第27話

 それから、僕は再びベッドにもぐりこんだ。ワッフドゥイヒのことは、もうこれでいい。彼のことは一切忘れようと思った。けれど、山岸とはこの先どう接すればいいのかわからなかった。今日もまたひどいことを言ってしまった。学校で唯一僕がまともに話せる相手なのに。これもやっぱり、あいつのせいだ。あいつさえいなければ、僕は山岸ともっとうまくやれたんだ……。鬱屈した気持ちが湧きあがってきた。そして、その怨嗟の中で、僕はゆっくりまどろんでいった。


 僕はそのまましばらく眠っていたようだった。やがて、妹の智美が部屋に入ってきたらしい。そのドアを開ける音と、僕を呼ぶ声が唐突に聞こえてきた。


「お兄ちゃん、お客さん」


 智美はさもめんどくさそうにそう言うと、乱暴に僕からふとんを奪った。


「……客って、誰だよ?」

「女の人だよ。お兄ちゃんと同じ学校の制服着てる。学校で何かやらかしたの、お兄ちゃん?」


 智美はいぶかしげに僕を見つめた。しかし、僕に会いに来る同じ学校の女生徒なんて、たった一人しか思いつかなかった。その疑いのまなざしを無視すると、すぐに部屋を出て、玄関に向かった。


 はたして、そこには眼鏡をかけた美少女、山岸かなえが立っていた。


「早良君……寝てたの?」


 彼女は僕を見るなり、ちょっと顔を赤くして目をそらした。はっとして自分の姿を見ると、ランニングシャツにトランクス一枚という破廉恥極まりない格好をしている……。


「そ、その、ごめん、こんな恰好で!」


 すぐに部屋に戻り、上からスウェットを着た。そうしてるうちに、山岸も智美に案内され、部屋にやってきた。ベッドのわきの目覚まし時計を見ると、時刻はもう夕方の五時半だった。だいぶ寝てたらしい。


「あの、これ……」


 山岸はおもむろに鞄から紙きれを取りだし、僕の机の上に置いた。


「午後の授業で配られたプリント」

「わざわざ持ってきてくれたの?」

「うん。早良君って他に持ってきてくれるような友達いなさそうだし」

「ま、まあね……」


 相変わらずストレートに人の弱点ついてくる山岸だ。


「住所は先生に聞いたわ。急に押しかけてごめんなさい。具合悪くて寝てたんでしょ?」

「え、いや、その……」


 ただ気がめいってただけで、体調は別に……。


「少し休んだら、だいぶ楽になったから。はは」


 とりあえず、適当に取り繕った。


「……ほんと?」


 山岸は何か言いたげに僕をじーっと見つめた。


「なに?」

「なんだか反応が普通だなって思って……。早良君は私のこと、怒ってたんじゃなかったの?」

「あ、それは……」


 そういえば、肉とか野菜とか、激情に駆られて叫んでた気がする。


「あのとき、私、早良君が何言ってるのかちょっとよくわかんなくて。でも、私の話なんて聞かずに逃げちゃうし。早退しちゃうし。前もそうだったよね。早良君っていっつも、私から逃げてばっかり……」


 山岸はふと悲しそうに顔を伏せた。


「私、そんなに自分に自信があるほうじゃないの。だから、誰かにそういう態度されると、その……すごく、辛いの。ねえ、お願い。私に言いたいことがあるなら、はっきり言って。私……どんな嫌なことでもちゃんと聞くから……」


 声を震わせながらそう言うと、山岸はいっそう顔を伏せた。その様子に、僕は彼女をとてつもなく傷つけていたことに気付いた。


 まずいぞ。早くあやまらなきゃ……。


「あ、あの、山岸さ――」

「べ、別に、私、早良君に嫌われてたって平気だし!」

「え?」

「平気だもん。早良君なんかに何言われたって、全然傷ついたりしないもん! 早良君のことなんか、私、何とも思ってないし……」


 そう言いながら、山岸はどんどん涙声になっていく。「ごめん」僕はあわてて、頭を下げた。


「山岸さんは何も悪くないんだ。今日のことは、その、僕が勝手にテンパって……」

「ほんと? 前に草食系男子って言ったこと、怒ってるんじゃないの?」

「いや、それは別に……その通りだと自分でも思うし」


 そう、確かにそこは否定できないところだった。お野菜好きだし。


「ただ、草食系は草食系で、肉食系に対して思うところがあるって言うか――」

「肉食系に? もしかしてまたワッフドゥイヒと自分を比べちゃったの?」

「う、うん……」


 もう素直に認めるしかなかった。そして、いったんそうしてしまうと、とても気持ちが楽になった。ありのままの感情が言葉に出てきた。


「あいつ、今日は僕達が変な男に襲われてるところを助けに来てくれたんだよ。でも、僕は全然何もできなかったのに、あいつはちゃんとフェトレを守って、男達をやっつけてさ……。なんかすごく自分が情けなくなって」

「なるほど。それでいじけてたのね」


 山岸は顔を上げた。そこには安堵の笑みが浮かんでた。


「バカみたい。彼は彼、早良君は早良君なのに。彼に命を助けてもらったんなら、素直に感謝しておきなさいよ」


 くすくすと笑われてしまった。確かに、僕の命の恩人なんだよな、アイツ。それはわかってる。でも……。


「でも、女の子から見れば、ああいう頼りになる奴の方がいいんだろう? だ、だから、山岸さんは今日あいつと一緒だったんだろう? デートしてたんだろう?」

「え? デートって?」


 山岸はきょとんとして首をかしげた。


「私、彼とデートなんてしてないわよ。ただ、一緒に街を歩いてただけ」

「そ、それって、デートって言うんじゃ……」

「言う? 街でばったり会って、少しだけ話しながら一緒に歩いてただけなのに」

「え、そうなの……」

「そうよ。私、ずっと早良君のこと探してたんだから。寄宿舎に行ってもいないし」


 山岸はちょっとむっとした顔をして僕を見つめた。


「で、でも! あいつのことワッフって、超親しげに呼んで……」

「そりゃ、呼びにくいじゃない、あの人のフルネーム。舌噛んじゃうわよ」

「言われてみれば……」


 呼びにくい変な名前だ。省略して呼べるならそれに越したことはないのではないだろうか。


 いやでも、まだ一つ気になることが。


「じゃあ、なんであっちでは眼鏡を外してたの?」

「それは……」


 山岸はとたんに顔を赤くして目をそらし、


「さ、早良君に言われたからに決まってるでしょ!」


 やや乱暴に、言いきった。

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