医院を出て、祭りの準備ににぎわう朝のラーファスの街をとぼとぼ歩きながら、考えた。頭はひどく重かった。向こうの世界にすぐに帰れない、すなわちワッフドゥイヒを助けられないこともそうだったが、何よりこの状況で山岸に何の相談も出来ないのが辛かった。


 だいたい眠り病なんて、作者である僕は知らないぞ……。


 理不尽だ。そんな突然ぽっと出てきた謎の病気で活路が断たれるなんて、いくらなんでも、ありえない。


 と、そのとき、


「そうだねえ。まさにこれって、ご都合主義な展開だよねえ」


 あいつの、自らをトリックスターと名乗る少女の声が聞こえた。はっとして周りを見回してみると、すぐ近くに積まれた材木の上に座っているその姿があった。


「でもね、それは理不尽で不自然な展開だけど、同時に必然なんだ。君ならわかるだろう?」


 少女は意味深に微笑する。くそ、相変わらずなんなんだよ、こいつ!


「言いたいことがあるなら、もっとはっきり言えよ!」

「ああ。そうだねえ。君はワッフドゥイヒほど察しのいい主人公じゃなかったね。つまり、今ここにいる君は、ヨシカズ・サワラという『キャラクター』であって、早良義一ではないってことさ。そして、当然『キャラクター』は作者の物語の力の影響を受ける。それがこの展開ってわけさ」

「物語の力の影響? それで山岸さんが病気になったって言うのか?」

「ご名答。君が今あっちの世界に戻っちゃうと、早良義一が定めたこの世界のつじつまが合わなくなるからねえ。だから急に出口をふさがれちゃったのさ。あっは」

「なんだって……」


 僕は僕自身の力で追い詰められたってことに? そんなバカな。また強いめまいがした。

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