разрушитель

漫画やアニメの表現を、ゴッホやシャガールやルノワールの絵画と比べて価値があるかないかを論じる意味があるの?


それらはあくまで、


<ジャンルが異なるもの>


であって、どこに価値基準を置くかによってまったく判断が変わってくるよね?


どんなものでも、それに価値を見出した者にとっては価値があり、そうじゃない者にとっては無価値なんだよ。


世界的に著名な文学作品と、アオが書いているという<ライトノベル>も、どちらにもそれぞれ価値を見出す人間がいる以上、それぞれに価値はあるんだよ。


そしてそれは、


<価値を見出す人間の数>


で決まってしまうものでもない。


漫画やアニメだって、世界的なテニスやフットボールといったメジャースポーツに比べれば、まだまだ、それに熱中する人間の数も市場規模も桁が違うんだから、<価値を見出す人間の数>だけで語るなら、漫画やアニメは、切り捨てても惜しくない程度だろうね。


だけど僕は、実際に切り捨てていいとは思わない。漫画やアニメを楽しみにしてる人間は確かにいて、切り捨てられたりしたらきっと悲しむだろうから。


加えて、<商業的な価値>だけで決めてしまえるものでもないと思う。


他人には全く無価値な<思い出>だって、本人にとってはとても大切なものだったりするよね。


僕はその事実を疎かにしたくないんだ。


安和アンナには、悠里ユーリには、椿つばきには、そういうものを大切にしてほしいと思う。


他者を蔑ろにする<破壊者разрушитель>にはなってほしくない。


世界を生み、構築し、育む者でいてほしいんだ。そのために僕は三人に来てもらった。


だからこそ、僕は、安和が、悠里が、椿が、世界を生み、構築し、育む者でいられるように努力する。それが僕の責任なんだ。


アオも、そのために努力してくれる。本当に素晴らしい女性だ。


僕達の想いを一方的に安和に悠里に椿に押し付けるだけで期待するだけで必要なことを身をもって教えない親ではいたくない。


思えば、宗十郎も、世界を生み、構築し、育む者でいようとした。生きるために命を奪いもするものの、<破壊者разрушитель>じゃなかった。命に対する敬意をいつも持っていた。


そんな彼が戦争の中で何を見たのかは、僕には分からない。だけど彼は、それを乗り越えた上で、僕に、


<人間という生き物の姿>


を見せてくれた。そうすることで、僕に、世界を生み、構築し、育む者の姿を見せようとしてくれたんだと思う。


宗十郎は、確かに今も、僕の中で生きている。


血は繋がってなくても、彼の命は、安和に、悠里に、椿に受け継がれているんだ。


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