第6話 アーク様のお母様


 お城に住むようになり、三ヶ月。

 わたくしはミリアム様の作るケーキを一日三食、頂けるようになりました。

 そして、最近とある変化が現れ始めたのです。

 それは──。


「エクレアも美味しく食べられましたわ! ありがとうございます、ミリアム様!」

「ぷっ……」

「?」

「クリームつけっぱなしだぞ」

「あ……」


 口許についていたクリームをミリアム様が指でなぞって攫っていきました。

 それをそのままご自分のお口に……はわわ〜!


「ありがとうございます……」

「気にするな。それより、最近はケーキ以外の菓子類も食べられるようになってきたそうだな?」

「はい! とても美味しく頂けております。それに、ミリアム様がお作りになったもの以外も、喉を通るようになって参りましたの……!」

「そうか……!」


 そう、最近のわたくしは、お菓子ならばなんでも食べられるようになっているのだ。

 これはとても喜ばしい。

 ただ、相変わらずお菓子以外は喉を通らなかった。

 なぜなのでしょう?


「お嬢様、アーク様がお見えですよ」

「まあ、もうそんなお時間? 通して」

「はい」


 わたくしが借りているお部屋に、アーク様は毎日通ってこられる。

 ミリアム様もアーク様も、王子としてとてもお忙しいようなのに、だ。

 ありがたいと思う反面申し訳もなく、しかしお二人が会いに来てくれる事でわたくしは寂しさを紛らわせる事が出来て本当に感謝してもしきれない。

 もう少し起きていられる時間が長くなったなら、令嬢としての勉強も再開しなければいけませんね。

 仮とはいえアーク様……王子様の婚約者なのですから、それらしく振る舞えるようにならなければ! ムン!


「こんにちは、クリスティア嬢。ミリアムもいたの」

「いて悪いか」

「ううん、別に? それよりも、クリスティア嬢にちょっとご相談」

「え? はい?」


 スタスタとソファーに座るわたくしたちへ近づいてきたアーク様、なにやら神妙な面持ちです。

 相談? わたくしに?

 首を傾げると唇を尖らせて「母がクリスティア嬢に会いたいと言っててね」と……え?


「わ、わたくしに!?」

「婚約者なのだから、体調が戻ったら顔を見せるのが普通だろう、となかなか焦れているようなんだ」

「は、はわわ〜!?」


 おっしゃる通りです〜!

 しかし、仮の婚約者のわたくしが会いに行ってもいいのでしょうか?

 悩んでいるとアーク様が「大丈夫」と微笑む。


「母さんもクリスティア嬢の事情は知っているから」

「え」

「それでも会ってはくれませんか?」

「…………」


 意外、と言っては失礼かもしれないけれど、アーク様のお母様……側室のジーン妃が仮の婚約者であるわたくしなんかに会いたいとおっしゃるなんて、思わなかった。

 けれど、そんな風に言われたら会わないわけにはいかないわよね。


「とんでもございません。お世話になっているのはこちらですから、もちろんお会いしたく思いますわ。喜んでご挨拶に行かせて頂きたく存じます」

「そうですか。ありがとうございます」

「えっと、ではまずご予定の方を……」

「聞いたわよ、クリスティア! ジーンに会いに行くのですってね!」

「エ……エリザ様……!」


 いつになくハイテンションで現れたエリザ様。

 す、すごい、なんで満面の笑みなの!

 こんなに嬉しそうにはしゃいでおられるエリザ様、初めて見た気がするわ。

 でも喜ぶ要素が今の会話のどこに……?

 身分の低い家の正妃と身分の高い家の側室……お二人は不仲であるともっぱらの噂ですが……。


「母上、クリスティアが驚いている」

「あらごんなさい。つい面白くなってしまって」


 面白い!? どういう事ですか……!


「そんな事よりも、ジーンのところへ行くのでしょう? 大丈夫よ、わたくしも一緒に行くから」

「……」


 エリザ様、わたくしを気遣って……。

 やはり優しい方ですわ。とてもありがたい。


「はい、ありがとうございます」

「…………」

「ミリアムも来ますか?」

「い、いや、わ、私は、あまりジーン様に好かれていないから……」


 ミリアム様は乗り気ではなさそう。

 それもそうでしょうね……ジーン様からすれば息子さんが王になる時、一番邪魔な存在ですもの。

 アーク様とは、仲がいいみたいだけど……そのお母様となればやはり話は違ってくる。

 エリザ様とアーク様が一緒に来てくださるとはいえ、わたくしも緊張して参りましたわ。


「では、ミリアムは剣の稽古に行ってきたら? 騎士団の者に頼めば暇な者が見てくれるわよ」


 ……いやぁ、それはどうでしょう……相手は王子ですから、そこそこ忙しそうな偉い感じの人が出張ってくるのでは……。


「そうですね! そうします! あと、座学も学ばねばならない事が多いですし!」

「ええ、クリスティアの正式な婚約者になれるように頑張りなさい!」

「は、はいっ」

「っ」


 ミリアム様……なんで真面目な方なのでしょうか。

 でも、ミリアム様は絶対にパティシエの方が向いていると思います。

 ああ、世の中なんとままならないのでしょうか。

 こんなに美味しいケーキを作れる方が、王子様だなんて……!


「お嬢様?」

「はっ! い、今参りますわ」


 ルイナに促され、ソファーを立つ。

 ほんの少し目眩がしたような気がするけど、きっと気のせい……ええ、気のせいですわ。

 最近ちゃんと食べていますし、眠れていますもの。

 それもこれもミリアム様のケーキのおかげです。

 前世も今世もあんまり食べられない胃袋ですが、それでもミリアム様のおかげで食べる事の楽しさを感じられ始めていますわ。

 いろんな種類のお菓子が食べられて、わたくしは幸せです。


「……あの、ところで……アーク様、ジーン様はどんな方なのですか?」

「うーん、小難しい頭でっかち?」


 実の息子のセリフとは思えません。


「エ、エリザ様から見てどのような方なのでしょうか?」

「そうね、ツンデレ?」

「「「ツンデレ?」」」


 思わずアーク様とルイナに被せるようにして聞き返してしまいました。

 エリザ様、それは……前世用語ですわ……!


「申し訳ありません、エリザベス王妃、私の不勉強でございます。……ツンデレ、とは……なんなのでしょうか?」

「まあ、ルイナ、そんなにかしこまらないで。いいのよ、分からないのも無理ないわ。ツンデレとはわたくしの造語だもの」

「「造語」」

「…………」


 きっとわたくしとアーク様が不思議そうだったから、ルイナが気を利かせたのだろう。

 本当ならば他家の侍女が口を開いてよい場面ではないが、「ツンデレ」について代わりに聞いてくれたのね。

 でも、これは前世の言葉なのでエリザ様は『造語』と答えた。

 これは、わたくしも複雑な気持ちです。


「どういう意味ですか?」

「表面上は素直になれなくてツンケンしているんだけど、本当はみんなと仲良くしたくってもじもじしている。それが時々素直に表に出てきたらデレッとしているように見える人の事よ!」

「…………」


 て、的確ぅ……。

 でもアーク様の表情が「え? うちの母が?」みたいなお顔になっていますよ〜。


「だからクリスティアもすぐに仲良くなれるわ」

「……は、はあ……」


 あ、もしかしたら私にら気を遣ってくださったのかも……。

 人見知りのわたくしが緊張して、粗相しないように。

 エリザ様の心配りを無碍にするわけにはいきませんわね。

 分かりました。

 アーク様のお母様にして、王妃エリザベス様を差し置き、この国でもっとも高貴な女性と言われるジーン妃……彼女を「ツンデレ」だと思って接します……!


「ジーン様、エリザだけれどクリスティアを連れてきたわよ」


 とある一室に来ると、エリザ様が扉をノックしながら声をかける。

 ……ルイナは顔を真っ青にして、悲鳴をあげそうな大口を開けて固まってしまった。

 それもそのはず、王妃に扉を叩かせて声をかけさせるなんて……使用人が側にいて、そんな手間をかけさせるのは使用人失格……。

 扉の前を警護していた二人の騎士も硬直したし、顔が一気に真っ青になったのがとても分かりやすくてわたくしもちょっと喉がひきつりました。

 エリザ様アクティブ〜!


「どうぞ。お入りなさい」


 そして応えた声はとても澄んでいて、凛としていた。

 なんと申しますか……ええ、固い?

 扉が中にいた侍女たちによって開かれると、エリザ様は先陣切って入っていかれた。ほわわ〜……。


「よく来たわね。体調が悪いと聞いていたけれど」

「は、はじめまして……クリスティア・ロンディウヘッドと申します……」

「まあ……ずいぶんと痩せこけているじゃない」

「…………も、申し訳ございません……」


 パシン! と、大きな音がした。

 ジーン様が持っていた扇を閉じた音……なのだけれど、その音と声の威圧感に実家の母を思い出す。

 わたくしのお母様は、お父様よりも遥かにわたくしに厳しかった。

 仕事に出かける父とは違い、母は家によその奥様を招いてお茶会や夜会を頻繁に行うとても社交性のある方。

 とても幼い頃から人目に晒され、お茶会でははしたないからと飲食を禁止され、何時間も笑顔でお話を聞き続ける日々。

 姉や兄は「クリスティアが小さくて可愛いから、お母様のお茶会にはお前が出た方がいい」と言い、逃れていた。

 ルイナに「お茶会デビューは十歳から」と聞いて驚いたものです。

 だってわたくしは三歳の頃からずっとお茶会に出されていたのですから。

 思えばお茶会のある日は朝から準備が忙しくて、食事もあまり摂らせてもらっていませんでしたね。

 それに加えて父からの淑女教育と王妃教育。

 思い出すと頭が痛みます……でも、倒れるわけにはいきません。

 目の前にはジーン様がいらっしゃる。

 ここで倒れたら……漕ぎ着けた婚約話も台無しになるかもしれません。

 そうなったら……わたくしは、実家に——……っ。


「なにを謝るの? 確かに肉つきが悪いのは女性としての魅力に欠けます。でも、腰の細さは武器になりますわ。ええ、そのままたくさん食べて、コルセットで腰を細く、胸とお尻は大きく育たせるようになさいな。そのためにもお肉を中心に食べるようになさい。肉はなんでもいいわ、とにかくお肉よ、お肉」

「……」


 あ、あら?

 なんだか、思っていた感じと……少し、違う?


「!」


 そう思って顔をあげたらびっくり。

 目の前にジーン様が近づいてきていた。

 そうして膝を折って、わたくしの前に膝をつく。

 驚いた。目線を合わせてくださった。

 そうして手のひらで頬を撫でられる。


「目元にくま。これはよくないわね。ちゃんと寝ているの?」

「は、はい……最近は……夜会に連れて行かれる事もなくなりましたので……」

「は? 夜会?」

「夜会? どういう事?」


 しまった、と思った時にはもう遅い。

 思わず口を覆ってしまうけれど、わたくしとルイナ以外の顔はまさしく「は?」といった様子。

 むしろ、エリザ様とジーン様はどんどんお顔が険しくなっておりますわ……。


「説明なさい、ルイナ」

「……、……じ、実は奥様はお茶会や夜会にクリスティアお嬢様を連れて行くのがお好きでして……」

「まあ! なんて馬鹿な事を!」


 問い詰めたエリザ様よりも、大声を張り上げて立ち上がったジーン様。

 目の前で大声を出されて思わず喉がひっと引きつった。

 無意識だったけれど、きつく目を閉じて耳を両手で塞いでいたようです。

 そんなわたくしの様子に“良識ある大人”がどんな反応をするのか——わたくしには分かっておりませんでした。


「……そう、分かりました。……コジェットは相変わらずなのですね」

「そのようね。まあ、そういう事なので……どうかしら、ジーン様。クリスティアをアーク様の婚約者に据えるお話……」

「元より反対する理由はありませんわ。好きになさい」

「! ありがとうございます、母上」


 厳しそうな方ではありますが、エリザ様のおっしゃる通り、実は優しい方なのかもしれません。

 わたくしの実家の両親と姉と兄に比べて、その眼差しはとても優しかったからです。

 ああ、けれど……どうしましょう……とても、とても、緊張してしまって、その上……実家の事を色々思い出していたら……血の気が引いてしまいまして——……。


「クリスティアお嬢様!?」

「クリスティア嬢!」

「クリスティア!?」


 バターン!

 ……という音が聞こえた気がします。

 おでこが痛い気がしたので、多分倒れました。

 ああ、なんて情けないのでしょう。

 わたくし、本当にダメダメ令嬢ですね。

 こんなわたくしがミリアム様、アーク様の婚約者候補で、本当によいのでしょうか?

 お二人と、そしてお妃様たちの優しさに甘えて……こんななんの価値もないわたくしが……。


 ——生きている価値があるのでしょうか?

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